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その人が、ポジティブな世界に軸足を置いて、軽やかに生きているのか、
はたまた、ネガティブな世界の住人として、重々しい気分を引きずって生きているのか、は、
傍目には分からない事が多い、と思っています。
傍目には分からなくても、基本的に軽やかに生きている人も居て、
重々しい人生を歩んでいる人も居ます。
両者を分かつものは、
自分を受け容れているか、
自分を責めているか、
の違いだと思っています。
軽やかな気分で生きている人は、
重々しい気持ちで生きている人からしてみると、
驚く程に、自分を責める、という事がありません。
その人の人間性に、深み、があるか無いか、は別の話しになりますが、
自分を責めない人は、軽やかです。
但し、自分を責めることから目を逸らす為に、他者を責める人は、その限りではありません。
その様な、他責の人、は、自分を責める苦しさから逃れる為に、他者を利用しているのであって、
その、責めのベクトルが自分に向いていれば、自責、
ベクトルが他者に向けば、他責、になりますから、
根本原因は、抱える無価値感です。
言い換えるなら、
軽やかな気分で生きる人は、
軸足をポジティブな世界に置いた人であり、
ポジティブな世界に軸足を置く為には、自分を受け容れる事が絶対条件です。
重々しい気分で生きる人は、
軸足がネガティブな世界に置かれています。
ネガティブな世界に軸足を置いてしまった原因は、自分には価値が無い、という信念にも似た、思い込み、です。
同じ人間でありながら、軽やかな気分で生きる人と、重々しい気持ちを引きずって生きる人が居るのは、事実です。
整理すると先ず、
軽やかな心持ちで生きる人と、
重々しい気持ちで生きる人とに別れます。
そして更に、
重々しい気持ちを自分で受け留めようとする、自責、の人と、
他者を攻撃する事で、自分の重々しい気持ちから逃避しようとする、他責、の人に分かれ、
更に、限界を迎えるまでは、自分を責め、耐えられなくなった時点で、他者を攻撃する人もいます。
自責の人は、そのままで心が晴れる事は無いでしょうし、いつか本当に動けなくなってしまいます。
他責の人は、自分の代わりに、責める事が出来る、標的、を探し求める生き方になってしまいます。
家庭内での虐待、学校や職場などでのイジメ、悪質なクレーマー、といった事の根っこには、
自分を責める事から目を逸らす為に、他者を責める心理が有る、と思っています。
トラブルメーカーは、他責の人、である場合が多い、と言えます。
そして、基本的には自責の人であるけれども、一線を越えると、他責、に転ずる人も、多くいます。
基本的には、無価値感に苛まれており、常に自分を責めています。
その状態は、只そこに居るだけで申し訳無い様な、いたたまれない心境です。
つまり、ずっとその、いたたまれない状態を我慢しているのです。
我慢の堤防が何かをキッカケに、決壊した時、自分よりも弱い存在や、責めても構わない、と判断した対象を責め苛みます。
自責の人、他責の人、自責と他責の狭間で揺れる人、現れ方に違いはあれど、
根本は、自分は無価値な存在だ、という思い込みです。
何故それ程までに、自分を無価値だと決めつけてしまったのでしょうか。
それは、無価値な存在として扱う人と、密に関わり合う環境で育ったからです。
生まれた時から、一人の人として尊重される事無く育ったからです。
尊重されない生育環境とは、わかり易い肉体的な虐待ばかりには限りません。
親から一度も手を挙げられた事が無くても、心理的に傷だらけにされてしまう生育環境はあります。
虐待、という概念が広く知られる現在では、むしろ心理的虐待が殆どだと思います。
肉体的にしろ、心理的にしろ、虐待を受けた人は、自分を無価値な存在だと思い込んでいます。
その人が二十歳なら二十年、五十歳なら五十年の長きに渡って、自分を無価値だと思い込んで生きて来たのですから、
軽やかに生きる人は、自分を受け容れた人、だと聞いても、
簡単に自分を受け容れる事は出来ない訳です。
そんな時、
自分を受け容れられない自分、を責めないで欲しく思うのです。
これまで、自分を責めっぱなしで生きて来た人は、
当たり前の様に、自分を責めてしまいます。
しかも、当たり前過ぎて、自分を責めている、という事にすら、気がつかない事が多いのです。
自分を受け容れられない自分、を受け容れることから始めてみて欲しいのです。
自分を責めてしまう自分、に、
「あんな苦しいことがあったんだから、仕方が無いよね」
と語りかけて欲しいのです。
自分を責めに責めて生きて来たのですから、
きっと最初は、自分に優しく接することに、抵抗があると思います。
それでも、何度も語りかけて下さい。
心の中の傷ついた自分は、幼かったあの日のままです。
何度も、何度も、語りかけるうちに、
何かが溶けて流れることを感じます。
心の中の傷ついた自分は、
その時を待っています。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
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