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経歴:物流(ロジスティクス)、飲食、通信 →どの業界でも10人~300人のマネジメント経験 大人の落ち着きをもった大人です。温厚な性格。人が良すぎる。騙されやすい。テキトー。など いいようにも悪いようにも言われる人です。 2021年5月スタート。しばらくは半生をつづっていきます

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naguと申します

はじめまして 自己紹介を書くことでしばらく人生を振り返ろうと思います。 本日は年代別の記憶と職歴を整理 小学生のころのことほとんど覚えてない(目立つ存在ではなかったと思う) 中学生のころ、かなり覚えている。(良い思い出のみ) 高校生のころ、ほとんど覚えていない(あまりいい思い出はない) 大学生のころ、まあまあ覚えている。(酸いも甘いも) 大学卒業後、フリーター2年半ほど(よく覚えている) 某大手物流会社へ初就職(記憶薄れてきてるので今後記録していく) 29歳

    • 半生最終回:大手飲食→飲食ベンチャー→IT・通信 転職記

      2016年、8年過ごした会社から、転職しました。 社長と役員の方が直々にスカウトしてくださり、環境変えるのも面白いと思い、思い切って飛び込んでみました。 飲食のベンチャーで、売り上げ規模は200億に届くくらいの中規模。しかしこれを設立10年足らずで急成長させてきたので、勢いはすさまじい会社でした。 手法は、若い社員にチャンスを与え、結果を出したもの、仲間を集めたものに子会社代表にして、どんどん拡大させてきた。代表は20代が多く、成り上がりに見える光景はその下の世代から自

      • エリアマネージャー時代

        2011年4月~満を持してエリアマネージャーに昇進。テキトーな私服でお店に出勤していた日々からパリッとスーツで本社出勤に変わった。 満を持してと書いたのは、3月の表彰式で優秀店長賞や業態のトップオブ〇〇という称号を総ナメにしたので、満を持してでしたw 最初の担当は6店舗。高田馬場、石神井公園、八王子、国分寺、府中、王子だったかな、、、うる覚え、、、担当店舗は3か月くらいで、めまぐるしく増えたり減ったりを繰り返した、途中20店舗くらい持っていた時期もあったが、おおむね8~1

        • ビジネスマインド          第2回:知識・スキル・マインド

          相撲や柔道でよく耳にする言葉に「心技体」というのがあるが、 ビジネスにおいて、それに似たような3要素が、テーマにあげた、知識・スキル・マインドだと思う。 例えば、Aという商品を知らない人に100個売りたい場合。 営業部員・販売員はまずA商品のことを知らないと売ることが難しいだろう。めちゃめちゃ詳しくなったところで、商品んをしらない人に購入してもらうセールストークやコミュニケーションスキルを持ってないと売れない。 そして最後は、マインド。どれだけA商品を売り上げたいか。

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          新連載ビジネスマインド       第1回:相手の気持ちに立つ(新入社員編)

          過去の経歴編はまた気が向いたら書くことにして、本日からは私が意識しているビジネスマインドについて綴っていきます。まずは「相手の気持ちに立つ」 これはレインズの新入社員研修でも教わりましたし、デルカーネーギーさんや7つの習慣、原因と結果の法則など、様々な本で当たり前のように書かれてることです。あえて第一回にもってきたのは、私が仕事をするうえで、大事にしてることを考えた時に、最初に思い浮かんだのがこれでした。 20代物流、30代飲食。40代通信。 フリーターを入れると2年以

          新連載ビジネスマインド       第1回:相手の気持ちに立つ(新入社員編)

          番外編②20代 闇じゃないほうの恋愛

          闇恋愛が終わり、しばらく平穏な生活が始まった。 時期としては、猫マークのころだ。猫マーク編の最後のほうに書いたネタの詳細を今日は綴る。 ネタ① 2個下のドS上司(顔はめっちゃかわいい) ネタ② 4個下のジャニオタ彼女 ネタ①ドSさんは、毎日私を何かと叱責し、ねちねち説教してきていた。年下だけど、性格は大人でハッキリとした性格。ずばっと言いたいことを言ってくるので、最初は圧がきつくて、毎回報告いくのもおっくうになった時期もあったが、だんだん怒られるのが快感になってきて、

          番外編②20代 闇じゃないほうの恋愛

          番外編*20代の闇恋愛

          ここ最近は仕事編の様子だったので、プライベート編を少し。 フリーターの時に一人旅をし、帰ってきた後、ゆずのライブ感想板みたいな掲示板があり、「オフ会しましょう、ギターを持って代々木公園集合!」みたいな募集を見つけて、興味本位で休みのついでに、行ってみた。 当時は23歳くらいだっただろうか。集まっていたのは10代~30代くらいの男女15人くらい。みんなでギターを弾きながら、ゆずを歌うという、青空カラオケのような、変な集団のような、会を一通り楽しんだのだが、終了後、主催者の女

          番外編*20代の闇恋愛

          3.11 秋葉原

          2011年3月11日。 その日は、送別会シーズンの真っ只中で、予約300名以上入っていた。 ドリンクの仕込みをしてたら、ぐらぐら揺れ始め、最初は、上のカクテル類を手で押さえていたが、どんどん揺れが大きくなり、後ろのジョッキクーラーまでドアが開き始めたので足で押さえた。 両手、片足埋まった状態で、数秒後信じられない大揺れが来たので、逃げたところ、グラスが吹っ飛び、上のカクテルはすべて落ちてきた。 ただ事じゃない。 キッチンをみるとフライヤーの油が波打ってこぼれている。

