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「こんなこと言って大丈夫かな」を越える

この世にはいろいろな見えない枠がある。
世間の常識。
既存の価値観。

ポジティブのほうが良くてネガティブはダメ。強くあるべきで、弱いのはダメ。
○○であるべき。
こういうときは●●するものだ。
無数にある、その見えない枠に、私たちは怯え、自分の本当の声を出せない事が多いのではないでしょうか。
この世の中は、ジャッジに溢れすぎているし、前に進み続けることをよしとされすぎているから、「キモチ」が知らず知らず誤魔化され抑圧されて、行き場を失いがちです。

この枠から出てしまったら受け入れられないのではないか・責められるのではないかという怯えが、自分も他者も縛っていく。

カウンセリングやコーチングの場であっても、やっぱり、意識的に無意識的に「こいつは大丈夫か」と観察して、安全かどうかを確かめながら、内側を表現されていくプロセスがあります。

仕事がつまらない
上司が大嫌い
こどもが不登校で悩んでいる

といったことであれば、

愚痴めいたことは嫌がられるのではないか。
「そんなこと思わないで」と言われやしないか。
問われたことに、正しくわかりやすく答えないといけないのではないか。
という不安が湧く。

まして、

こどもが可愛いと思えない
親を恨んでいる
既婚者を愛している

といった、一般的な枠から外れるかもしれないことは、
「正されるかもしれない」「引かれるかもしれない」という怖れがつきまとうものです。

対人援助職としては、何が出ても、そのまま、そこにあるものを受けとめること。
急かさず、評価判断せず、寄り添うこと。
その奥にどんな想いがあるのか、どんな感覚でその場にいるのかに意識を向けること。
が、試されます。

そのためには、自分のことをよくわかっている必要があります。
仮に「不倫は絶対許せーん」と思っているとしたら、おそらくそのテーマに適切にかかわることはできません。

「これは大変な悩みだけど、これくらいはそこまでじゃない」そんな基準が自分の中にあったら、相手の差し出したものを無意識に評価判断・分類してしまって、相手に寄り添えなくなります。

自分がジャッジの物差しを沢山持っているほど、やっぱり相手と共にいることを難しくする可能性が高くなります。
関わる側の人間は、自分のクセや状態や限界を知ること、そして自分を癒しクリアにし続けていくことが欠かせません。

「こんなこと言って大丈夫かな」「これは受け止めてもらえるだろうか・・」という怯え。
それを越えて、「思い切って出してみよう」と言葉にするときの勇気。
そういった気持ちも大事に大事に受け取りたいと思います。

肩に力を入りすぎるのも良くないけれど、まだまだ、「うまく聴けなかったなあ」と反省することもあるけれど。

本当の声が出せる場所が、すべての人にありますように。
すぐに答えが出ないことも沢山あるけれど、沸き起こっているエネルギーを、「なかったこと」にしてしまわないでほしい。
事実は一つだけど、事実がどうあれ、生まれた感覚・感情の中に、今のあなたの真実があるのだから。


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