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思考停止?

思考停止、よく耳にする言葉です。

たとえば、先日、米国でトランプ氏が演説中に銃撃された事件を速報で伝える日本のニュースキャスターが、「これで選挙がトランプ氏に有利に働きかねない」と、報じました。

速報ですから報じた時点では、死傷者の情報はスタジオに届いていなかったとしても、巻き添えで亡くなった方、負傷した方も実際いましたし、

それでなくても、あれだけ多くの聴衆が居る場所での銃撃ならば、トランプ氏を含めたその場に居る方々の安否を気遣う事が最初の自然な感情の様に感じますが、

その速報を伝える中で、キャスターは、大勢の聴衆には、思いが及ばず、 

しかも、次の大統領選への影響に言及した上に、銃撃され負傷したトランプ氏に「有利に働きかねない」と中立性を著しく欠いた見解まで差し挟みました。

勿論、本記事にキャスターを断じる意図は有りませんが、

速報でのキャスターの発言に違和感を覚えた方は、沢山居られた様で、

一斉にバッシングが始まりました。

SNS上でも、キャスターが思考停止している、といった意見が散見されました。


局の意向に沿った発言だったのかも知れませんし、番組内の空気、の様なものがあったのかも知れないので、

キャスター個人の人格について攻撃するのは違う様に思いますが、

そのニュースが、今飛び込んで来た、速報、という緊急性を帯びたものであり、

言葉のチョイスや、多方面への配慮の前に、キャスター自身の考えが色濃く現れる局面であった事は、間違い無い様に思います。


思考停止、と言いますが、その思考停止の状態に陥っている人は、感情が動き辛い人、が多い様に思っています。

思考停止という言葉とは、相反する様に受け取られるのかも知れませんが、

思考停止の状態にある人は、思考一辺倒な人、の様に感じています。

感情の動物である私達人間の感情は、常に動いているのが、あるべき形だと思っています。

一方、思考のあるべき形は、ここぞという時に集中的に働く形だと考えます。

前出のキャスターは、局の意向、番組内の空気、多方面への配慮といった条件が重なったとはいえ、思考停止している、と厳しい意見に晒されても、

ある意味致し方ないのかも知れません。

キャスターに欠けていたものを、思考、にフォーカスしてお話しするならば、想像力、です。

この発言がどう受け取られるのか、
この発言が世の中にどんな影響を与えるのか、
この発言をする事で、どうなるのか、

という、想像力、です。

キャスターに欠けていた物は、感情、にフォーカスを移したならば、思いやり、です。

銃撃されたトランプ氏は無事なのか、
沢山の聴衆は無事なのか、

思考エリアの、想像力、は、感情エリアの、思いやり、に紐付く関係性です。

そして本来、感情は光の速さで動きます。
思考の動きも速いのですが、感情に比べるとゆっくりです。

何も見えない暗がりで「わっ!」と驚かされたら、「うわっ!」と意味も無く声が出るのは、感情だけが動き、思考がついて来ていないからです。


機能不全家庭の親は、思考のエリアにフォーカスしてお話しすれば、想像力、が働きません。

子供にこんな事を言ったらどうなるか、
子供にこんな事をしたらどうなるか、

想像する事が出来ません。


想像力が紐付く、感情は、思いやり、です。

親の感情が動けば、

子供にこんな事を言ったら、どんなに悲しむだろう、
子供にこんな事をしたら、どれ程傷ついてしまうだろう、

と子供を労り、子供を慮り、子供を思いやります。

考えるより先に、光りの速さで思いやります。

感情が動く親の心には、子供を傷つける言動に至る前に、思いやりの光りが射します。


世に言う、思考停止、の状態を分解して眺めたら、
思考一辺倒の人が、思考を感情に紐付ける事が出来ない為に陥る状態、の様に思います。

本来、光りの速さで常に、思考に先んじて動く筈の感情が、動きづらくなってしまった時、

人は虚無に陥る事を回避する為に、動きづらくなった感情を、
思考をフル稼働する事でカバーしようとします。

感情は動かず、思考のみフル稼働するのですから、思考一辺倒、なのです。

本来、対の物である筈の、思考と感情が紐付く事が無い時、
それは、情緒を欠いた状態と、自己独立性を欠いた状態を創り出します。

思考停止と表現される状態は、実は感情の鈍麻に原因が有ります。

銃撃事件の後に、一気にキャスターに集まる誹謗中傷もまた、思考が感情に紐付いておらず、思考一辺倒で善悪をジャッジし、悪い事をしたから叩け、という思考に至るのは、他者を思いやる、という感情は働いていない様に思います。

失敗したから叩け、というのは、短絡的で思いやりの無い、情緒の欠落、の現れですし、

皆が叩くから、自分も叩く、のは、自己独立性の欠如と言えます。

前後しますが、先に触れたキャスターも、銃撃の被害者に思いが至らないのは、情緒の欠落、
局の方針や空気を優先したとすれば、自己独立性の欠如、と言えます。

機能不全家庭の親は、子供を思いやれない時点で、情緒は欠落していますし、

そもそも、子供の犠牲の上にしか成り立たない機能不全家庭の親は、自己独立性が欠如しています。

銃撃事件を離れて、少し前の、マスクが不足していると聞いて、慌てて薬局を回り買い占めるという事象なども、

思考停止、と言われた代表例だと思いますが、情報や他者の考えをそのまま自分の中に取り入れる人は、

思考一辺倒で、思考よりも先に動くべき感情が動いていない様に思います。

自分だけが助かりたい、という思いに飲み込まれるのは、情緒の欠落、
皆がそうするから自分も、というのは、自己独立性の欠如、の現れです。

最後に一つ付け加えると、

感情が光りの速さで動く人の基準は、快不快、好き嫌い、であり、
思考一辺倒の人の基準は、
得か損か、に偏りがちです。

思考一辺倒の状態にある時は、その事に気が付く事はなかなか難しいのですが、

損得勘定なんかで動いていない、と固く思っていても、

一度、立ち止まって、思考一辺倒に陥っていないか、損得勘定で動いていないか、

注意深く見てみる視点を持つ事は、

大切なのではないか、と思うのです。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム















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