スペインでスリにあったらどうするかのお話と、そこから派生した物語。
To be or not to be.
あまりに手垢のついた言葉である。
高校生の頃ハムレットを読んで、意外と読みやすいし面白いジャン。という感想を持ったけれど、あの頃の私は言葉を言葉として、そのまま手のひらにのせて楽しんでいただけにすぎない。
それから何年も経って、日本から遠く離れたマドリードの小さなベッドの上で、夜中の3時にふと思った。
「ああ、to be or not to beだなぁ」と。
思ったというより、私はその言葉の意味を、人生の不思議を、少しばかり理解したのだ。
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先週の日曜の昼下がりである。
やっとこさベッドから立ち上がった私は腹が減っていた。
ここ最近なんだかうまくいかないことが続いており、毎日パソコンを見すぎているせいで眠りも浅く、疲れがとれていない。珍しく自炊する気も沸いてこない。
なので、今日はもう外食をしよう!と思った(普段一人では外食しない)。
そうだ、こないだ人から聞いた、美味しいラーメン屋というのがうちの近くだから、そこに行こう。
無性に変なことがしたかったので「セミ取りに行く夏休みの小学生」をテーマにコーディネートしてふざけた写真を数枚とってから出かけた。
ラーメン屋には客が一人もおらず、私は最近始めたインスタのストーリーにラーメンを食べる様子をアップしたりして結構楽しく過ごしていた(今思うと本当にアホである)。
ラーメンを食べ終え、気がつくと、足元に置いてあったはずのリュックがない。丸ごと、ない。
一瞬目を疑った。
え、何かのマジック?だって誰も私の近くを通ってないよ??
「いやいやいやいやうっそーーー!」と心の中で叫ぶと同時に、店主のおじさんに「リュックがありません!」と実際に叫ぶと同時に、頭の中では冷静に「あ、こりゃ盗まれたな」と考えていた。
人間は思った以上にマルチタスクである。
実はつい1ヶ月ほど前に、私は財布を盗まれていた。
もっというと去年は携帯を盗まれている。
つまり今回で3回目であって、一体私はどこまでアホなのか。
そんなことがあってたまるか、という謎の「リカバリーしなくちゃ精神」が頭をもたげてきた。
今まではそのまま警察に届け出に行っていたけど、そんな簡単に諦めたくない・・・
ところで、これは海外あるあるだと思うけれど、何かあった時には、ワーワー言って騒いだ方が良いと思っている。日本人にありがちなのが、困っていてもしおらしく静かにしてしまうパターンだけど、海外では日本みたいに遠慮を美徳としたり周りが優しくお世話したりということはない。
なので私は銀行のカードを止める処置を素早く電話で行い、それからワーワー騒いだ。文字通り、ワーワー言いながら「カーキのリュックを持った人を見なかった!?盗まれたんだけど!!」と聞いて回った。
が、流石に聞き込み調査では何も得られなかった(当たり前や)。
(ちなみに一人が本当か知らんが「あっちに行ったぞ!」と教えてくれたものの、「わかった!」と言って5メートルくらい走ってから止まった。「え、このあとどっち行けばいいの?」)
でも、騒いだことによってレストランがあった施設のセキュリティの人が「数日後に確認の電話してくれ。リュック見つかったら教えるから」と電話番号をくれたりしたので、やっぱりワーワー言うのは大事だと思う。
今これを読んでいる人は、とっくに逃げて見つかるはずもない犯人を探してるのかこいつは、と思われるかもしれないが違う。
スペインのスリのやり口は、現金、携帯やパソコンなど足のつかないものを盗んでから、残りはどこかに捨てる場合が多いらしいのだ。
私も、盗まれた時点で財布に入っていた現金については諦めていた。でも、リュックの中にはそれ以外にも色々な大事なものが入っていたのである。そう、身分証とか家の鍵とか、その他細々した、私にとっては大事だけど他の人にとっては価値のないようなものたちが・・・
だから、私は次にゴミ箱を探し始めた。
犯人が金目のものを取った後に、その辺のゴミ箱に捨てた可能性があるからだ。
大きいゴミ箱を探して・・
中を見る。ない!
