「新しい人生」|エッセイ
新しい人生――。
その響きに何を感じるだろうか?
今日は成人の日でもある。
「人生は一度きり。後悔のないように生きなさい」
大人たちには、そう言われたことが多いけれど、本当にそうだろうか。
私は、一人の人間の一生の中に、何度も「新しい人生」が始まっているような気がする。
受験、失恋、成人、就職、結婚、出産、引っ越し、転職、離婚、再婚、病気。
人には一体、一生のうちに何度、「新しい人生」があるのだろう。
受験。
たとえば、小学校から中学校に上がった時。
中学受験をして私立に入った私には、はじめての友達ばかり。
小学校時代の友達なんて、クラスには一人もいない。
まさに新たなスタート。
新生したと言ってもおかしくないくらい、環境がガラッと変わったのを覚えている。
同じように、大学受験の後も、環境が大きく変わった。
中学・高校からの友人はほとんどいなくなり、周りは他の県からやってきた人ばかり。
私の出身高校の名前を知らない子だって沢山いる。
これを新たなスタートだと言わずして、一体何と言うのだろう。
確かに、人生は続いているし、人間関係で続いている人もいる。
それでも確実に、自分の置かれた環境は変わっていくし、過ごす「人生」も変わっていくものだ。
失恋。
私には離婚経験はなけれど、失恋経験ならある。笑
その時は本当に、「人生終わった!」と思うレベルで落ち込むのだけれど、結局結婚してみると、かつて人生を共に走った人とはまた違う人生を生きている。
過去の恋愛について、時々、女は上書き保存、男はフォルダ保存、なんて言うけれど、本当にそうなのだろうか?
もし本当にそうなら、私は男かもしれない。笑
確かに周りでは、新たに好きな人ができると、以前の相手のことなんてすっかり忘れてハッピーになれる人もいる。
それはそれで、幸せならよし。
でも、今の相手は今の相手、昔大切だった人との思い出は、そのまま大切に閉まっている、という人もいるだろう。
自分の場合は、大切に思った人を忘れたことは一度もない。
願わくは、どうか幸せでいてほしい、といつも祈っている。
かつて同じ道を歩いていた相手と自分も、それぞれの新しい人生を歩んでいく。
共に生きる相手が変わると、見える景色も変わってくる。
まるで、列車を乗り換えたように、ぐんぐん離れていく。
やっぱり、同じ人生だけど、違う人生を生きている。
出産。
人一人産むことが、ここまで人生を変える出来事になるなんて、学校では習わなかった。笑
自分以外の別の生命体が出現して、100%自分を必要としている。
そして、自分がいなければ、生きていくことができないほどに頼りっきりだ。
そうなったとき、かつての「自分主体」の人生とはサヨナラしていく。
すべてが子ども中心に回ってしかるべき、新しい人生が始まる。
子供が生まれる前と後。
何事もなかったかのように、変わらぬ勢いで働いていたこともあったけれど、実際には、ライフスタイルは変わっている。
新しい人生が始まっていることに気づかず、古いレールに乗ったまましがみつこうとしていると、いつしか崖っぷちに放り出されて、大変な目に遭うことだってある。
要は、節目節目において、ちゃんと乗るべき列車を乗り換えて、新たな人生のレールを走っていくことが大事だ。
転職。
転職や離職もまた、新たな人生の始まり。
過去の経歴や経験も多少は効くけれど、全く違う業種に転職した場合は、見える景色も変わってくる。
過去の経歴を一切投げ捨てて、ゼロからのスタートを切ることも多い。
私の場合も、人生がガラッと変わった。
「セカンド・ライトニング」なんて言ってくれた人もいたけれど、実際には、「ファースト」と「セカンド」でも見える景色、立ち位置はかなり違ってくる。
noteをはじめたことも、良い刺激になった。
世界には沢山の考え方をする人がいるのだと、身に染みて実感した。
noteでなければ出会えない方々との、貴重な出会いもあった。
特に今一緒に活動している皆さんは、それぞれが熱い信念を持っていて、尊敬できる。
noteライフが始まったことも、私にとっては、「新しい人生」のはじまり。
今でも、ワーク・ライフ・バランスを取るのは難しい。