          3.11 秋葉原

          秋葉原居酒屋革命

          2011年秋。渋谷から秋葉原へ異動 渋谷店の月商がだいたい1400万。秋葉原が1500万くらい。 席数は渋谷84。秋葉原130。 大型店への異動だった。またオープンしてまだ1年の新規店で2代目店長としての赴任だった。 渋谷で個人スキルは成熟したが、決して誇れるお店ではなかった。 秋葉原へ異動したときに、お客様満足度を最大化と売り上げ最大化を両立させようと覚悟した。それを成し遂げたら、 レインズインターナショナル、パートナーズフォーラム出場が見えると思っていたから。

          秋葉原居酒屋革命

          うちの娘は不思議

          最近仕事のこと中心になっていたので、今日は娘のこと。 私は結婚12年目で、子供は2人。女の子と男の子がいる。 妻は10歳年下。上の子と下の子も8歳離れており、年の差家族だ。 上の子は1人っ子期間が長かったせいか、兄弟ができたことに最初不思議な様子だったが、最近はお世話をする姿が増えてきた。ちなみに上の子は今年11歳になる、五年生だ。 今、目の前にいるので、「パパのこと好き?」と唐突に聞いてみた。 「好き」恥ずかしそうだけど素直 「嫌いになったことないの?」 「な

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          鍛錬の渋谷時代

          歌舞伎町、木場の次は渋谷店へ異動した。 このお店の歴代店長はエリアマネージャーに昇進している人が多く、事業部のスター店舗だった。ちなみに、スター店舗は横浜・渋谷・池袋だった。年商が2億超える店舗のことを言っていたと思う。 前年の店長は圧倒的な成果を残し、エリアマネージャーへ昇進。その前年売上との闘いが始まった。 外的環境だと、ちょうど金の蔵270円均一がバズり始めた時代。 渋谷は特に単価が安く、値動きには敏感な街だった。 配属時には前年比70%と、木場店同様、どん底

          鍛錬の渋谷時代

          初めての店長は苦戦!

          歌舞伎町で3か月夜の生活を送り、次に送り込まれたお店は、江東区木場の深川ギャザリアのお店。 営業時間は11時ー23時 居酒屋だけど、ショッピングモール内にある。同じ敷地にビジネスビルとイトーヨーカドーが併設されているので、平日はサラリーマン・週末は家族連れ。はっきり分かれる客層だった。 送り込まれた時の店舗状況 ・店長退職にともない、数か月前からやる気なし。 ・屋号を数か月前に変更後、売り上げ40%ダウン。とりでんという名前で運営していたころは絶好調。鳥インフルエン

          初めての店長は苦戦!

          すげぇ店だった。歌舞伎町

          研修がおわり、配属された最初のお店は「歌舞伎町店」 業種は居酒屋。当時の営業時間は17時ー3時(日曜だけ24時) アルバイトスタッフは10~13名くらい在籍していただろうか。    ただしコアメンバーの7名くらいで切り盛りしていた。9割大学生で、私よりは全員年下。 社員のシフトは15時ー24時or17時ー3時の2択。         社員は2名だったのでどちらか休みの時は15時-3時 基本的にはキッチンをやるのが社員の通例らしく、自分もキッチンをやることになった。

          すげぇ店だった。歌舞伎町

          地獄の研修

          レインズインターナショナル(R社)を選んだ理由は、面接をした企業のなかで、唯一、月8日の休みを確保すると言ったからだ。 正直、休みはなくてもいいし、猫マークの経験から労働時間も無限にいける体力もあったが、飲食業の面接では、必ず、労働時間のことを言われた。 「始発から終電まで」「休みは正直、月1日しかないときも」とか、今ならドン引きする人もいると思うが、「全然余裕ですよっ」って答えていた自分が今となっては怖い。5,6社受けるうちに、どこでもいいけど、月8日も休めるなら休みに

          地獄の研修

          私の習慣にしていること

          #習慣にしていること 今日はいつもの半生ではなく、noteお題企画に参加します。 習慣にしていること・・・・                     思い出すために1日の過ごし方を書き出してみる。 7時起床(出社時6時50分) 子供たちを起こす。下の子(3歳)のお着がえ。上の子(10歳)はたたき起こす。               朝食は必ずパンとコーヒー、アロエヨーグルト(こだわりではなく勝手にこれになってる) 7時30分、トイレ、髭剃り、布団をたたむ。ごみの日はご

          私の習慣にしていること

          中小企業診断士を目指し、落ちる

          猫マーク在職中に感じたこと。 会社がでかすぎて、カイゼン活動が小手先のことしかできない。仕組みそのものを変えるための壁が多すぎる。稟議を通すのも、承認ルートが多すぎて、遅すぎる。 というまだまだ社会人として青二才だったころの、壁にぶちあたり、それなら自分でやったほうがいいんじゃないかと、経営者のことを調べているうちに、経営コンサルタントという仕事があることを知り、それを仕事にできる資格があることを知った。 それが、中小企業診断士だった。 経営コンサルタントになれば、い

          中小企業診断士を目指し、落ちる