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『癌』②~失った友、貰ったもの。


誰に伝えるでもなく、読んでもらいたいと言う訳でもなく、
ただ、自分の心の整理と想いをと。

【癌】
7月4日 従兄弟の子供が亡くなりました。
享年 5歳
病名: 脳腫瘍。
その悲報を聞き…書かなきゃ と。

今回第二回は、私の経験した「癌」による初めての別れです。


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癌 ②

私には素敵な出会いが沢山あって、
大好きな人たちに囲まれている。
素敵な仲間、笑顔溢れる時間、素敵な家族…
そして
素敵な別れ…。
若い時から、人との別れを多く味わってきた。
大粒の涙を流して
そしてまた 別れた人達を胸に笑顔で上を向く。

これは多くの別れのうちの二つ目の「癌」の話である。


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彼と出会ったのは大学2年の時だった。

当時男子1名、女子30名ほどの小さな学科。
二年目にして一個上の学年から一人「落ちてくる」との噂が立った。
しかも男子。
この「落ちてきた」男子こそがセリー君だった。
のちに彼が「落ちてきた」のではなく、
「降ってきた」のだと私は気づくことになる。


医療衛生学部リハビリテーション学科作業療法学専攻

私が作業療法学を学ぶ事にしたのには様々な理由があった。

私はいわゆる器用貧乏だった。いまでもそうかもしれない…。
やってみろ…そう言われるとなんでもそれとなく上手くできてしまう。
運動も勉強もゲームも…普通以上にこなしてしまう。
何でもできる…と言えばそうだった。がそれは、飛び出る何かを掴めないでいるただの器用貧乏だと、何となく自分で気づいていた。

大学を決める時、してみたいことが沢山あった。
生物学、医学、心理学、犯罪心理学…どれをやってみたいのか
自分自身に問ても「全部」としか答えが見つからず、
どの教科が一番出来るのか…これに対しても「全部」適度にできていた。
これ といった自分の強みを掴めずに
私は何となく自分の興味と親の勧め、経済状況を合わせながら学科を決めた。
大学を決めたのも、試験官の女性が落とした消しゴムを拾ってくれ
その笑顔がとても優しくて そこにしたという不純な理由だった。


そんな私が一つの物に集中できるわけがなく、
同キャンパスにある医学部にも同席し始め、二つの研究室にも入り解剖学や法医学にまで手を出し始めたのが1年の終わり。
作業療法学にもまだ光を見出しつつも、私のやりたいは広がるばかりで専攻科目が徐々に曇り始めるころであった。


「落ちてきた」のは何とも冴えない男子。
私のセリー君の初めの印象はアニメ「シンプソンズ」のバートだった。
ちょっと不愛想な表情、ズバズバと遠慮なく物をいう。
人の事を「バカ」呼ばわりし、必ず人を「お前」と呼ぶ。
どもりがある話し方に 
そして、見逃せない決定的な事…

左半身麻痺


セリー君の持病; 脳腫瘍

これを知ったのは、二年目が始まって少し経ってからの事だった。


癖の強いセリー君をクラスの女子らは避けて行った。
始めから何となくクラスになじめなかった私にもクラスの中で3人気の合う仲間がいた。が、そのほかの同期は顔も名前もほとんど覚えていない程
自分は無関心だった。
セリー君を何となく避けるクラスメイトに嫌気もさして ますますクラスから気持ちだけが遠ざかって行った。
依然として私を「お前」呼ばわりするセリー君に
「苗子ってちゃんと名前あるんだから名前で呼んでよね!!」
そう言った時に苦笑いをしながら
その後「苗子」と私を呼ぶようになったセリー君とは
何故か自分を飾ることなく 素直にストレートに物を言える関係になって行った。


自然と研修のペアがセリー君といつも一緒になって行く。
とある研修の日。熱い日差しの中研修病院から駅に歩いている時だった。



「俺、脳腫瘍なんだよね…」

チラッとセリー君を見ると

「だって誰も聞いてこないからさー…」

確かに誰も直接セリー君に半身麻痺の理由を聞いたことはなかった。
暗黙の了解とでもいうのか…
「落ちてきた」理由が休学だったり、不合格だったり、病気だったり…
色々噂は立っていた。

「だって…ひねくれ者には変わりないじゃんよ」

そう言うと一言「ひでぇー」と言ってセリー君は笑った。


幼い頃に脳腫瘍が見つかってから、何度も頭部を開けて手術した。
学校に行けず何度か留年し、昨年も大きな手術を受け
それで「落ちてきた」。
3歳年上の同級生の本当の理由。

「作業療法士になりたい」
それは自分自身が半身麻痺になってから
同じような人の為に
同じような想いをしている人として
助けになりたいとそう思ったから。


隣にいるひねくれ者は私よりも真っすぐで
私よりも強い想いでそこに立っていた。


私は自分が中途半端な思いで作業療法を学んでいる事も
自分の何かが見いだせずにいる事。
全部話した。
それを聞き終わるとセリー君は

「まぁ…それでもいいんじゃん?」

中途半端な自分、器用貧乏で何も掴めない自分を
何処かで許してもらえたような
包容力に包まれた瞬間だった。
それでも、こんな気持ちで同じ場所を目指している事に
ものすごい引け目を感じたのも事実だった。

