ポジティブ洗脳① 〜心の準備編〜

新聞で面白い記事を読んだ。その中にあった言葉が「ポジティブ洗脳」。
内容を読むと私と似ている気がしたので、ここにその経緯と困難を数回に渡り、記しておこう。

「褒め育て」で見えること

 上から目線で叱りつけたり圧力をかけたりして子どもを育てることの問題点が見えてきた時、「褒め育て」が自尊心を取り戻すことに繋がると話題になった。それから「褒める」ことの重要性が叫ばれあらゆる活動がされているが、それを見ながら違和感を覚えることがある。

 いわゆる「褒め育て」を軸にして教育を進める教師のグループなどにも入ってみたし多くの実践されている先生方や親を見てきたが、違和感があるのは、その目的が「褒める」になっているということ。これは教育では本当に「あるある」なことなのだが、良いと言われる方法が流行り出したら、とりあえずその方法を目的にする人が出てくる。
  例えば「褒める」だったら、ただ褒める。思いもよらない結果が出てきた時にその人は「いえ、私は褒めてました」と言う。本当はその褒め方に意味がある、と知る方が大切なのだが。
 「褒める」という行為の先の狙いやそれが子どもたちにどう響くかまでを見ながら調整出来るのが生身の人間なのだが、それがただ機械的にその方法を取り続けるのでは、逆効果どころかとんでもない勘違いを子どもに植え付ける。
 脅すつもりはない。ただ私が伝えたいのは、せっかく「しよう」と思ってそこに目を留めたのであれば、それに実験的にじっくり取り組んでほしいのだ。ただ「しました」と形だけではなく、それをしたことによって子どもがどう変わった、そこまで見つめていて欲しいのだ。どんな教育法も子どもが幸せになるために取り組んでいるのだから、その幸せを見届けて欲しいのだ。

大人の手柄、大人の見栄

 私がこのことを通してあなたに問いたいのは、その行為は誰のためのものですか、ということだ。ちょっと厳しく耳に痛く聞こえるかも知れないが、私自身もこの衝撃を少なからず受けて目覚めたので敢えて。

 私たちは気付かずに「自分のための」教育や子育てをしている。それは「もっと良い先生だと思われたい」「ダメな親だと思われたくない」という言葉を自分に向けたらわかる。リトマス紙の実験の様に、その言葉を向けられたら心が薄く色付いてこないか。全くクリアであると言い切れるか。
 私たちには少なからずその気持ちがある。実験をする前から色がハッキリクッキリ見えている方もいるし、パッと見は子どもを大いに褒めて模範的に見えても、薄く色付く人もいる。最初にこれを自分に向けた時、その言葉は刃物の様に私の心を傷つけ、えぐった。そこから目を背けたかったし、自分は違う、自分は...と叫んで逃げ出したかった。私も良い先生で、良い親でいたかった。

正しい先生も正しい親もいない

 現実は、自分のことはさて置き目の前の子どもの幸せだけを考えて...と心から言える人はいないと言える。でも希望は「前は違ったけれど、今はそうなった」人がいるということ。
 私はボロボロの心でそれまでの自分の過ちを悔い、なんて傲慢だったんだと恥ずかしさでいっぱいになった。子どもたちに申し訳ない気持ちでいっぱいになった。愛情がなかったということではない。愛情とは関係なく、子どもたちが褒められると自分が褒められた様に嬉しくなることもあるし、それをまるで自分の手柄であるかの様に感じていた。でも逆に子どもが何か壁にぶつかると目の前で苦しむ子どもをいたわる自分と、子育てや指導に失敗した惨めな自分が同時に見えていた。

 そんな自分を責めて、「馬鹿だった、私には子育ては向かない。」「指導の仕事は合わない」そう捉えるのか。否、それはもったいない。そんな人にしか出来ない育児や指導は、そこから始まるのだから。
 自分の手柄が欲しいと願うことや見栄は人が持つ標準装備の当たり前の感情で、私たちはそれを切り捨てることは出来ないし切り捨ててはいけないのだ。大切なのは、人間にはそんな感情があるのだと「知る」こと。そしてその気持ちが大きく膨らんで目の前の子どもを傷つけそうになったら、「思い出す」こと。それが出来るのは、恥ずかしい思いや悔いる辛さを味わった人なのだから。

子どものために出来ること

 では子どものために何が出来るのか、それはシンプルに言えば「自分は子どもと一緒に学ぶ」と自覚すること。その真逆にあるのは「私は先生だから、親だから、教えてやろう」というマインド。それが強い方は、一旦自分と相談してから、始めていただきたい。「お前のためにやってやる」という奢った気持ちは、後から大変な誤解やお互いに成長しない、という悲しい結果を産み出しがちであることは、皆さん経験上十分ご存知だろう。

 では、自分がちょっと、またはかなりヒリッとした気持ちを味わう覚悟がある方は、一緒に始めよう。まずは一つ方法を選び、そしてスタートラインに立つのだ。
 例えば「よし、褒めて伸ばしたい」と思えば、褒めたら終わりで自分的にそれが出来たからゴールではなく、それに取り組み始めるところがスタート。褒め方によって子どもがどう変わるか、それを見ながら進める。すると必要な情報や読むサイト、本も変わってくるだろう。褒め方一つで子どもとの関係、子どもの様子は劇的に変わる。良くも悪くも。

 次回は「褒め方のコツ」について書こうっと。

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