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「共感」に対して思うこと。


1億2千万人もいるこの国で、僕は、
少数の人しか経験できないであろう人生を過ごしているように思うんです。


じゃあ 僕と同じ経験をしている人が この国でどのくらいいるのか?
適当な資料をもとにおおよその割合で並べてみました。


・子ども時代に(相対的)貧困状態だった……6~7人に1人 <出典1>

ASD(自閉症スペクトラム)と診断された……100人に1人 <出典2>

・ADHDと診断された……10人に1人 <出典2>

・生活保護を受けている……60人に1人 <出典3>

・性的マイノリティーを自覚している……10人に1人 <出典4>


これらの数字を全てかけ算してみてください。


360万~420万人に1人の確率。

もっと言えば、

1億2千万人の中の わずか30人ほど。


これが、僕と同じ経験をする確率です。
(上記以外に "Aromantic" など 統計がない要素も含めると、
この確率がさらに低くなります。)


大多数の人が持っていない要素がこんな風にたくさん絡まっているために、しゃべっても文字にしても その情景をイメージするだけでしんどくなってしまうのかなぁ…。


これが「共感できない」「共感してもらえない」ということなんだな…。


共感してもらえないことには収入にはならない、と信じられているこの世にあって、


生まれた時に持っていて 無かったことにする選択肢すらない要素たちに囲まれている僕には、お金がもらえなくて当然と言いたいんですか?


そういう自分を恨めと?


っていうか、共感って何?


共感してくれないとお金がもらえないようにしたのは誰?


今生きている皆は それに右ならえしているようにしか見えない。


同じじゃないと返事する価値もないんですか?


は~あ、まったく、
こういうテーマになると言葉がとめどなく生まれてくる。

忘れない内に書いておこうっと。



素直な意見が通らない?


共感に関して 最初に違和感を覚えたのは、ラジオ番組へ投稿する際のルールに目を通した時でした。


「どんなリスナーに対しても気持ちの良い番組にしたいので、
差別を連想させる言葉が含まれる投稿をしてはいけません。」


どこのラジオ局も、同じようなことが書いてありました。


出演者やスタッフに対して直接的な暴言を載せるのはダメ、というのはさすがに分かります。


でも、
僕の悩みを 読み上げる方にもリスナーにも分かりやすく届けたいと思うと、差別が生まれてしまっても仕方がないような言葉を入れないといけませんでした。


"生活保護"とか、"障がい者"とか、社会問題としてメディアで伝えられている言葉たちのことです。


テーマにふさわしい内容にして投稿したのですが、

それ自体が取り上げられることはなかったし、

僕が書いたようなニュアンスの意見が読まれることもなかったように記憶しています。


生きていれば経験するかもしれない苦しさに触れて、問題解決に向けて言葉を紡ぐ。
そういった作業をたくさんの人に共有してもらえるのがラジオの良さだと思ってきました。


しかし、個人的に信頼できる番組だったとしても、

誤解を生ませないように、という思いを優先して、
難しい内容のものは取り上げない、という意識がはびこっているのだとしたら、

マイノリティーの要素を抱えている人が素直な悩みを発信してくれる場所がなくなってしまいます。


だから僕はここで、ありったけの気持ちを発信しているんです。



合わせに"いかないといけない"ストレス


このように僕は、素直な感情を混ぜて表現しても受け入れてもらえない反応をたくさん経験してきました。


一人でずっと過ごしていられるなら この状況を放っておいてもいいんですが、

学校のように、集団生活をこなさないことには卒業させてもらえない環境もあるわけです。


特に 感情のコントロールがうまくいかない子どもたちの集団生活では、
いつどこでいじめが起きてもおかしくありません。


いじめられたことで自殺しようとする人もいるように、
いじめの経験が この先の人生に大きな影響を及ぼすと理解していました。


多人数のグループに入れなければいじめられても仕方がない空気が流れている中では、
単独行動はかえって逆効果になるし、
暴力を受けること自体も嫌だったし…。


だから、僕に限ったことではないと思うけど、
素直な感情は出さずに、クラス単位で話題になっていることに
合わせにいかないといけない意識が常にありました。


僕の場合は、
合わせないといけない、ではなく、合わせにいかないといけない と言った方がしっくりきます。


太文字で強調した部分に注目すればわかると思いますが、

無理無理が重なっているのです。


無意識に大多数の意見に合った言葉を紡ぐこと自体が僕は無理で、

その無理なことを無理やりしようとする意識を働かせているわけだから、

疲れてしまったり イライラしてしまったりして 目に見えないストレスとして溜まってしまうのは当然です。



そういったストレスをも抱えたくない、という気持ちになった僕は、

いつからか 誰とも話したくない という態度を見せるようになっていきました。


その当時の風景は こんな感じです。


・僕の座席から机1つ分以上離れたところで雑談が始まっている。


・雑談の声はもはやBGMで、どんな話をしているか理解しようとする思いすらも湧かない。


・急に僕に話題が振られた時も、「ちゃんと聞いていなかった」という表現にしかならないのがほとんどで、仲間外れの状況が続く。


・誰かが気を遣って 僕の話を聞いてくれる姿勢を作ってくれても、
僕はその輪から逃げたくなる感情が生まれてしまう。
→その思いが伝わってか、返事のトーンが徐々に落ちていって、一人ぼっちの状況に戻ってしまう。


