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自分と他者を分けることの重要性

「あの人は自分を◯◯だと思っているから…」
「周りはみんな自分を✕✕だと思ってるんですよ」
といった意味の事を言う人は少なくありません。

そう言う人は、それが自分の感触、考え、憶測であるという事に気がつきません。

「どうして分かるんですか?」
「確かめたんですか?」

と尋ねても、

「確かめなくても分かりますよ」

と、答えます。

その人は、おそらく、自分と他者の感情を分ける境界線、が、極めて曖昧な人に囲まれる環境、
もしくは、養育環境に於ける最重要人物が、境界線の曖昧な人、だったのだと思います。

つまり、その人の家族や、親が、自分と他人の感情をごちゃ混ぜにしていたのだと考えます。

感情の境界線が曖昧な人は、独りよがりな心理世界に棲んでいます。

自他の感情を分ける心理的境界線は、心の中の、確かな【自分】という意識、の外郭線です。

【自分】が形作られるのと、心理的な境界線が引かれるのは、同時、です。

【自分】が有るのに、心理的な境界線が曖昧、という事は有り得ず、
心理的境界線がはっきりしているのに、【自分】が無い、という状態もありません。

【自分】が有る人の、心理的境界線ははっきりと引かれているのです。

人は、自分の、心理的境界線、から、相手の、心理的境界線、までの距離を測りながら、コミュニケーションを図ります。

心理的境界線が曖昧、な場合、【自分】が満足に育っておらず、
相手との心理的な距離を測ることも出来ないので、
人間関係は、ぎこちないものに、ならざるを得ません。

つまり、【自分】があり、心理的境界線がはっきりと引かれて初めて、自分が居て、相手が居て、周囲の人が、浮かび上がる、と言っても過言ではありません。

【自分】が脆弱であれば、心理的境界線は曖昧で、極めて、独りよがり、な世界に、その人は生きている、ということなのです。

その状態は、生まれて間もない赤ん坊の心理的世界です。

その頃の赤ん坊には、自他の心理的な区別がありません。

自他の心理的区別が無い事によって、赤ん坊は、母親との一体感を感じ、心理的に母親に抱かれる事で、

赤ん坊の心は成長します。

しかし、その人生最初の母子が心理的に一体になるべき時期に、

一体になることが出来なかった子は、心に【自分】が育たず、心理的境界線が曖昧な人になります。


冒頭の自分の憶測を、他人の感情と取り違える人は、
心穏やかに生きる事がままなりません。

母子の一体化に失敗した人は、母親の愛情を取り込み、それを安心感に変えることにも、失敗しています。

その人は、自分の存在に対する、安心感、が無く、
代わりに自分は、無価値である、という思い込みを持つに至ります。

自分を無価値である、と思い込んだ人が、
自他の感情をごちゃ混ぜに感じ取ってしまうのですから、

自分が自分を、無価値、だと思っているのに、
それが、他人が自分を、無価値、だと思っている、と感じてしまいます。

そんな世界を見て、そんな世界に立っていたら、

世の中は不快で、
人々は悪意に満ちて見えてしまいます。


自分の憶測を、他人の感情と取り違える人が、
その事に気がつく事は、易しい事ではありません。

頭が良くても、知識があっても、関係ありません。

どうしても、気がつき難いのです。


気がつき難いですが、

様々な角度から自分を眺めるうちに、

必ず、突破口は見つかります。


その一つが、

あの人が、自分を〇〇と思っている、
皆が、自分を〇〇と思っている、

という事の根拠を探してみる事、です。

あの人を、問いただしたのか、
皆の意見を、聞いて回ったのか、

そうでないなら、

自分はどうして、そう決めてかかっているのか、

探ってみる事も、

気づきに至る、一つの角度、だと思います。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム

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