こんな感じで30個近くのゴミ箱を見ただろうか。
そろそろ、あーやっぱり無理だな、という気分になってきた。
私はよろよろと近くにあったベンチに近づき、ごろりとベンチに横になった。
この日は快晴で、暑くも寒くもなく、木陰のベンチで寝っ転がるのは最高に気持ちがよかった。
思えば昔から、ベンチで寝ているおじさんを見ていいなぁと思いつつも、乙女心が邪魔をしてできなかったなと思い出した。
寝転んだまま、ぼーっとしていた。そして時折、唯一被害を逃れた携帯を使って、友達に愚痴ったりセルフィーをとってインスタにあげたりしていたら、だんだん元気が沸いて来た。
それで、やっと立ち上がって、携帯を片手に警察署に向かう坂道をぶらぶら登り始めた。
その時である。
うわ、身体めっちゃ軽いな。と思ったのは。
リュックがなくなった肩が軽いのはもちろんだけれど、なんというか身体全体が軽い。
何故かしら、心まで軽い。
私はリュックに詰めていた物たちについて考えた。
日本製のボールペンや蛍光ペン数本、お気に入りだった星の王子さまのノート、買ったばかりのUSBドライブ、財布がわりの小銭入れにつけていた友人とお揃いのピンバッチ、一本しか持っていない折り畳み傘、スペインに来る前に友人たちがくれたエスティーローダーの名入りのリップ・・・
全て大事なものだし、返してもらえるなら今すぐに返してもらいたい。
だけどもう、どうしようもないのだ。
アホなことをしようとして出かけたら、期待以上にアホなことが起きてしまった。
でも、できるだけのことはしたしな、とも思った。
財布だけとかじゃなく、リュック丸ごとというのが痛快だな、とすら思った。
事件直後の興奮状態が、歩き回ったり色々な人と話したり、そしてベンチで寝てのんびりしたことによって冷めてきていた。
小学生みたいな格好をしていることも手伝ってか、私はなんだか子どもに戻ったような錯覚に陥った。
一体いつから、あんなに多くのものを常に持ち歩くようになったんだろう。
カタルシスみたいなものかもしれない。
リュック丸ごと盗まれておいてこんなことを言うのはなんだが、私の心は出かける前よりすっきりとしていた。
どうしようもないけど、どうにでもなるのだ。
リュックに入っていたものが全部なくなったって生きていける。
だって私は無事だから。
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その日は本当に久しぶりに、早い時間からぐっすりと眠ることができた。
夜中の3時くらいにふと目が覚めて、あ、to be or not to be って、そういうことかぁと唐突に思った。
苦しい生も、眩しいばかりの生も、凡庸な生も、死という対照の前では、きっと to be でしかないんだろう。
生か死か、それだけが問題だ。
それがどんな生であるかは問題ではないのだ。
何故そんなことを思ったかはよくわからない。
自分の思考回路ってよくわからないものだし、結局自分で考えてるように見えて、私たちは何か大きな流れを運ぶビークル(乗り物)なんじゃないかとすら思う。
(※これはNagikoの勝手なシェークスピア解釈であって、実際ハムレットの内容は覚えていません。どうもごめんなさい。)
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それから三日後、突然電話が鳴った。
なんとなんと、私の小銭入れが家の近く銀行のポストに入っていたとおっしゃるではないか!