特に最後の例なんかは、
相手の方が 合わせにいかないといけないストレスに根負けしたような感じに映った人もいるかと思います。



そういう経験を毎日のようにしている内に、

僕の(素直な感情を乗せた)言葉は、自分にも相手にも災いをもたらすんだと思い込むようになってしまいました。



共感してくれる人が周りにいない…。


家族での生活も集団生活です。

どんなに完璧な親だったとしても、理解できないことはあるはずです。


そういう時には、(言葉の暴力や身体的な暴力を伴って)共感できない・受け入れてもらえない態度を示すわけで、


その経験が多いほど、先ほどの思い込みが明確な根拠となって頭の中にくり返し収納されていくため、


この話題は親でも理解してくれないからしゃべるのはやめよう、という意識が出てくることが数えきれないくらいありました。


家族が相手であれば何でも話せて当たり前だ、と言う人を見ると
思わず「俺の家庭環境を見てみろよ!」と怒りを込めて叫びたくなってしまいます。


アルコールに依存して 自分中心で生活しようとする父、

発達障害もあって 新しい情報を得ることも理解しようとすることも大変だった母、

近隣とのトラブルを避けたいがために、
良好な関係の家族だという偽りの顔を外に表現し続けていた父母。



何でも話し合える状況じゃない時点で「機能不全(の)家族(関係)」と言うそうです。 <出典5>


また、そういった家庭環境で育った子どもは、「アダルトチルドレン」とも呼ばれて、独特の行動傾向があるとされています。 <出典6>



皆が同じように経験するとは限らない要素を、また見つけてしまった……。


さらにここに "Aromantic”の件が入ってくるわけだから、
そりゃあ 共感してもらえなくなるよね。


多数派に媚びるのも もうやめようと考えて当たり前ですね。笑



悪いことをしているのはどっちだ?


あと、もう一個 言いたいことがあります。


話を聞くにあたって、勝手に限界を作るなよ。


もうついていけない と言わんばかりに、途中で切り上げるのはやめてくれ。


特に 社会的弱者に接する方は、その癖をつけないでほしいです。


本当に社会に尽くそうと思うのなら、想像を超える体験にも逃げない姿勢でないと本末転倒だからです。


「死にたい」といった思いがよぎったりして 言葉にして吐き出さないことには目標に集中できない人もいるんです。


実際、僕はそういうタイプです。
「死にたい」と誰かに言った夜はよく眠れるし、朝起きるとそんな気分が吹き飛んでいて 自然と前向きに考えられるようになっていることがよくあります。


そういう言葉をNGワードに設定しているかのように 途中でも話を遮ったり、

「そうやってネガティブに考え続けるからうまくいかない経験が積み上がるんだ、だから そういう気持ちをここに持ち込んでくるな」と機械的に返して、
常に前向きに考えさせようと促すのは かえって逆効果だと実感しました。


自分の考えを共有しようとしてくれない、
そういう余裕がない環境なんだな、
ここでも自分を殺さないといけないんだな、という心境になって、
どんどん苦しくなって無駄な怒りがさらに生まれてしまう、
という悪循環から抜け出せなくなります。


まずは、「死にたい」という気持ちと、誰かを直接的に傷つける行動を、
分けて考えてください。



そもそも、話をちゃんと聞かないからその人のことが理解できないわけだし、社会で一緒に生きることが叶わないんです。


そういう思いを抱えながら 自立した生活ができていない人のことを、
本当に、ちゃんと考えたことがありますか?


こんな状況でも社会は回っているからそれでいい
と思っている人が多すぎるように感じています。


理解しようのないことを言う人は病院や牢屋に入れておいてほしいと思う人もいるのも知っていますが、

そういう人の方が この社会の治安を悪くしているように僕は思うんです。


健常者のつもりで過ごしてきた僕だから分かるんです。
「分断を招く」とか「差別を助長させる」とか言う人こそが、
マイノリティーの各要素をちゃんと理解していない人です。


「皆それぞれ 大変な思いをしているから我慢しろ」はむしろ禁句です。


わけあって素性を隠さないといけない人もいるからといって、
同じことを全員に押しつける必要も無いんです。


こういう態度や言動が 社会に無駄な"壁"を作っているということ、早く気づいてください。



僕は常々 相談に乗ってくれる人に言っているのですが、

僕の素直な思いを受け入れてくれる環境であれば、
自立した生活も 仕事との両立も挑戦しようと思える。

不信感を抱かずに居られる環境であれば、
誰かの身体を直接的に傷つけることはしない。



こういう風に言っても 信じてくれる人が現れないのは、
僕を保証してくれる人がいないからなのかな……。


オーノ


出典

<出典1> 日本経済新聞「子どもの貧困率13.5%   7人に1人、改善せず」(2020年7月17日)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO61680420X10C20A7CR8000

<出典2> 幻冬舎ゴールドオンライン「10人に1人?日本で「ADHDの子ども」が急増している深い事情」(2020年6月5日)
https://gentosha-go.com/articles/-/27192

<出典3> 厚生労働省ホームページ 被保護者調査 (令和元年10月分概数)
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/hihogosya/m2019/10.html

<出典4> アウト・ジャパン「性的マイノリティは全人口の10%という調査結果が発表されました」(2020年12月15日)
https://www.outjapan.co.jp/lgbtcolumn_news/news/2019/12/16.html

<出典5> ウィキペディア「機能不全家族」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%9F%E8%83%BD%E4%B8%8D%E5%85%A8%E5%AE%B6%E6%97%8F

<出典6> ウィキペディア「アダルトチルドレン」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%81%E3%83%AB%E3%83%89%E3%83%AC%E3%83%B3


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