この社会は「マルトリートメント」ばかりだ。⑤
僕は 今までの集団生活で、数えきれないほどの「マルトリートメント」を受けてきたことが分かりました。
さらに、「マルトリートメント」の家系であり、その悪影響も受け継いでしまっている事実も知りました。
大人になってからこういうことに気づいた僕は、里親などの支援を受けることができません。
犯罪には問われない「マルトリートメント」の言動によって、肉親や親戚に頼ることすらできなくなっている今の状況に、こんな思いばかりこみ上げてきます。
僕が悪いことをしたわけではないのに、なんでこうなる?
物理的にも精神的にも距離が離れてしまうと、無視や孤独の経験が積み重なりやすくなってしまうのを体験してきました。
「無視」というマルトリートメント
"空気が読めない人だから…" などと無視することも、
「マルトリートメント」な言動になります。
本音を伴った表現を無視されることも、暴力や暴言を直接浴びたようなダメージをもらう行動だったんだと 最近になって分かってきました。
上記の記事にも書きましたが、
今までの集団生活で僕は、本心を乗せた意見を一通り伝えられた経験がほとんどありません。
特に、同級生や同僚といった "横の関係"にある人たちに対しては、
自分(の本心)を出さないように、という意識を毎日働かせていたように記憶しています。
運悪く 耳を傾けられない時があるのは知っています。
でも、その状況が1週間以上続いてしまっているならば、
あからさまに話を聞こうとしない姿勢である、
意図的に無視されているんだ
と理解した方がいいと学んできました。
3年間同じクラスで過ごしながらも、本心を伴った言葉のキャッチボールが一度も成立しなかった人の方が多くいますし、
"YES or NO"の返事をし、その理由を簡潔に 冷静に伝えたとしても、
より詳細に聞こうとする態度には見えなかった場面も 鮮明に覚えています。
コミュニケーションが未熟な子どもに対して、
無視という行動は「ネグレクト」であり、「精神的マルトリートメント」にもあたると友田先生は指摘しています。
また、「育児放棄」とも言われるように、人として成長するのを邪魔する行動でもあるんです。
特に本音を伴った意見だったなら、
その精神的なショックは皆さんの想像以上です。
「心が死ぬ」感覚、僕は何度も経験してきました。
自由に身動きがとれなくなるような、
暴力を直接受けたのと同様の影響を受けたのも覚えています。
そんな相手にも伝わるような言い方にしようと、
感情的に表現しようとする癖がつきました。
それでも、無視される結果は変わりませんでした。
怒りや悲壮感をまとった僕を見て 嘲笑や驚いた反応をし、
物理的な距離も 精神的な距離もさらに離れていきました。
こういう結果をひたすら見せつけられると、
誰だって自ら話しかける勇気がなくなるのも当然です。
社会で通用する話し方が分からないまま
未熟で めちゃくちゃな言葉遣いが出てきてしまう状況では、
精神的にも社会的にも孤立する方向にしか向かわない上に、
どの道、自分(の思い)を無理やり殺して集団生活に合わせていかないことには 存在を認知してくれない という意識に支配されてしまいます。
無視・無関心が孤立を生む
個人的な本音を文字にできるようになった今でも、
自由だからと思いっきり感情を込めて発言すると、
共感してもらえず無視される問題が常につきまといます。
勇気をもって表現したことを正当に評価してもらえなくて、精神的なトラウマとなって返ってくることも想像しておかないといけません。
みなさんもいっしょに想像してみてください。いたいけな子どもが、助けを必要としているときに、親から無視され、放っておかれる。愛情を伝えようと近寄り、親を見上げ、微笑みかけても、同じような反応は返ってこない。不安で元気がないときにも、共感や励ましの言葉をかけてもらえない。これでは健全な愛着は形成されません。
子どもは親との愛情・信頼のキャッチボールを通して、人間関係について学び、社会のありようを知っていくわけですから、それが不十分だと、人とのかかわり方自体も変わってきてしまいます。実際、親子の愛着が希薄だと、子どもは生来もっている愛着行動をとらなくなっていきます。
たとえば親がどこかに外出しようというときに、後追いをしたり泣いたりしなくなり、親が帰宅しても、喜びもしないどころかそっぽを向いたまま。人とのかかわり方というのはこれが基本なのだ、これが普通なのだと思い込み、成長して社会に出てからも、他者との人間関係をうまく結ぶことができません。
このような、愛着が不足した結果として出現するさまざまな症状を総括したものが「愛着障害」です。…
特に、幼児期に受けた過度なマルトリートメントに起因する愛着障害は、感情制御機能に問題が発生しやすく、うつ病や多動性障害、解離性障害などの重篤なこころの病へと推移するといわれています。(pp.170~171)
僕の人生、ありのままに発信した際の成功体験がほとんどなく、
相手に合わせる言動で対処していく経験ばかり積み重ねてきました。
心を閉ざして集団生活する癖しか身についていない僕は、
誰かに頼ることが怖くて、気がついた時には、
一人で全て済ませられる行動ばかり選ぶようになっていました。
人生の相棒なんて作ろうとしても無駄、という思いのもと、
共感とか社会とかからもどんどん離れていきました。
孤立した僕ができることは
それでも僕は、できることを選んで生きています。
このnoteで、気楽に、ありのままに表現しています。
根拠を携えて論理的に説明しようとも心がけています。
それでも、思ったような反響が得られない時には、
この世に必要とされていないと感じ、
何もしたくない気分になったりもします。
充実感の後の無力感 というやつで、
心身に相当こたえるものなんだと実感しているところです。
何回経験しても、なかなか慣れることができません。
「じゃあ 何をしたら僕の存在をたくさんの人に認知してくれるのだろう?」
と考えること自体 苦痛にしかならないことも分かってきました。
過去のネガティブな経験がひたすら思い浮かぶ僕は、
最初から最後までポジティブな文章を並べるのが苦痛だということも理解できるようになりました。
その内にフラッシュバックが起き、ネガティブな過去から逃げられない現状に目覚め、一人苦しみ始める毎日です。
今まで書いてきた記事のほとんどは、突然 思い起こされたトラウマ(=ネガティブな過去)がテーマになっています。
ポジティブな空想物を表現するように頼まれても無理な、
自己中心的なクリエイター。
プロ意識のかけらもない相手に人生を託すような行動に踏み出せないのも仕方がないんでしょうね…。
オーノ
引用文献
友田明美「子どもの脳を傷つける親たち」 NHK出版、2017年
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