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「スペクトラム」だから"色々"伝えたい。


"そういえば、自閉症スペクトラムの「スペクトラム」ってどういう意味?"
と思った方もいるはずです。

今回は、その「スペクトラム」に特化して書いていこうと思います。

「スペクトラム」とは


「スペクトラム(spectrum)」は、
ひとまとめにしたもの という意味で使われています。

広範囲にわたる、関連している物、値、性質、考え、または活動
(a broad range of related objects or values or qualities or ideas or activities)
日本語WordNet(英和)

普段は別々の種類として分けられているものたちを、一つの大きなグループとして見る という考え方です。



では、「自閉症スペクトラム」の場合はどうでしょうか。

以前は、自閉症の特性をもつ障害は、典型的な自閉症に加え、特性の目立ち方や言葉の遅れの有無などによって「アスペルガー症候群」「特定不能の広汎性発達障害」などに分けられていました。典型的な「自閉症」は、言葉の発達が遅れ、相互的なコミュニケーションをとるのが難しく、「アスペルガー症候群」では言葉の遅れがなく、比較的コミュニケーションが取りやすいという特徴があります。一方で、これらの障害では対人関係の難しさやこだわりの強さなど、共通した特性が認められます。そのため、別々の障害として考えるのではなく、虹のようにさまざまな色が含まれる一つの集合体として捉えようとするのが「自閉スペクトラム症(自閉症スペクトラム障害)」という考え方です。治療の基本的な考え方は共通ですが、一人ひとりの特性を理解したサポートの重要性が着目されるようになってきています。
引用:こころの健康情報局 すまいるナビゲーター 子どもの自閉スペクトラム症(2021年2月21日 閲覧)

異なる病名なのに 共通している特徴もあるから判別しづらい悩みがあったそうです。

そこで、「スペクトラム」という言葉を使った 全く新しい概念を作って、
同じような特徴の病名たちをひとくくりに指し示す
ことで、
治療する上での悩みを解消しようとしたわけです。


「スペクトラム」を集合体として解釈した一例といえます。



一言で説明しきれないから。


主に親から子への不適切な対応のしかたを示す「マルトリートメント」も、
集合体の考えのもと
使われている言葉の一つです。

福井大学の教授で小児精神科医の友田明美さんは著書で、

日本では聞き慣れている「虐待」や「暴力」の範囲に入らない(と思い込みがちな)接し方でも、子どもの脳には悪影響として現れる、という分析結果が出たために、それらもひっくるめた表現として使っています。


「マルトリートメント」と呼ばれる行動は 種類がありすぎて、
一言で説明するのは不可能ですし、

「マルトリートメント」を受けたことによる影響のしかたも人それぞれで、
これも一言で説明することはできません。



それから、機能不全な環境で育ち、実生活に悪影響が出ている人のことを「アダルトチルドレン」と呼んでいますが、

ありのままに表現できない環境を生き抜くために、5つほどある典型的な行動パターンを無意識に使い分けている、という特徴があります。



優等生・問題児・お世話焼き・ピエロ・空気

という風に動画付きで詳しく説明しているんですが、

はっきり言って、
これら全ての特徴をひとまとめに覚えてもらわないと 意味がありません。


なぜなら、同じ人でも、
同時期に複数の行動パターンが表れたり、
人間関係の変化に合わせていく形で 行動パターンも複雑に組み替えていく、
といった特徴も持っているからなんです。


そのため、「アダルトチルドレン」に関しては、
一つのパターン・一つの環境を聞き取っただけでは、その人の悩みに対する解決法にたどり着かないんです。


「マルトリートメント」も「アダルトチルドレン」も、
被害者を取り巻く環境全体を知らなければ正しい対処ができない問題なんだ
ということを覚えておいてほしいです。



人生も、人間も、社会も。

「自閉症スペクトラム」、「マルトリートメント」、「アダルトチルドレン」を例に説明してきましたが、

これらはいずれも、精神的なトラブルを引き起こす特徴を持っています。


そういった要素を抱えて生きてきた僕の人生ですが、

カウンセリングを中心とする精神科の治療で、無意識に自分の癖になっている行動が解決への手がかりとなることに何度も気づかされました。


つまり、精神的なトラブルを解消していく上では、正式な病名で診断されているかどうかは 関係ないようなんです。


(同じ発達障害を持っている人でも、生活に支障がない暮らしをしているのであれば 病気と診断する必要がない、という見解の医師もいますし、

病名をはっきりと言われていないながらも、自力で解決することができない心の悩みがあって精神科を通院している人も実際いるみたいです。)


むしろ、今悩んでいる理由を、過去の出来事と照らし合わせながら考えていく方が大事なんだ ということを学びました。


"人と接するのが怖くなってしまったのはいつ頃から?" とか、
"「死にたい」と思ってしまう場面はどういう時?"

