ポジティブすぎるのしんどいよな

「世間からのポジティブの強要がしんどい。」
ってよく思ってたけど、最近だいぶ自由になれた気がします。

これまでに膨大な数のビジネス書や自己啓発本を読んできた動機は、
少しでも自分の助けになる言葉や考えが欲しい、とにかくヒントが欲しい、ということだと思う。

確かにそうだと納得できることもあれば、
「失敗にも意味がある」とか、「苦労は必ず報われる」とか、
いや、そんなこと無いし笑 私のことなんも知らんくせに偉そうなこと言うな笑 と全く受け入れられないこともあったり。

でも、なんとなく思うのは、どこかで読んだ言葉が、ある日突然、自分の言葉として出てくる瞬間があるということ。

「あの時諦めなくて良かった」とか、「昔の経験が今の自分に繋がっているんだな」とか、ふとした時に呟いた言葉に採用されているという衝撃!
その本を読んだ時の自分は、何言ってんだと思ってたけど、どこかに残っていたのか、あるいは自分の中から生まれてきたのか、今の自分が言ってるやん、という笑

だからおそらく、色んな言葉を目にしたとき、今の自分に対して直接ぶつけるのではなく、
「おー、そうかそうか、そういう考えがあるんだな」と距離を取るようにしている。

意識する間もなく響いてくる、あるいは傷つけられてしまう言葉もあるけど、
たいていは①受け取る、②スルーする、③保留する、
のどれかを意識と無意識の間で仕訳けている気がします。

今の自分が素直に受け取れるものもあれば、ちょっと違うなと思うことも、整理することで一旦は納得できる。

町を出歩く時とかは、②スルーする、のめちゃ大事!

騒がしい広告や、違和感を感じる人やモノ、うるさい音や汚い場所など、全部を意識してしまうとすごい疲れますよね。

現代でいうASPの傾向があるので、なおさらかもしれませんが。
(こういう分類自体、現代に馴染めない性質を排除し矯正しようとしているので不快やけど)

自分には関係ない、とバッサリ切り捨てることも、現代を生き延びるために必要だと思います。

ポジティブな言葉も、また、ネガティブな情報も、自分の状態によってはどちらもダメージになることがある。

そういえば私、いつのころからか、ネガティブな情報は自分から仕入れないことにしているかも。
ニュースは全く見ないし、言い方は悪いけどお互いのためにならない友人とは自然と疎遠になっているし、多少は親からの愚痴が流れてくるけれども。(ニュースで情報を仕入れないのは一般常識がないとか言われるけど、直接自分がどうにもできないことに心を割く事の方がムダだと思ってます。)

ホラーもサスペンスも、泣ける映画も、悲惨な事件や事故も、自分の中にネガティブな言葉やイメージのレパートリーが増えるので嫌いです。

ふとした時に出てくる記憶として、すべて蓄積されてしまうと思うから。

一方で、ポジティブな言葉も、強制されるのは違うと思う。

やりがいのある仕事、幸せな家庭、健康で長生き、とか、一般的に望ましいとされていることも、はたして、本当か?

LGBTQの権利、を掲げる行為が同時に、LGBTQという区別を認めることになってしまっているよね、とか。

善いことのイメージが強すぎて無意識に受け入れてしまっていることもたくさんあるけど、僅かな違和感はきっと気のせいじゃなくて、なんとなく感じる窮屈さの原因だと思う。

私は今のところ募金をしないんやけど、
・寄付するお金が本当にちゃんと使ってもらえるのか確信が持てない
・かといって、それをいちいち調べる時間がもったいない
・「募金お願いしまーす」と立ってるのと、その分自分たちでバイトしてお金を稼ぐの、どっちがお金集まるんかなと単純に疑問
・ウクライナなど一方に加担することが回りまわって戦争を支持することにならないかの懸念
・今の自分に投資することで将来的にもっと大きな金額で貢献できるかもしれない
・1円でも10円でも、粗末にしたくない
・失礼やけど、単純に、募金活動がうるさくて迷惑やなぁと思ってしまう
などの理由がざっと挙げられました。

したがって、とりあえず今は募金しない、と決めてるので、道端で呼びかけていてもスルーします。

冷たい、無慈悲だと思われるかもしれませんが、自分にできることを精一杯やりたいと思っているので、正直そうでもしないとやっていけないです。

でもきっと、たくさん本を読んだことで考え方のストックが増え、冷静に向き合うことはヨガや日常生活で訓練しているからこそ、ちょっとずつ楽になってきたのかなぁ。

自分の中の穏やかさを保つことは難しいけど、これからも修行を続けていきたいです。

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