セリー君にはなくて、自分にはあるものが沢山ある。
けれど、セリー君はそのギャップにも物を言わせない程の
強い目標があり、強い意志があって
手術を繰り返し、何度留年しても
どんなに周りの顔ぶれが変わり 周りだけがどんどん先へ行こうとも、
彼は自分の目標に向かって足を引きずりながらも一直線に歩んでいた。
私には駆ける事も出来るのに、彼の背中を見ているこの場所で
くすぶり続けているだけだった。

「A先生…A先生の事を知って、俺にもなれるって思って」

A先生…彼はとても立派な作業療法士で、
そして、右半身麻痺がある作業療法士でもあった。

「A先生は俺の事分かってくれてるから、正直俺も…なんか留年しても戻ってこれるっていう部分あるし…」
「クラスに馴染もうとも、馴染めるとも思ってないけどさ…」

「私がいるからいいじゃん」

苦笑いをしながら ふっと笑って

「まぁ…うん、お前は良い友達だ」

そうはにかんで言ってくれた。


「腫瘍は 全部取り除けたの?」
「んー…この間で一応取り除けたとは思うけど…でも、今まで何度も再発してるから わかんねー」
「今のところは、大丈夫なんだよね?」
「あー、まぁな…今再発の事考えても意味ねーし…」
「まぁ…まだまだ嫌みは言えてるし…ねぇー」
すると笑顔で頭をぽかんと叩かれた。



この日、二人でマックに寄った。


セリー君は何を頼んだのか忘れてしまったが、私はコーラを買った。
大学の前のバス停ベンチで二人で座る。

「それにしても…あち゛ー」

パタパタと研修資料を仰ぎながら言うセリー君に、私は飲みかけのコーラを差し出した。

「のむ?」

その時のセリー君の表情は忘れられない。


私にとってはいつもの事だった。
飲みかけでも、食べかけでも
普通に人に勧める事。

セリー君は恥ずかしそうに 「おぉ…」と言ってコーラを手にして
ちゅーっと飲んだ。

「ぬるっ!!」

「暑いからしょうがないじゃんよー!」

そう言って笑い合ったセリー君とのひと時が

今は私のとても大好きな思い出の一頁だ。




その後…私はありとあらゆるものを全てこなそうと、
こなしたいと、自分の身体をないがしろにし続けた。
大学三年の最後の研修の日の朝…
アパートでいつものように吐血をし、
いつものように研修の用意をし、
そこで、目の前が真っ白になり
倒れた。

この日を境に 私の大学生活が終わった。


大学には戻らなかった。
一緒に研修をするはずだったセリー君にも連絡を取らなかった。

研修に出向かなかった。

その理由が何であれ、
例え大量吐血による貧血で
胃や食道に裂傷があったとしても…

「研修をサボった時点で落第」

そう とある教授から電話口で激しく言われた。


器用貧乏を突き通し続けたツケだった。

セリー君の背中はここからずーと遠くに いつの日か見えなくなっていた。

でも、セリー君だけには
ずっと振り返ることなく進んで欲しいと心からそう思っていた。

在籍時のセリー君と最後の会話だったのかは定かではないけれど
「また、マックいこうね」
これが強烈に残る彼との会話だった。


時が経ち、大学を去ってから1年以上の時が流れた。
体調が回復した私は仕事を始めていた。
2002年6月…

見覚えのない電話番号が表示され ピロリんと携帯が鳴った。

大学の教授からだった。

私に落第を告げた教授とは別に、もう一人…物静かで優し気な女性教授。


「セリー君…この一年で脳腫瘍が再発したの」

嫌な予感がものすごい勢いで私の肩に降り注いだ。

「国家試験…特別に病室から受けたんだけど…
でも、文字もかけないくらいで…受からなかった。
でも、どうしても受けたいって…どうしてもって…。

今、○○病院にいて…苗子さんに会いたいって前に言ってて…
セリー君に会いに行ってもらえないかしら?
ご両親も…苗子さんだったらって…。
もう…話せるかどうか…分からないけど…。」



次の日、朝早くに家を出た。
東京まで電車を乗り継いで数時間。
移動中、セリー君と一緒に過ごした学生生活を
一つ一つ思い出していた。
食堂でカレー南蛮を食べた事。
テキストに変な絵を描かれた事。
大口開けてパンを食べている時に「不細工」と言われた事。
研修中に突然振るえ出した左手をそっと握りしめ、
笑って、ちょっとすみませんと患者さんに笑顔を向けるセリー君。
義手を作る時の真剣な目つき。
マクラメを上手く仕上げられなくて「お前がやれ」とぽいと机の上に置いて行かれた事。
そして、マックのコーラを恥ずかしそうに飲む顔…。


病室の前に行くと、ご両親が出てきてくれた。
セリー君にはあまり似ていないお父さんとお母さん。
私に深々と頭を下げた。
「来てくださって有難うございます。」
笑みを浮かべてそう言ってくれた。


