見出し画像

生きづらさを手放す順序、そしてタイミング

生きづらさを手放すとき、順序があります。

本に目次がある様に、生きづらさを手放す際には、順序があるのです。

その順序を理解、把握することは、生きづらさを手放すことの助けになります。

自分の心が今、どういう場所に在るのか、が分かります。
自分の心の状態が分かります。


細かな説明は、今記事ではしませんが、
生きづらさを手放すことを望むならば、最終的には、自分と向き合います。
自分と向き合うことが、生きづらさを手放す、全て、だと思っています。


しかし、その物語の本編とも言うべき、自分と向き合う、ことの前に、
前書き、が有ると思っています。

その前書きとは、心の中の、確かな【自分】という意識、を引っ張り出すこと、です。

本編に入ったなら、【自分】と向き合います。

けれども、生きづらい人のほとんどは、心の中の【自分】が育っていません。

【自分】と向き合おうにも、向き合う【自分】が無い、のです。

無い、と言いましても、【自分】は無くなってしまうことは、ありません。

ただ、固く小さく縮こまって、隠れてしまっています。

本来なら、【自分】は湧き上がる感情を感じ取る、主体、であり、
人生の主役です。

しかし、生きづらい人は、生まれた時から、
自分の感情を捨てて、親の感情を優先して生きざるを得なかった人です。
生きづらい人は、自分の人生の主役の座を追われ、親が主役の人生を、脇役として生きて来た人、なのです。

親は、その人の心に土足でズカズカと入り込み、その人の心を統治下に治め、
感情の発露から、規制し、抑制し、コントロールし続けたのです。

子供の心は、感情の自由、を奪われた時点で、成長の歩みを停めてしまいます。

心の中の、確かな【自分】という意識は、満足に育たず、発育不全な状態で小さく固く縮こまったまま、心の隅っこに隠れてしまっているのです。

だから、自分と向き合う為には、隠れている【自分】をひっぱり出す必要がどうしてもある、のです。

【自分】が無いのに、自分と向き合おう、とすることは、

キャッチボールをしたことが無いのに、野球の試合に出て、ファインプレーしてやる、と意気込んでいる様なものです。

素振りすらしたことも無いのに、打席に入ってホームランを打とうとしているのと変わりありません。

生きづらさに気がついて、その苦しみから逃れたい一心で、自分と向き合おうとしても、
更には、自分と向き合っている、と言い張ったとしても、

向き合うべき【自分】が隠れてしまっていては、向き合うことは叶いません。


これまで親の感情を当然の様に優先して生きて来た人は、感情が硬直化して動きづらい上に、

感情を感じ取る、主体、である【自分】が発育不全で縮こまって、隠れています。

この状態に在るならば、感情を動かすことと、
感情を感じ取ることを目指します。

そのアプローチが、やがて隠れていた【自分】を心の真ん中に引っ張り出す事に繋がります。

生きづらい人は、純粋な「好き」「嫌い」が分かりません。

損得の絡まない、例えば、好きな色、好きな数字、といったどうでも良い事に、なればなるほど、択ぶ事が苦手です。

そんなどうでもいい好きや嫌い、が無い人は、通勤途中の花壇の花に感情が動きません。

朝起きて、ロボットの様に無感情なまま、歯を磨き、顔を洗い、身支度をして、通勤途中の花壇の花が季節の移ろいにつれて、変わった事にも気が付かず、生きています。

肉体的には生きていますが、感情は死んでいます。

その状態で、【自分】と向き合う事は出来ません。


【自分】が育っていない人に、「好き嫌い」を探すことから始めて、
損得では無い、興味、を探しましょう、と言うと、

大半、鼻で笑いますし、中には、「そんな悠長な事をしている場合じゃ無い」と気色ばむ人も、少なからずいます。

「いくらなんでも、他にないんですか」と詰め寄る人もいます。

キャッチボールが出来ないのに、ファインプレーを求めています。

その人は、こんなに自分と向き合っている、と主張します。

しかし、キャッチボールを頑なに拒みます。

おそらくその人は、自分と向き合っている、と主張しながら、向き合えていないことを自覚しています。

しかし、小さな事から始める覚悟はありません。

つまり、自分と向き合うことが出来ないから、外に魔法の杖を探しています。

一足飛びに、どうにかしたい、のです。

自分が無い人が、自分の好き嫌いを探すという小さな事から始める覚悟を固めた時、実は多くの人が、

自分を引っ張り出す事、自分を育てる事、そして自分と向き合う事、の全てがいっぺんに進み始めます。

一気に、です。

つまり、
小さな事から始めても必ず、
正面からぶつかって必ず、
何が何でも生きづらさを手放す、
という覚悟を固めることが、

鍵なのだ、と思っています。


冒頭に触れた様に、生きづらさを手放すには、順序、があります。

と同時に、タイミングが有る、とつくづく感じています。

タイミングとは、その生きづらい人が、生きづらさを引きずって生きる事に心底、飽き飽きしているタイミングです。

勿論、生きづらい人は苦しんでいます。

しかし、生まれてからずっと慣れ親しんだ感覚から、変化する事は、とても恐ろしいのです。

小さな事でも何でも、とにかくやるんだ!と覚悟を固める事無く、

外に魔法の杖を探すうちは、そのタイミングでは無い、のだと思います。


過酷な生育環境に生まれ落ちた人が、生きづらさを抱える心の仕組みは、残酷、とも感じてしまいますが、

気づいて覚悟を決めたなら、

遠回りにも思える小さなことに、取り組んだ時、

気づきの連鎖が起こり、瞬く間に、生きづらさを手放すに至ることには、

心のこと、の不思議さと、

そして、優しさ、すら感じます。

鍵は、

小さなことから始める覚悟、です。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。

伴走者ノゾム








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?