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エリアマネージャー時代

2011年4月~満を持してエリアマネージャーに昇進。テキトーな私服でお店に出勤していた日々からパリッとスーツで本社出勤に変わった。

満を持してと書いたのは、3月の表彰式で優秀店長賞や業態のトップオブ〇〇という称号を総ナメにしたので、満を持してでしたw

最初の担当は6店舗。高田馬場、石神井公園、八王子、国分寺、府中、王子だったかな、、、うる覚え、、、担当店舗は3か月くらいで、めまぐるしく増えたり減ったりを繰り返した、途中20店舗くらい持っていた時期もあったが、おおむね8~10店舗ほどに落ち着いていた。

マネージャーになりたてのころは、店長時代の成功で完全に天狗になっており、自分の言うとおりにやらせる。店長だけでなくアルバイトも直接マネジメントを行い、まさに店長の延長線で仕事をしていた。そんな感じなので、担当店舗の業績は上向き、3か月で売り上げ達成率はトップになり、さらに天狗になった。

が、、、、ほころびはすぐにでる。当然各店舗に介入しすぎたせいで、もろもろの仕事が回らなくなり、やらないといけない仕事が溢れ、すべてがおざなりに、店長の中でもアルバイトと私が直接やり取りしてるので、存在感をなくしてしまう子もでてきてモチベーションダウン。だんだんと業績悪化し、すぐに最下位転落したのを覚えている。

徐々に、マネジメント手法を勉強、経験し、少しずつ改善を試みた。

意識したこと

1,仕事のコミュニケーションの対象は店長、副店長、アルバイトリーダーまで

2,現場で考えたアクションプランを徹底させる。

3,担当店舗のPDCAを回すことを意識。2の補完

4,週に1回は現場にたち、オペレーションの改善点をみつける

5,まずほめる。指摘はそのあと。

6、どんな時もレスは5分以内。

7,目標、進捗、PLの可視化

1は当初の失敗を反省しお店の主役は店長、リーダーでありマネージャーは縁の下と位置付けるように変更した

2、3は腹落ちしたアクションを実行させるには実行可能なアクションを現場からもらうこと、そこに対してアドバイスやこちらで動けることをすり合わせし、リアルなアクションプランを策定できるようになった

4は現場に立たないと過去の経験則から物事を考えるようになってしまうので、直接体験することで、気づき改善点がわかるようになる。

5は当初自分のイメージとのGAPで、よく怒ってしまい、みんなを委縮させてしまっていた。そうなると本音はでてこなくなり、うそをつく店舗になり、本質が見えなくなってしまう。そのため、まずは笑顔で挨拶、小さなことでもほめる。感謝を述べるように心掛けた。

6は上司に報告、連絡、相談があるときは緊急時、重要時のことが多い。その時にレスが遅いと相手は不安になる。そのため、すぐに反応できるように、当時は枕にスマホをおいて、どんな夜中でも反応できるよう準備をしていた。信用が得られたのはこれが何気に大きいと感じている。

7はアルバイトまで出せる情報を共有したいと思っていた。自分の働いていたお店がどんなお店で、どのくらいの業績だったか、また何かしたことで、数字に変化があったのかなど、理解しておくと、彼らが就活等で生きる経験になるからと考えたから。アルバイトから社員になる子も、これを始めてから増えたと思う。知っているという感情は非常に大事。

少しずつ気づき、自身を改善することで、エリアマネージャーになってから、4年で優秀SV賞をいただくことができた。最優秀店長よりも長く時間がかかったのは優秀な人材が多かったからだろうか。

この受賞で一つの節目ができた。

この頃になると、自分を怒る上司もいなくなり、またまた天狗になりかけていた。その頃、後輩からあるベンチャーの社長を紹介され、転職することになる!次回はそのお話を!※いつ書こうかなw

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