ただ、明確に「子どもを中心に据える」というスタンスは決まっているので、限られた時間の中で、どう自分の勉強時間・活動時間を作り出すかが課題だ。
病気。
人生のうちに避けて通れない、病気。
闘病生活もまた、「新しい人生」のはじまりになるのだろう。
今まで当たり前のように過ごせていたことが、当たり前ではなくなるのだから、無理もない。
思うように動かない体や、入院生活。
環境が変わったことに耐えるだけでも、大変な事だろう。
「新しい人生」の中で、この病気と闘病生活の章だけは、ちょっと経験するのが憂うつだ。
病気からリハビリを経て立ち直った後の人生もまた、「新しい人生」になっていく。
特に大病といわれるものを経験すると、「人生が、病気以前の人生と全く変わって見えるようになった」、という話もよく聞くものだ。
もしかしたら自分は明日死ぬかもしれない。
そこまで追い詰められたとき、今までの人生が走馬灯のように浮かぶと言う。
そして、「このままの人生で終わってはいけない!もう一度、やり直すんだ!」と一念発起して復活する人もいる。
それまで仕事一筋で家族に目もくれなかった人が、急に家族を大切にするようになったりする。
逆に、想い残したことがないように、もっと仕事を頑張りたい!とさらに仕事に邁進する人だっている。
選択は、人それぞれだ。
災害・戦争。
最近では、地震や津波などの災害・戦争によって、以前の生活に終止符が打たれ、予期せずして「新しい人生」がはじまることもある。
大切な人が居なくなったあとの、心にぽっかりと穴が空いたような人生。
慣れない土地での新たな生活が待っていることもある。
失ったものは大きい。
そこからどうやって心の穴を埋め、新たな生きがいを見いだしていくかが試されている。
自分の人生プランとは関係なく、予期せぬ「新しい人生」が始まったばかりの人が、今、この瞬間にも、日本に、世界に存在しているだろう。
私たちは彼らの「新しい人生」に心からの「エール」を送り続けるしかない。
「新しい人生」をどう生きるか。
このように、人生には何度も「新しい人生」の瞬間が現れる。
そう考えると、人の一生はやっぱり複合的だ。
まったく何の環境の変わり目もなく、ただ真っ直ぐに進む人なんていない。
全ての人には、列車の乗り換え時期のような経験があり、見える景色が変わっていく瞬間がある。
また、災害や病気など、予期せぬタイミングでの停止事故だって起き、そこからの振り替え輸送がはじまっていく。
それらを「新しい人生」と呼ぶかどうかは人それぞれだが、何らかの区切りは存在している。
「一つの人生の中の、新しい章」がはじまっているという表現もできるかもしれない。
ただし、本当に失恋や病気など、深い挫折の機会を経て、大きく生まれ変わった!と感じられる時。
その場合は、どうしても「新しい章」では表現が足りない気がする。
「新生する」と書くぐらいだから、やっぱり「新しい人生」が始まっているのだ。
今の私が何度目の人生に当たるのかって?
残念ながら、正確にはお答えすることが出来ない。
ただ、言えることが一つある。
それは、数限りない「新しい人生」を送ってきたけれど、正直なところ、今ほど新しい人生はない、ということ。
仕事としては、「セカンド」。
人としては、数えきれない節目の上にある、今。
決して踏み外すことなく、「新しい人生」を着実に積み上げていきたいと切に願っている。
少し気が早いかもしれないけれど、最後の大ジャンプである、死の瞬間。
最大の「新しい人生」の始まりである、死へ向かって。
残された人生を、家族と手を握り合いながら、しっかりと自分の足で踏みしめて、一歩ずつ前進していきたいです。
奇しくも、今日は成人の日。
新成人という「新しい人生」を歩み始めた皆さんが、幸多き人生を歩みますように。
(完)
シロクマ文芸部、小牧幸助様、企画参加させていただきます。
よろしくお願いいたします☆
※このエッセイは、小牧幸助さんの主催する企画に参加したものです。
「新しい」から始まる作品を、エッセイとして書いてみました。
皆様、温かくお見守りいただければ幸いです。笑
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