『障害児』なんていない
私はブログでは、『発達障害』『自閉症スペクトラム』『ADHD』『LD』
などと言われている子どもたちのことを中心に書いていますが、
私は目の前にいる子どもを『障害児』だと思ったことはありません。
診断名で、子どもを判断することはできません。
1人1人の人間が、それぞれに完全な自我、
完全な精神を持っていて、
誰もそれを傷つけることができないからです。
どんな病も、どんな環境も、
その人の自我と精神を損なうことはないのです。
でも何らかの理由があって、
ある部分が今はまだ上手くできない子どもたちがいます。
また、病気や事故で苦手なことが生じることもあります。
しかし
『ここまでは障害ではない』
『ここからは障害』
と、いう線引き自体、全く意味がありません。
誰にだって、多少は苦手があり、偏りがあり、
決して完璧な人は居ないからです。
『この苦手があって辛いな。大変だな。』
と、子どもが思っていることがあれば、
その成長を助けたり、バランスを取ったり、支援したりする、
特別な配慮をするのは、周りにいる大人の役目です。
ポイントになることは
『子どもが困っているか?』
『周りの人が困っているか?』
この2点です。
子どもがとても苦手なことがあって困っているときは手助けが必要です。
周りの人、家族、友人、先生などが、
その子にどのように対応して良いのか分からず、
とても困っているときも、何らかの助けが必要です。
『こどもが困っている』あるいは
『周りの人が困っている』というケースでも、
支援や療育など、特別な手助けに大きな抵抗を感じるかもしれません。
『この子は障害児じゃないのだから手助けは必要ない』と考える。
あるいは、
『障害も個性だから、この子はこのままでいい』と考える。
確かに、そういう考え方もあって良いと思います。
ただ、もし目の前にいる子どもの『偏り』や『苦手』などを、
『固定的で一生変わらないもの』
と、いう考え方をしているとしたら
『どの子も成長していくものです』
『どの子も変わっていくものです』
と伝えたいのです。
『発達障害』は、『発達のつまずき』なので、
そのつまずいた部分に働きかけることによって、
発達の順番通りに、取り戻せることもあります。
そういった多くの具体例を、
実際的な方法とともに、なんとか多くの人に伝えたいと思うのです。
そうすると、
『自閉症』や『ADHD』と、いうような言葉を使うしかない。
できれば、そういう言葉は、使いたくなくて、本当に長年悩んできました。
でも、実際に、
『この子は発達障害です』
『自閉症スペクトラムです』
『ADHDです』
と、診断され、どうするべきなのかと、悩んでいる人が沢山いるのです。
その人たちに、こういった考え方を、届けたいと考えると、
『便宜的に』『一般的に通じやすい用語を使う』しかないと思うのです。
そこで
『今は障害名を使う場面があっても仕方がない』
と、いう結論に至りました。
子どもと一緒に居るとき、私にとって、
その子は、他の誰とも違う、かけがいのないたった一人の子どもなのです。
目の前にいる子どもに心から畏敬の念を持つことは、
『だから、このままで良い』
『特別な指導を一切しない』
と、いうことには、繋がらないのです。
目の前にいる子どもを、とても尊く、大切だと思うからこそ、
本来その子が持っている、
完璧な自我と精神を発揮できるような手助けをしたいと願っています。
『障害児』なんていないんです。
でも少し手助けを必要としてる子は、沢山いるのです。
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