見出し画像

大人こそアップデート

 教育に携わっていると、子どもたちのみならずおうちの方、先生方などいろいろな方と交わる機会がある。その中で感じるのは、子育てや教育に携わる大人がいつも抱えている不安が大きいこと。大人はその不安で動かされていると言っても過言ではない。

 私は小さな英語教室を運営する、一英語講師。私にもかつては不安があった。「生徒の成績が上がらなかったら、私の責任」「ちゃんと出来る様にしてあげなきゃ」「他の英語教室はこんな取り組みしててすごい」…自分が好きで始めたことなのに、だんだんその圧力が重くなってきた。そして道を見失いそうになってしまった。その時に、私はその「不安」自体と向き合ってみようと思った。私は何をそんなに恐れているのか。言葉だけで言うと、生徒の成績、成果を出すこと、目に見えた取り組みをすること…果たしてそれが私の興味なのか。考えて考えて、一番自分が認めたくない触れたくない部分が最後に残った。

【基準を自分ではなく人においてしまっている自分】

 
生徒には「自分のことは自分で決めよう」とか「主体性を」とか言っている私たちが、今までそう学んできた様に当たり前に自分を人と比べて焦っている。今の教育の問題はそこにあると思う。結局、親や先生自身が主体的ではないということ。

 実は、この「今までの自分に疑問を持つ」ことは、大人になればなる程しんどい作業だ。それまで偉そうに人に「主体性が大事」と説いていた自分自身に同じ問題があったなんて、恥ずかしいしプライドが傷つくし、認めたら負けみたいに思える。でも一つ言えるのは、それと向き合わずに誤魔化し続ける方がよほど恥ずかしくて罪が大きいということだ。

 私は息も絶え絶え、その自分自身と向き合ってみた。海外生活でもっと「自分主体」に生きることを学んできていたはずの自分。子育ても少しオリジナリティーを持って取り組んでいたつもりの自分。それを「私はまだまだ人の目を気にしていた」なんて恥ずかしくて絶対に認めたくなかった。
でも、最後に残った違和感はそれしかなかったので、向き合うしかなかった。

 恥ずかしくて、辛くて、今までの私はなんだったんだ、みたいな気持ちになって…でもそこにガッツリ向き合ったら、ものすごく幸せな毎日が待っていた。私は「人の評価」「人の目」を気にしていた自分を一つ一つ見つけ出し、それを改める作業をした。そして私の英語教室は「成果を出すことを目的にしない教室」として生まれ変わった。
 広告や告知には全てその考え方をしっかり入れ、あらゆるSNSで私主体の場を徹底的に表現し続けた。体験レッスンに見えた方にも包み隠さず自分の出来ること、しないことを伝えた。そもそも集客ばかり考えて自分を歪めていては、自分がフリーで仕事をしている意味がない。自分主体の仕事ができないなら、もし誰も生徒が集まらなかったらニーズがないということなので、サッサと畳んでどこかに雇われよう。英語講師は常にニーズがあるので仕事は見つかるだろう。そういう覚悟で自分の教室をリニューアルした。

 結果は。生徒が増えた。しかも私の思いに賛同する方々ばかりになった。だから教室運営のトラブルで悩まされることはない。人の目を気にして100%の人に支持されたい、と思っていると結局自分を見失う。でも自分100%で行くと、心で繋がれる人と出会える。これは大きな収穫だった。

 勇気と覚悟は必要だけど、今までの自分、今までの教育、今までの価値観に疑問を持つことを恐れない大人の存在は、親であれ先生であれ必要だ。子どもたちはSNSでどんどん考え方も価値観もアップデートしていく。その中で、未だに数世代前の価値観や差別意識を大事に携え、それ自体に疑問を持つこともせずに今の子どもたちにぶつけてしまうことの罪深さを自覚すべきだ。

読んでくださって、ありがとうございます。 もし気に入ってくださったら、投げ銭していただけると励みになります💜