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好きなキャラクターの年齢を超えてしまった

 ちょっとした自慢だけど、エヴァの主人公と同じ日に自分は生まれてるんです。2001年の6月6日。
 
 何度も公開延期が発表されていた「シン・エヴァ」の公開日がやっと決まった。3月8日、月曜日。

 エヴァが好きだ。どこが好きかと言われても分からないくらいエヴァが好きだ。

 それはそうとこの長押し、シンジくんと同い年「だった」んです。

 2015年、彼と完璧に同い年になった瞬間から、彼の年齢を超えた。

 好きなゲームに登場するキャラクターの設定年齢を超えつつある。

 当時は同い年だったキャラクターの歳を軽く超えてしまった。

 好きなキャラクターと同い年になって、そして自分との違いに対して複雑な感情を抱く。

 憧れの存在はいつの間にか年下になっていた。

 自分が思ってるよりも早く、老けることのない憧れの人たちは年下に変わっていった。

 追い抜くのではなく、肩を並べられる人になれるかが大事なのかもしれないとふと思うことがあった。

 これでようやく憧れのあの人と同い年になれたのだと思える安心。

 そして生まれる「本当にこの人と自分は同い年なのか」と感じる漠然とした恐怖。

 それでも、それなりに成長してそれなりな経験をした今になれば、少年の頃憧れだった人は思っていたよりも仕事ができないし、人間としても性格に難があったことが分かることがあるのもまた一興。

 小さな頃に見たヤンキー気質な男は、いざそれくらいの年になるとただの犯罪者一歩手前のやつだった。

 よくお酒を飲んでいたけどいざという時はかっこよかった姉御キャラも、よく考えればアル中に片足突っ込んでて、酒以外で自分の問題を先送りにし続けてるヤバい人だった。

 同じくらいの年になっても憧れ続けることができているキャラクターは、今や「バキ」に出てくる花山薫くらいしか残っていない。きっと10歳年上、50歳年上になろうとあの「侠気」を自分の身に宿すことはできないだろう。

 自分にとっての憧れの人って、案外すぐ変わるし、意外と早く失望したりしてしまう気がする。

 BLEACHにこんなセリフがあった。

『「憧れ」は「理解」から最も遠い感情だよ』  藍染惣右介

 確かにそうなのかもしれない。

 どれだけ憧れてその人に魅せられて焦がれようと、結局その人そのものにはなり得ない。

 憧れの人は変わり続けるものなのかもしれない。

 誰かの発した一言をひたすらに書き留めて刻み込んで、咀嚼して反芻して自分のモノにする。

 それこそが憧れの対象を消化することであり、自己との同一化なのかもしれないと感じた。もしかするとこれこそが人類補完計画なのかもしれない。知らんけど。

 だから今日も何かしらに触れ続けてるのかもしれない。借り物の言葉を貸し与える存在になれる日はいつになるのやら。

 ひとまず来週に迫ったシン・エヴァが楽しみで楽しみで夜しか寝られないしご飯も三食しか食べられなくて困ってます。絶対に初日に行くしその辺のタイミングはSNSも封印します。

 ではまた明日。さっきまで隔週でお世話になっている読書会に参加していたので明日はそこで聞いたことについて書こうかと思ってます。

 

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