という具合に、現在進行形で悩んでいるところから過去に視線を向けていく方法を使って治療している場合が多いそうです。


「認知行動療法」とも呼ばれる治療を介して、
過去の出来事をできる限り思い出して言葉にしていったところ、
以下のことがようやく論理的に理解できるようになりました。


・一生懸命学んで努力しても追いつけないくらい苦手な分野があること。

・得意な分野とそうでない分野の能力差が大きすぎて、その関係をきちんと理解しておかないことには 困り事にたくさん直面してしまう傾向。

・親の 僕に対する接し方が良くなかったために 無条件の愛情を学んでこれなかった事実。

・愛情を利用した人間関係がいつになっても築けない日々で、"Aromantic"と名乗る感覚が心地良くなっている今の状況。


そして、
過去の積み重ねが今の自分になっていることに気がつきました。

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株価でよく見られるアップダウンと同じで、山あり谷あり、良いことも悪いこともたくさん起こるのが世の常です。

それらが積み重なってきたのが今につながっているんです。


つまり、人生は「スペクトラム」なんです。

また、我々人間もまた「スペクトラム」で、

人間たちが集まる社会自体も「スペクトラム」だとも言えます。


どんな出来事も 一つの点で見るだけでなく、
それらを結んで一本の線にして見る必要もある
わけです。


例えば、"喜怒哀楽"という言葉があるように、
日常生活での気持ちの浮き沈みは誰にでも現れます。

そういった出来事たちを、心身の負担にならない方法で思い出せるようにしておくと、
後でふと振り返った時に、どうして気分が上がったのか or 下がったのかを考える余裕が生まれて、徐々に自分の行動傾向が分かってきたりもします。


また、通院しながら病気の治療をする際なんかは特に、日々の体調の波を自分で覚えておく必要があります。

治療法によっては、副作用などで体調が一時的に悪化する場合もあるわけです。
そういった日々の体調を、自分の頭以外で覚えておいて、医師と話す間際に思い出せるようにすることが大事だと考えます。


自分のことを話すのに頭が一杯になっていると、
医師などの話が記憶されていなかったり、無意識に返事したせいで嫌な経験をしたりして、
病院に対して苦手意識を持っている人もいるのではないでしょうか。

覚え損ねたことを再度聞きに行くのは お互いに面倒に思われがちです。

こういったことを防ぐために僕は、
事前にメモを書き、場合によっては録音機も持参しています。

メモに書いた分は覚えている必要はないので、頭の中に余裕が生まれます。

ほんの少し余裕を持たせるだけでも、一回のコミュニケーションで吸収できる情報の量も内容も違ってくるんです。

聞き取れた情報で分からないところがあれば、その場で聞き返すことも増えてくるはずです。

そうすれば、自分が解釈しやすい言葉で覚えて、思い出す作業も楽にできるようになります。


実際 そういったルーティーンを続けている内に、
医師や病院に対するネガティブな感情は出てこなくなりました。

そして、こういった姿勢こそが、
丁寧で的確な処置を受ける上で必要なんだなと理解できました。



忘れた分だけ損するこの世。


過去を振り返ったことで人生の考え方も生き方も変えてきた僕だから皆さんに言えることがあります。


"今までのことを無かったことにするのはやめよう。"
"この世は 忘れた分だけ損するようにできているんだよ。"


精神科で 他人からは見えない心の病気と診断されたのを境に、
覚える作業と思い出す作業の大切さを日々痛感しています。


それまでは、"なぜ同じような失敗を自分だけ繰り返してしまうのか?"という悩みが忘れた頃にやってくる感覚で、その都度 一人で苦しんできました。


頭以外で覚え 思い出す作業をしなかったのが原因なんだと分かってから、
日々の出来事をメモに書き出す癖をつけました。


インターネットなどの記憶媒体が社会の維持に貢献しているこの世は、
覚えた分得をし、忘れた分損する、という構図がはっきりと現れてきたように感じます。
(学校で忘れ物をした時を思い出せば分かるはずです。)


実際 酒を使って記憶を飛ばそうとしか考えていない父は邪魔者にしか感じないことを別の記事に表しました。

昔のことを一切覚えていないような人は、たとえ親であっても信用に値しないように見られる時代なんだとこの数年ひしひしと感じています。



「スペクトラム」について色々書いてきましたが、こういう記事も、「長い」という理由で読んでくれない人もいるのは分かっています。


そういう人に合わせた表現を心がけると、僕の伝えたいことが誤情報として拡散されてしまう傾向が分かっているから、あえて長ったらしくしているんです。


理解してくれなければ、信頼もできません。

これ以上 僕を孤立させないためにも、このぐらいは分かってください。

オーノ

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