なんでも身分証やら家の鍵が入っているのだという。
もう完全に諦めていたので、これには本当に驚いた。
私はそれこそ小躍りしながら、取り置いてくれているというその銀行にダッシュで取りに行った。
しかし、家の鍵は小銭入れに入っていなかったはずなのだが・・・犯人がわざわざ入れたのか。それとも私が聞き間違えただけでリュックが見つかったのか。だとしたら中身はどうなっているのか・・・。
かくして、そこにあったのは小銭入れではなく、目薬や歯ブラシを入れていた小さなポーチであった。
見た瞬間、喜びよりも、何故???という思いで頭がいっぱいになった。
まず、なぜ犯人はわざわざこの小さなポーチに入れ替えたのだろう。
小銭入れ(財布として使っていた)も布製のしょぼい代物だったのに、そっちはキールズのポーチだから欲しかったんだろうか。でも、このポーチの方が革製で高いはずなのに。
いずれにせよ友達とお揃いのサグラダファミリアのピンバッチは返して欲しかった。
そしてそもそも何故リュックは返ってこなかったのだろう。別にブランド物でもない、安いリュックだけど、気に入ったんだろうか。犯人はあれを使うんだろうか。
そして気になる中身だが、まず身分証、銀行カード、免許、そして家の鍵。
これらはわかる。きっと犯人も私に同情?して返してくれたんだろう。
犯人は、人のものを盗んだりはしたけれど、多少の良心は持った人なのだろう。
面白いのはここからで、なんとUSBが入っていた。
実は私のリュックには新しいUSBと古いUSBが二つ入っていたのだが、犯人は古くて壊れかけているほうだけを返却してきた。
しかしまあ、リュックにはもっと色々返却できるものもあったはずじゃないか。
使いかけのリップとか、使いかけのノートとか・・
それらの品を、犯人は使うのだろうか。
目撃情報によると犯人は男だから、彼女か妹にでもあげたんだろうか。
彼女は、一体どんな思いで、見知らぬ日本人の女の名前が入ったリップを使うのだろう。
どんなことを考えて、花柄の折りたたみ傘をさすのだろう。
彼らからすると、古いUSBが唯一、返す意味がある(でも彼らにとっては大した価値がない)ものだと考えたんだろうか。
あのリュックに入っていたものの中で、一番どうでもよかったUSBがご丁寧に返ってきたのには笑ってしまった。
そしてさらに驚くべきことには、家庭教師の授業料の領収書が一枚、きれいに折りたたまれて入っていた(入っていたことすら忘れていた)。
これがないと困るかもしれないとでも思ったのだろうか?
リュックを丸ごと盗むという荒っぽいことをしながら、こんな細やかな気遣いを見せる犯人は一体どんな人だったんだろう。
私は、小銭入れに入れていた、マリア様のペンダントに思いを巡らせた。
私はキリスト教徒ではないけれど、そのペンダントは人からもらった特別なもので、小銭入れにお守り代わりに入れていたのだ。
犯人は、私をキリスト教徒だと思っただろうか。
マリア様のペンダントを見て、罪の意識が頭をよぎっただろうか。
気に入ったから、ペンダントは返してこなかったのか。
それとも彼女にあげたのか・・
なんとなく、あのペンダントが入っていたから、彼らはこれらの品を私に返そうとしたのではないかと思った。
私は若い、キリスト教徒の男を想像する。
彼が、同じく若い女に、私のリュックに入っていた品々をプレゼントするのを。
彼らは私の身分証の写真も見ただろう。
彼女の首にマリア様のペンダントをかけてやりながら、「あまり金目のものは入っていなかったんだ」と男は言う。
「ねえ、かわいそうだから、身分証とか家の鍵は返してやりなさいよ」と彼女が答える。
「ほら、この領収書も、もしかしたら必要かもしれないじゃない。」
夜、人気のない通りで、真っ暗な銀行のポストに、彼らは小さなポーチをそっと入れる。
銀行ならちゃんと私まで届くと考えたんだろうか。
私の銀行カードとは違う銀行にしたのは、そこまで行くのが面倒だったからだろうか。
一体その時、彼らは何を考えていたのだろう。
彼らはどんな生を生きているのだろう。
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