そのままで月の光りを放つから
いつも、生きづらさを手放すこと、についてお話しすることが多いのですが、
生きづらさを手放したから、それでゴール、それでおしまい、という事では、ありません。
確かに、過酷な幼少期を過し、少年になり、青年になり、大人になっても続く生きづらい人生に終止符を打つのですから、
通過点と言うには、余りにも大きな変化です。
それまでは、水中でしか呼吸が出来なかったオタマジャクシがカエルになって、陸上にまで行動範囲を拡げる様な変化です。
それまでは、葉っぱの上をゆるゆると歩いていたアオムシが、羽を拡げ宙を舞うアゲハチョウになる様なものです。
カエルやアゲハチョウの様に、目に見える変化ではありませんが、
生きづらさを抱えて生きざるを得なかった人が、その重たい荷物を降ろすことは、生まれ変わるにも等しい変化です。
かと言って、苦しい過去をかなぐり捨てて、新しい自分として、新しい人生を歩み始めるのではありません。
過去の長く苦しんだ自分が、今の自分に取り込まれる、溶け込む感覚だと思います。
統合される、ということだと思います。
生きづらさを手放したら、愛情を惜しみなく注がれて育った健やかな人と同じになれる、と思っている人も多くいる様に思います。
私もそう思っていました。
しかし、どうやら、そうではない様です。
傷ついた自分は、今の自分に溶け込みますが、かつて傷ついた、という事実は事実として、そこに残ります。
傷は生々しいものでは無くなり、痛みも遠退きますが、傷跡は残る様です。
その傷跡を見るにつけ、
そんなこともあったな、だから長く苦しんだのも仕方がない、よく頑張ったな、
そう感じ、
自分を慈しむ気持ちが、あとから、あとから、湧いて来ます。
傷跡が残ることで、かつて必要な愛情を与えられることが無かった人は、
今の自分が、過去の自分に愛情を与えることが出来る様になります。
かつて愛情を注がれた健やかな人は、理屈では無く、自分の存在に対する安心感が有ります。
安心感とは、自分には価値が有る、という感覚です。
だから、感情の動きは極めてストレートです。
価値有る自分の感情に疑念が無いから、ストレートです。
価値有る自分が、好きなのだから好き、
価値有る自分が、嫌いなのだから嫌いなのです。
たとえば、心理的な境界線を越えて、ズカズカと踏み込んで来る不遜な他者には、理屈では無く感覚で即座に防御します。
勿論、心理的な話しで、攻撃的な言動を表すということでは無く、心の姿勢として、即座に拒否、ということです。
健やかな人のストレートな感情の動きに比べて、生きづらさを手放した人は、感情の動きにワンクッション有る様に思います。
それは、とりも直さず自分の存在に対する揺るぎ無い安心感を育む環境に恵まれた人と、
かつて、自分は無価値だという思い込みを心に刻み、生きづらさを手放して尚、傷跡を残す人の違いなのだと思います。
先に述べた、同じにはなれない、ということです。
その意味に於いて、健やかな人と、生きづらさを手放した人は、「種」として違う程の隔たりが有る様に思うのです。
「種」が違う、と言うと表現として冷たいかも知れませんが、
生きづらさを手放した人は、その隔たりを理解し、隔たりを越えようとも思わない筈です。
健やかな人の愛はストレートな愛です。
その屈託の無い、太陽の様な愛は、関わる人を暖かく包み込むでしょう。
生きづらさを手放した人の愛は思慮深い愛とも言える気がします。
穏やかな月の光りの様な愛は、昂ること無く、関わり合う人を照らすことでしょう。
ストレートでは無く、まどろっこしいのかも知れませんが、
相対する人の背中をも、察する愛です。
かつて生きづらく、愛を知らなかった人であり、生きづらさを手放した今、愛を知る人になったのです。
相対する人が愛を知らない人であったなら、直感的な好き嫌いだけでは無く、その人はどうして愛を知らないのか、
相対する人の背中の寂しさを慮ることが出来ます。
「種」の違い、立場の違い、を越えた理解は、同種間の理解よりも豊かさを示す様に思うのです。
足元を照らす月光は、燦々と降りそそぐ陽光とは違っても、夜道の助けになり、静かな優しさを湛えます。
ストレートな愛も、思慮深い愛も、あってもいい、と思っています。
月光の様な愛を湛える人は、長い苦しみを今、降ろした人です。
心に傷跡を残すからこそ、静かな優しさを持っています。
生きづらさを手放して、生まれ変わる訳ではありません。
過去の自分を消すのでは無く、今の自分に取り込んで、統合したなら、
月光の様な愛を持って世の中を照らす様になります。
天使のフリをするで無く、悪魔になる必要も無く、
時に怒りを覚えても、時に悲しみに打ち拉がれても、
そのままの感情を受け入れていいんです。
なぜなら、生きづらさを手放した、その人は、
そのままで月の光りを放つから、です。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
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