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過去の出来事は全て繋がっていたと感じた話①〜看護師として〜


長い人生の中で、

「過去の経験や思いと今目の前のことが結びついていたんだ。」

って感じたことはありませんか?

私は最近感じていて、今回はそんな話をしたいと思います。


私は先月からスクールでコーチングを学んでいます。

仕事しながらスクールって大変だねって思うかもしれませんが、今は専業主婦なんです。

noteでお話するのは初めてですが、3年ほど前まで看護師を20年以上やってきました。

労働条件の悪化や家族の状況などで一旦仕事辞めて1年位で戻る予定が、いろいろあって予想外に専業主婦生活が長くなっているところです。


私は小さい頃からの夢などは特にありませんでした。

時々大人に聞かれたり、学校で書かなくてはいけない「夢」についての作文などは苦手でした。

「夢、当然あるでしょう?」

というスタンスが好きじゃないし、みんながいつ夢を見つけたのかも不思議でした。

小中高と成長していくと、友達の夢はいよいよ現実味を帯びたものになってきます。

高校の時、私の周りは将来をしっかり考えて具体的な夢や目標を持っている子達が多く、何もない私は少し取り残されたようにも感じていました。

高校3年生になり、進路を決めなくてはいけなくなっても

「大学は行っておきたいなぁ。学部はとりあえず興味のある英語か心理学かなぁ。」

くらいの漠然とした感じ。

そのまま夏休みへ突入して初めて自分の将来について真剣に考え、自分と向き合いました。

だ〜いぶ遅かったですね。

そして、ネットのなかった時代なので、職業の一覧が載った本を兄から借りて読み込みました。

「机に向かってパソコン作業やデスクワークは私には耐えられないかも。動きたいし、人と話したい。人と接する仕事がいいな。人の役に立つ仕事がいいな。」

そう思って看護師に決めました。

これだ!と思った訳ではありませんが、私の希望を満たしているのはこれかなと。

たった1日か2日で決めたと思います。

その少し前に家族が入院したことも多少影響はしていたと思います。

もう一つ臨床心理士やカウンセラーなども気になりましたが、悩みの深い人達のマイナスの感情の影響を受けながら自分の感情をコントロールできる自信がなく、給料や就職の面も考えて看護師を選びました。

突然将来の仕事を決めた私は、高校の文系クラスにいたのに理系の受験をすることになりましたが、まぁなんとかなるかなと楽観的なものでした。

看護師になるには、専門の大学、短大、専門学校で学び国家資格をとる必要があります。

大学は4年制。
短大と専門学校は3年制。

その頃はまだ看護大学の数は少なく、大学に行くと3年で看護師資格をとり、残り1年で助産師か保健師の資格をとる為の授業があります。

私は看護師しか考えていなかったので最後の1年が無駄に感じてしまい、3年制の短大に進みました。


就職先を考える頃老人看護に興味がありましたが、それは私が中学生の時に90歳で亡くなった祖母への思いが関係していると気づきました。

祖母は一時的に一緒に住んでいたこともありますが、いわゆる孫をかわいがるおばあちゃんといった感じはなく、愛情を感じることはありませんでした。

年齢的にはおばあちゃんより「ひいおばあちゃん」くらいの私との年齢差です。

戦争で夫と長男を亡くしてから、一人で頑張って他の3人の子供を育てあげた人です。

80代でも友達とゲートボールを楽しんでいましたが、足腰が弱ってそれもやめる頃にはご飯以外は部屋に引きこもる感じでした。

私が小学生の頃、祖母が勘違いのようなことから母に向かって

「私なんか早く死んじゃえばいいと思ってるんでしょ!!」

と怒鳴ったのを覚えています。

日々ケンカしていた訳でも特別仲が悪かった訳でもなくその時限りでしたが、祖母の孤独と悲しみを強く感じました。

そんな祖母に歩み寄ろうとしても、孫にあまり興味のない祖母にはうまくいかなかったんです。

少しでも祖母の気持ちを軽くしたかった、助けたかったという思いが心の奥に残っていて、それが看護師を選んだ理由にも関わっていたと気づきました。


短大卒業し、国家資格に合格し、病院に就職。

病棟では三交代制で夜勤もやっていました。

夜は眠くなるリズムが崩れて、睡眠の大事さを噛みしめつつ。

看護師への夢や憧れもあまりなかった私にとって、仕事内容自体はハードなものでしたね。

当時は時間外の仕事は当たり前にあり目の前のことを必死にこなす毎日でしたが、仕事について時々「思うこと」はありました。


就職2年目の時、決まりきったルールと上司の独断と偏見で命令する様に先輩達の不満が大きかった頃、ふと

「私は雇われて働くのが向いてないかも。」

と思った瞬間がありました。

だから何ができる訳でもなく、ただ働き続けましたけどね。

大変だけど、やりがいも感じていましたよ。

3年は同じ部署で頑張ろうと思ってきて4年目になった時、別の部署で働いてみたくなりました。

看護師が数年で部署異動するのは、大きめの病院では自然なことで、希望しなくても異動になったりします。

その時希望の病棟には異動できない状況があり、他の部署に行きたいところがなかった私は、

「だったら病院うつるか。」

と自然に考えていました。

看護師として別の病院就職を考えるかたわらで、当時Amazonもなくまだ知名度の低かったネット販売を知り、アジア雑貨を売ったらいいなぁなんて調べたりもしていました。

そんな中、

「どうせ病院うつるなら、すぐに働くんじゃなく旅に出るチャンスでは!!」

と突然思った私は病院退職後、まずアジア旅行へ旅立ったのです。


旅から戻ると、ネット販売の厳しい状況も確認して、看護師としての誇りを持っていることも自覚して別の病院に就職したのですが、実はそれまでにはいろんな葛藤がありました。

看護師の仕事になんだか違和感を感じていた私は、

「人と接する仕事で人の役に立つ仕事には違いないけど、なんか違う」

という思いで改めて他の仕事も調べていました。

でも、カウンセラー、介護士、アロマセラピスト、リフレクソロジスト、、、

考えてみてもピンとくるものはなく、

「だったら内容的にも給料的にも看護師でいいのでは。」

とグルグル考えては結局看護師に戻ってくるのでした。


そして再就職。
新しい病院で、夜勤もこなす日々。

結婚し、一人目の子を生んで一年程度で復帰し、当たり前のように夜勤のある生活に戻りました。

子供を寝かしつけてから仮眠もろくにとれずに夜勤に行かなくてはいけない。

そんな時添い寝しているママの仕事モードを感じ取るのか、子供はなかなか寝てくれません。

一緒に寝たいのを我慢して後ろ髪引かれながら病院へ向かう。

小さい子を抱えての三交代はなかなかきつく、毎日バタバタと過ぎていきます。

あまりに家族との時間がとれないので二人目の出産後は日勤だけの職場にうつりました。

忙しいながらも家族と過ごす時間もとれるようになり、久しぶりに睡眠リズムも整いました。




        to be continued…


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