見出し画像

日本代表監督史3_2 加茂周監督

みなさんこんにちわ!

今回も引き続き「日本代表監督の歴史3 加茂周監督」というお話です。
ネルシーニョ騒動後の加茂ジャパン。
続投後の加茂監督をみてみましょう。
もしかしたら、今後の日本代表が向かうべき方向がみえるかもしれません。


⑩カールスバーグカップ(1996年2月)

ネルシーニョ騒動のあと、香港の国際サッカー大会で、ビール会社のカールスバーグが冠スポンサーになっている大会に参加しました。
スウェーデンにはPKで負けましたが、ポーランド戦でゾーンプレスもうまくはまり、若手の名波選手、森島選手も躍動。加茂ジャパンの中でもベストゲームなんじゃないかという試合をしました。日本代表って、結構ヨーロッパのトップクラスではない国にはこの時から渡り合えてるんですよね。
この試合で一番大きかったのは、加茂ジャパンでワールドカップ予選に挑むってことがハッキリした点が大きかったんだと思います。

・1996年2月19日:日本 5-0 ポーランド代表
・1996年2月22日:日本 1-1スウェーデン(PK4-5)

⑪キリンカップ(1996年5月)

加茂ジャパンはキリンカップでもヨーロッパ勢に勝利し、戦術ゾーンプレスが浸透していることを示します。2チームに勝利しキリンカップは優勝という最高の結果でした。

・1996年5月26日: 日本 1 - 0 ユーゴスラビア
・1996年5月29日: 日本 3 - 2 メキシコ

ちなみにユーゴスラビア代表はイビチャ・オシム監督、ストイコビッチ、サビチェビッチ、ユーゴビッチとスター選手が集まるヨーロッパでもトップクラスの強豪チームでした。

⑫アジアカップ(1996年12月 アラブ首長国連邦)

キリンカップでいい成績を残して、
ワールドカップのアジア予選を見据えたアジアカップに入りました。
Jリーグは11月頭にシーズンが終了したあと、アジアカップが12月に開催ですから、
この「アジアカップ」という大会は、日本代表的には開催時期がとても悪い大会です。少し選手のコンディションが少し落ちてたり、バラバラだったり。(当時の海外リーグでのプレーヤーは三浦カズぐらいでした。海外リーグはリーグ戦真っ最中の時期なのでコンディションが上がっている状態なんです。)
なので、結構日本代表としては難しさのある大会なんです。
結果は準々決勝で敗退。優勝はサウジアラビアでした。

クウェートのマチャラ監督はマンツーマン守備+カウンターで日本代表を翻弄。終始クエート代表が優位な展開でした。この試合を機にマチャラ監督は「中東の魔術師」と呼ばれてまして、その後サウジアラビア、オマーン、バーレーンの監督も務めています。
攻撃ではゾーンプレスの弱点である「人と人の間に立つ」ポジションをとったり、戦術家としても1枚上手だったと思います。

グループステージ
・1996年12月6日: 日本 2 - 1 シリア
・1996年12月9日: 日本 4 - 0 ウズベキスタン
・1996年12月12日: 日本 1 - 0 中国
準々決勝
・1996年12月15日: 日本 0 - 2 クウェート


アジアカップって、2024年現在でも日本人監督では優勝してないんですよね。
日本代表にとっては鬼門とも言える大会です。

⑬キングスカップ(1997年2月)

ワールドカップアジア予選に向けたテストマッチとして、タイでキングスカップに参加します。ここでもゾーンプレスの対策がされ始めて、タイ代表にドロー。アジア予選に不安を残す結果となりました。

・1997年2月9日: 日本 1 - 1 タイ
・1997年2月13日: 日本 0 - 1 スウェーデン

代表レベルともなるとすぐ研究と対策がされてしまいます。クオリティで上回れればいいんですが、この時の日本代表はそこまでではなかったです。
やはり、戦い方、戦術は大事で複数持てるようにならないと日本代表レベルでは難しいということです。

⑭アジア一次予選(1997年3~6月)

1998年アメリカワールドカップのアジア一次予選。日本の入った組の内訳と結果はこんな感じでした。

グループ1

グループ2

グループ3

グループ4

日本 10-0 ネパール (1997年5月11日)
日本 10-0 マカオ (1997年5月18日)
日本 1-1 オマーン (1997年5月25日)
日本 5-0 ネパール (1997年6月8日)
日本 3-0 マカオ (1997年6月22日)
日本 2-0 オマーン (1997年6月29日)

一次予選は無敗で危なげなく進むことができました。

⑮アジア最終予選(1997年9・10月)

日本にとっては至上命題(至上命令)のワールドカップ初出場。最終予選の組分けはこんな感じでした。

グループA
サウジアラビア
イラン
中国
カタール
クウェート

グループB
韓国
日本
アラブ首長国連邦(UAE)
ウズベキスタン
カザフスタン

なんと韓国と同組。。
14年前の19835年にプロサッカーが始まっていて、アジア最強と言われていた韓国と同組になってしまったんです。しかもワールドカップ出場までのレギュレーション(大会ルール)はこんな感じでした。

