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気・エネルギー、浩然の気

「気は、役に立つ者には役に立つ。」(五木寛之 「気の発見」より抜粋)
五木寛之さんのおっしゃるように、気やエネルギーは、関心の無い方にとっては、何も無い世界です。

入り口は何でも良いと思います。坐禅、ヨーガ、気功、太極拳、武術、空手、合気道、茶道、華道、弓道、居合道、音楽、舞踊、ダンス、、、などなど。

どれも古式ボディーワークを通して、エネルギーの流れを肉体に導き、活性化させて自分や他人を癒し、自然治癒力を高めます。武道ではベクトルを変えて技に応用します。(しかし、エネルギーまで扱う団体は非常に少ない、形骸化が進んでいます。)

エネルギーに垣根は無い。
どこから始めようが、それぞれの分野を探求していくと、ある時、不思議な事をしている人に出会う。

手の平が熱いと言ったり、手を向い合わせにしてエネルギーのボールで遊んでいたり、樹木を抱きかかえたり、手の平を当ててみたり、かざしてみたり、足の裏から吸う呼吸をしたり、身体のある部分を意識した呼吸をしたり、呼吸を止めたり、爆発呼吸とか、意念とか、、、

武道の対峙練習では、向かい合っての打ち合いや、意味のなさそうな押し合いをしていると思えば、片方が突然崩れたり、いついたり。

見た目とか理屈でしか判断出来ない人は言います、「胡散臭い。」

そこには、ただスポーツ感覚で力で頑張って辛いポーズをしたり、打ち合ったり、瞑想したりして味わうことができる肉体的疲労感、爽快感、達成感、充実感、気持ち良さ等の、いわゆる「やった感」とは別の感覚があります。

武道ではエネルギーを扱うものは合気道の世界だけと思いきや、空手界でも達人が登場して広がりを見せています。

茶道でも「手からはエネルギーが出ているんだよ。」と説く師匠もいらっしゃると聞く。私のクラスにも、武道、書道、歌、ダンスの先生がいらして下さる。

エネルギーは、生まれながらに感じやすい人は確かに居るが、ほとんどの人は訓練が必要です。それぞれのジャンルにその訓練法が存在するようです。

まず、感じるようになるには感じやすい肉体にする必要があります。ファッシア、経絡、ナディというエネルギーの通り道を通りやすくします。

その方法が呼吸法やヨーガのポーズであったり、気功や空手の型なのです。

単に身体の関節の可動域を広げたり痩せたり汗をかいたりするだけが目的ではないのです。

エネルギーが流れやすくなった肉体というのは、本当に心地よいものです。「温泉に浸かっている時のような」心地良さです。いつまででもポーズや型をとる事ができます。ストレスに対しての一時的な逃避(リトリート)でしたらこの段階で充分です。

この段階ではエネルギーの流れは、肉体内の循環だけですから、溜まったストレスは実はそのままなんです。私が、師に「お前のエネルギーは偽物だ!」と叱咤されたのもこの段階でした。

この段階でもその時だけは十分に気持ちがいいのですから、まだまだ奥が深いことには、なかなか気がつけません。ほら、有酸素運動もスカッと爽快でしょう。
ストレスはそのままなのに。

商業主義ではそれで良いのでしょう。
ほとんどの人達は、ここで足踏みしています。次があるのです。次の段階が。

それは、浩然の気を味方にする。です。
溜まっているストレスを流すには、浩然の気を味方にすると良いです。

浩然の気は、ピュアで大河のような大きな流れです。
そこに繋がることが出来れば、ストレスは流れ出てくれます。

ピュアで大河のようなエネルギーの流れと調和します。

浩然の気と繋がるコツは無心です。
中村天風さんの言葉では「絶対のしじま」です。

繋がった感覚を「検証する知恵」は、気功、太極拳、古伝空手にあります。太極拳の推手のような対峙練習です。

坐禅やヨーガには検証までは無いようですが、もっと調べてみますね。
長くなりました。ここまでお読みいただき、ありがとうございました。


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