「苗子さんの事はセリーから聞いています。とても良くして頂いたお友達だと…。」

私は、セリー君に「良くした」覚えなんて一つもなかった。
嫌みを嫌みで返したり、
茶化したり、
「ひでぇー」と言われるようなことをばかり…。
でも。。。その「ひでぇー」の後にはいつも二人笑顔だった…それは
自分が「良くした」事でもなんでもなくて、
ただ「楽しかった」だけ。

「セリー…どうしても国家試験受けるんだって…
作業療法士になるんだって。。。
でも解答用紙の回答欄を塗りつぶせないくらいで…ダメでした。」

お父さんが、ぐっと下を向いて教えてくれた。

「今日は体調が良くて、今は起きているので会ってやってください。」

お母さんに真っすぐに見つめられながら言われた。

ご両親は私を病室に通すと、すっと廊下に出ていった。
一秒でも隣にいたいだろう残された時間を
私とセリー君の為に譲ってくださった。


病室のベッドの上で管が何本も体に通されたセリー君が横になっていた。

私を見ると、少しだけ口角をあげた。

「久しぶり」

そう言うと、小さく とても小さく頷いた。

目がうつろで、体の横に置かれた両腕も力なくそこにあるだけ。

「ったく…マック行こうって言ってたじゃん…」

そう言うと、ふふっと笑った。

「う゛~…」力ないセリー君の声が返ってくる。

「国家試験…受けたんだって?」

その問いには ゆっくりと瞬きをする。

「私は…途中で折れちゃったけど、セリー君は最後まで走りぬいたね」

(落ちたけどね…)何となく彼の声が聞こえて

「落ちたけど…ね」と笑って言った。

「でも、、、結果は…落ちたなんだだろうけど、でも、受けるに至らなかった人がここにいる訳で…」

そういうと そっと右腕を一瞬浮かせる。

多分私の事を指さして「バーカ」と言っているのだろう。。。
私の知っているセリー君だったらそうだったに違いないと感じていた。

小さなセリー君の動きを読み取りながら一人で会話する。
笑ったり、膨れたり、思い出したり…
でも、いつの間にか涙が流れていた。

もう…回復することはない。
前の様に一緒に隣を歩きながら ブーブー暑さに文句を言える事も
一緒にカレー南蛮を食べる事もマックを食べる事も…
ないのは 病室に足を踏み入れた時点で確信していた。

この後にした話を私はぼやぼやとしか思い出せない。。。
先生の話、中退後の話、私の今後の未定な予定…
そんなことだった気がする。

あっという間に時間が過ぎて、
廊下にいるご両親のことを思い
「これが最後」…そう思って腰かけていたベッドサイドから立った。


「セリー君…今度また…絶対にマックしようね。

約束だよ」

そう言って、彼の右手の小指に私の小指を絡めて
指切りをした。


これが…私なりのセリー君とのお別れであり

いつかまた会おうという誓いだった。



5日後。。。
セリー君が息を引き取ったと教授から電話で知らされた。。。


葬儀にはいかなかった。

あの時のセリー君との時間を葬儀に塗り替えたくはなかった。


大学二年の春。
セリー君は「落ちてきた」のではなく、
私に「降ってきた」人だったんだと
今でも思わずにはいられない。


どんなに揃いに揃った自分でも、
どんなに不揃いなセリー君を
超える事は出来なかったし、
もう挑戦する事だって出来ない。

でも、癌という辛い病気から自分の目標をも見つけ出し
癌と共に生きて、癌の歩みに足をそろえながらも前に進む。
生活の中で切り取って捨てなければならなかった事も多かったと思う。
友達、プライド、偏見、理解のなさや 恋だって…
多分沢山の事を剥いで それでも作業療法士を目指して
這いつくばって 登って行ったセリー君は
勇者の中の勇者だと私は思っている。


作業療法士にはなれぬまま天に昇ったセリー君は
きっと
空の上で様々な人のリハビリをする
素敵な作業療法士になっている…
そう思うと、
どんなどん底にいた私にも這い上がって何でもできる気がした。

その翌年、私はハタッと仕事をやめ
未知の土地…メキシコに単身で向かった。
何だって出来るんだ…そうセリー君が笑って言ってくれているような気がした。

「ばーか」

と付け加えながら…。


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その後もセリー君のご両親に手紙を書いたりしている。
忘れてないよ、ちゃんとセリー君を心に生きている人がここにいるよ
そう伝えたくて。
25歳という若さで亡くなったセリー君。
セリー君よりも断然年上になってしまった自分だけれど、
今でもセリー君は私よりも断然上を行く人で、
落ち込んだ時に空を見上げると
「ばーか」と聞こえてくる。
そして、どんな自分であっても、
いくつになっても…
自分には出来るんだと そう思える私がいるのは
他でもないセリー君が私に降ってきてくれたからだと思う。


次彼と出会った時には…

必ずマックで

お茶する予定だ。


七田 苗子

一回目の「癌」はこちらになります。







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