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失敗と、自分の価値、は無関係
間違いを認めること、が出来ない人は多い、と思っています。
勿論、何でもかんでも自分が一歩引いて、「ごめんなさい」を配って歩く事を奨めるものではありません。
しかし、人である限り、誰もが間違う訳です。
明らかに、自分が間違えてしまった時、その事実を認める事が出来るか、否か、には、
その人の心の成熟度、更には自分に対する満足度、が如実に現れる、と思うのです。
誰しも、他者よりも優位に立ちたい、という基本的欲求は有ります。
それは、生き物として備わっている欲求であり、無くしてしまう事は出来ないでしょうし、無くす必要も無い、と思っています。
ですから、自分の間違いを認めたく無い、という感情は、程度の違いはあれど、誰もが陥り易い、と思います。
程度の違い、と言いましたが、健康的な範疇の、負けず嫌い、は時に、その人の可愛らしい個性、と接する人が受け取る場合も珍しくは無い、と思うのです。
しかし、その特性が度を越したものになると、
事実を捻じ曲げてまで非を認めなかったり、
失敗の責任を他者に負わせたり、人間関係を阻害しますし、
何より本人の、生きづらさ、は計り知れない、と思います。
度を越して、自分の間違いを認める事が出来ない人は、
間違いや失敗が、自分の価値、に直結して感じられる人、と言えます。
心に、自分という存在に対する、安心感、が不足している、のだと感じます。
自分に対する、安心感、が足りていれば、自分が犯した失敗や過ちは、歓迎する出来事では無いにしろ、
起きてしまった出来事であり、事実なのですから、受け容れます。
受け容れますが、それと、自分の価値、とは無関係である、と感じます。
心に、自分に対する安心感、がある人にとっては、
自分は間違ってしまったけれども、間違っても、自分には変わらず、価値が有る、と感じられるのです。
ところが、自分に対する安心感、が不足している人は、
もともと自分という存在に対して、自分自身が懐疑的です。
自分で自分を疑ってかかっているのですから、他者の自分に対する評価が、自分の価値を決める、と言っても過言では無い心理状態に、常に在る、ということなのです。
だから、失敗しても、間違っても、認める事が出来ず、
言い逃れたり、責任転嫁したり、という言動に繋がります。
自分に安心感が足りていない、ということは、いつも追い詰められた心理状態で生きている、ということです。
では、どうしてその人は、追い詰められた心理状態で生きる事になってしまったのでしょうか。
端的に言うならば、
責め立てられる環境に育った、という事に尽きると思います。
別の言い方をすれば、その人の親は、子供を尊重する事が出来る程の、成熟した心を持ち合わせていなかった、という事です。
心のこと、を考える時、その答えは出来事や、他者の心には無く、自分の心の中に有る、と捉えていますが、
唯一の例外が、幼少期、だと思っています。
幼い子供は、親から肯定的に受け容れられ、
一人の人間として、尊重、される中で、自分に対する、安心感、を手に入れますが、
肯定的な受け容れにも、人として尊重するにも、親の心が、親になる事が出来る段階まで成熟している事が求められます。
心が未成熟な親は、親自身が抱える心の葛藤から目を逸らす事に必死で、
子供の心を思いやる事など出来ません。
生まれた時から、思いやってもらえない環境に晒された子供の心に、安心感、が満ち足りる事は無い、のです。
未成熟な親は、
子供の心を思いやる事が出来ません。
子供は気持ちを汲み取ってもらえず、逆に親の気持ちを汲み取る事を迫られ、追い詰められます。
未成熟な親は、
子供の成長を待つ事が出来ません。
子供は、ちゃんと出来る事、を求められ、親の顔色を伺い、自分の感情を投げ捨て、追い詰められます。
いつも追い詰められて生きているのですから、その子の心に、安心感、が満ちる事は無く、
ハナから自分の価値を疑っているのですから、失敗や間違いを認める事は、
疑いを、確信に変えてしまいます。
自分には価値が無い、という思いを固めてしまいます。
だから、言い逃れます、自分の価値を守る為です。
だから、責任を転嫁します、そうしなければ、自分は無価値になってしまうから、です。
過度に自分の非を認めない人は、追い詰められている人、です。
自分の非を認める事が出来ない、という、今現在の心の状態に気がついたなら、
そこから紐解く事が、
生きづらさを手放す糸口になる事もある、
と思っています。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
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