・グループ分け:最終予選には10チームが参加し、A組とB組の2つのグループに分かれる。
・試合形式:各グループはホーム&アウェー方式でリーグ戦を行い、各組の1位チームがワールドカップ本大会への出場権を獲得。
・第3代表決定戦:各組の2位チームは第3代表決定戦(AFCプレーオフ)を行い、その勝者が3番目の本大会出場権を獲得。
敗者はオセアニア地区1位との大陸間プレーオフに進む。
・ゴールデンゴール方式:延長戦でゴールが決まった時点で試合終了となる「ゴールデンゴール方式」が採用。

韓国を越えて1位にならないとストレートでワールドカップに行けない状況。
アジア枠はプレーオフを含めても3.5チームという厳しいものでした。

1戦目のウズベキスタン戦は撃ち合いになりましたが6−3で大勝。
順調にいくと思いきや2戦、3戦と暗雲が、、
アラブ首長国連邦代表(UAE)にはアウェイで引き分けます。アウェイなので引き分けでも御の字と言えばそうですが、次のHOME韓国戦の終盤に1−0を守り切る作戦から1ー2で逆転負けをしてしまいます。よく選手交代によって、ディフェンスラインが下がり失点してしまうパターンでしたね。アウェイでアジア最強の韓国に勝つのは難しいと思われていたので1位通過するには厳しすぎる敗戦でした。

ちょっと今からは想像できないかもしれませんが、前回のアジア最終予選のドーハの悲劇があまりに劇的でドラマティックな負け方だったので、この1997年の最終予選は全国民の注目を集める様な狂気に満ちた戦いでした。韓国戦後テレビ局、サッカー雑誌編集社へは「加茂監督解任」の抗議の電話が鳴り止まない状況でした。
そして約1週間後のアウェイのカザフスタン戦に引き分けてしまいいよいよ2位になるのも怪しくなります。

1997年9月7日 東京・国立競技場
日本代表 6-3 ウズベキスタン代表

1997年9月19日 アブダビ
アラブ首長国連邦代表(UAE) 0-0 日本代表

1997年9月28日 東京・国立競技場
日本代表 1-2 韓国代表

1997年10月4日アルマトイ
カザフスタン代表 1-1 日本代表


【加茂監督更迭】
カザフスタン戦後、韓国と勝ち点差7で1位通過が現実的ではなくなりました。
アウェイの地で緊急会見が行われ加茂監督は更迭。代わりに岡田武史コーチが監督に昇格することになりました。
今でもワールドカップカップ初出場までの日本代表の道のりは、ドラマ以上にドラマティックでなかなかない筋立てだと思うんですが、当時は大変でした。うん、うん。

おっと、
この時の日本代表の欠点は個人的には「経験」だったのかなと思うんです。
オフト監督時代だったと思いますが、ある記者が「今の日本代表に足りないと思われることはなんですか?」とよく質問していました。海外からキリンカップなどできた監督・選手は毎回「経験だ」言ってましたね。最初は社交辞令からくる言葉だとばかり思っていましたが、そうではなかったですね。
イタリアの至宝と呼ばれていたバッジョも「経験」という言葉を日本代表に対していていました。挫折の経験、うまくいった経験、窮地に陥った時のチームへの声のかけ方、プレーの仕方、残り時間の使い方などなど。ホームの韓国戦は日本が引いて守り切れる様なレベル、メンタルではなかったという点。日本側が守備的選手を入れた後、マークしようとしていた選手をあっさり変えられて戦術変更されてしまった点とか。監督、選手共に経験が足りなかったと思いますね。
今の日本代表が強いのは、この1つ1つの積み上げの上に各選手が海外トップリーグでジェットコースターの様な浮き沈みを経験してるからってところです。



⑯加茂周監督が残したもの

加茂周監督が推し進めていたことは、

・モダンなサッカーをする
・世代交代をしていく
・ワールドカップ出場の切符をつかむ

という、3つだったと思います。若くて才能のある中田英寿、名波浩などの選手も育ち、世代交代には成功したと思います。
またモダンなサッカーを推し進めたという点も正しかったですね。ACミランが発展させたゾーンプレスを取り入れたのも世界のサッカーの流れを考えても良かったと思います。
ただ、戦術のバリエーションが足りなかった。
サッカーは相手がいるスポーツなので相手に対策されたらどうするか。対策の対策をされたらどうするかってところの準備やバリエーションがあまりなかったですね。もしかしたら、ファルカン前監督が務めた7ヶ月を充てていればそれもできていたのかもしれないですよね。

■PS
戦術でよくボールを持って組み立てるサッカーをした方がいい、バルセロナの様なサッカーを目指した方がいいとか言っている人を見かけますが、戦術って対策がされてしまいます。この戦術と1つに決めつけるのではなく、カウンターもボールポゼッションも3バックも4バックも5バックもできる事が大事ですよね。
次は岡ちゃんこと、岡田監督のお話をしましょう。

では、また!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?