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『日本文化POP&』に執筆協力しました。

『日本文化POP&』に執筆協力しました。

日本文化をカジュアルに楽しんでいこう。そんなテーマの本出版されました。

ここに、私が以前webで書いた、平安日記文学についての記事が引用されています(ほんの少しです)。

浮世絵、歌舞伎、茶の湯、源氏物語、幕末…について軽いノリで書かれつつ、読み終わったら少し知的になれたかも、と思える一冊です。

執筆協力として、私の名前が記されています。うれしくて、家族に見せました。

こんな感じで、ちょっと

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和樂webで掲載~世界で最初に「ビタミン」発見、鈴木梅太郎博士

和樂webで掲載~世界で最初に「ビタミン」発見、鈴木梅太郎博士

私たちが生きるために必要な五大栄養素に、「炭水化物」「タンパク質」「脂質」「無機質(ミネラル)」「ビタミン」があります。その中の「ビタミン」を世界最初に発見したのが、静岡県出身の農芸化学会鈴木梅太郎博士。そんな彼の生涯を記事にしました。

ノーベル賞級の発見だったのに、いろいろあって受賞できず。でも、この人のおかげで私たちは、栄養素の大切さを知り、バランスの取れた食生活を意識するようになったのです

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長崎原爆記念日によせて~余命3年。被爆しても救護を続け、平和を訴えた医師永井隆

長崎原爆記念日によせて~余命3年。被爆しても救護を続け、平和を訴えた医師永井隆

1945(昭和20)年8月9日、長崎市に世界で2例目の原子爆弾が投下。自身も被爆しながらも、救護を続けた医学博士永井隆(1908~1951年)の生涯を記事にしました。

2021年に執筆した記事ですが、長崎の原爆記念日によせて再掲します。
良かったら、お読みください。

執筆に当たり、長崎県出身の極真空手の先生に、地名などをたずねました(土地勘ないから)。
先生は、広島東洋カープの大ファンで、年に

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和樂webで掲載~高峰譲吉の交遊関係

和樂webで掲載~高峰譲吉の交遊関係

科学実業家の高峰譲吉。実は、交友関係がすごく広いのです。

<大隈重信> 少年時代長崎に留学していたころ、佐賀藩の藩校「到遠館」(ちえんかん)で学びました。ここで、現代の副校長に相当する立場で勤務していたのが、内閣総理大臣大隈重信。「高峰譲吉に英語を教えたのは、私だ!」と後年(鼻高々で?)言っていたそうです。

<高橋是清> 譲吉の社会人のスタートは、農商務省工務局。ここで特許行政に関わります。初

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和樂webで掲載~「タカヂアスターゼ」「アドレナリン」発明、日本バイオテクノロジーの父高峰譲吉

和樂webで掲載~「タカヂアスターゼ」「アドレナリン」発明、日本バイオテクノロジーの父高峰譲吉

「タカヂアスターゼ」「アドレナリン」「アスピリン」これらの医薬品の共通点は、発明から100年以上経っても利用されていること。そのうち、「タカヂアスターゼ」「アドレナリン」を発明したのが、化学実業家の高峰譲吉(たかみねじょうきち)。その彼の生涯を記事にしました。

高峰譲吉は、富山県高岡市出身(1歳になる前に、金沢市へ転居)。富山県出身の私は、「郷土の偉人」として授業で彼のことを学びました。そのとき

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和樂webで掲載~「おしべ」「めしべ」の名付け親、植物学者伊藤圭介

江戸時代までの日本人は、植物にも動物と同じように「オス」「メス」があることを知りませんでした。それを外国の書物を読んで、「おしべ」「めしべ」の造語を作り、植物の生命誕生を伝えた人。

そんな、幕末から明治を生きた医師であり植物学者の伊藤圭介(いとうけいすけ)の生涯を記事にしました。

1年前の2021年6月に新聞で初めて伊藤圭介を知りました。地元愛知県名古屋市のヤマザキマザック美術館で、彼の功績を

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和樂webで掲載~小磯良平 迎賓館赤坂離宮の壁画

和樂webで掲載~小磯良平 迎賓館赤坂離宮の壁画

神戸市出身で、東京藝術大学教授を務めた小磯良平。活躍の舞台は、キャンバスだけではありませんでした。

※入館すると、パンフレットがもらえるのですが、かなり立派。見学料1500円も納得。

指導者としてはもちろん、新聞小説の挿絵を担当したり、壁画を描いたり、緞帳などの舞台芸術を手掛けたり。壁画や緞帳は出身地の兵庫県が多かったようです。

その中でも有名なのが、東京都港区にある迎賓館赤坂離宮の2枚の壁

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和樂webで掲載~日本洋画界を愛し育てた画家・小磯良平

和樂webで掲載~日本洋画界を愛し育てた画家・小磯良平

東京美術学校(現東京芸術大学美術学部)を首席で卒業し、在学中に帝展(現日展)で特選受賞。卒業後はパリ留学……絵に描いたようなエリート画家の小磯良平の生涯を記事にしました。

※小磯良平の壁画が飾ってある、迎賓館赤坂離宮

でも、調べていくうちにとんでもない努力家で、苦労していたこともわかりました。

戦争画家として従軍したこともあり、悲しい経験だから多くは語らなかったそうです。

そして、描くだけ

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和樂webで掲載~野口謙蔵、幻の「帝展」特選作品「獲物」

和樂webで掲載~野口謙蔵、幻の「帝展」特選作品「獲物」

滋賀県出身の洋画家、野口謙蔵。「帝展」(日展の前身)に何度も入選・特選を果たしました。

1931(昭和6)年第12回では、「獲物」が初の特選に選ばれました。
この作品、いろいろあるのです。
(ここで画像は出せないので、私の記事を読んでください。宣伝)

東京陸軍病院(現、国立国際医療研究センター病院)に寄贈されたのですが、行方不明のまま(戦争挟んでいるからね)。

長年、謙蔵の展覧会ではモノクロ

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和樂webで掲載~フランスより故郷滋賀を選んだ画家、野口謙蔵

和樂webで掲載~フランスより故郷滋賀を選んだ画家、野口謙蔵

東京美術学校(現、東京藝術大学美術学部)で西洋画を学んだのち、ひたすら故郷滋賀県の蒲生野(東近江市)をテーマに描き続けた画家、野口謙蔵の生涯を記事にしました。

1920年代当時、多くの画家は中央画壇の東京で活動したり、芸術の都パリに留学したりしましたが、謙蔵は卒業後すぐに帰郷しました。

「どうしてみんなフランスに行きたがるのか、滋賀県にもこんなに見あきぬ美しいところがあるのに」
と語っていまし

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「和樂」webで、反響がスゴかった投稿2021、第1位と3位に選ばれました。

「和樂」webで、反響がスゴかった投稿2021、第1位と3位に選ばれました。

連続で自慢のように感じたら、すみません。

私がライターをしている小学館の和樂web。こちらのFBページで2021年末から、反響がスゴかった投稿2021というのを第10位から1位まで紹介していました。

なんと、私の記事が第1位と3位に選ばれました。

もう、めちゃくちゃうれしいです。
記念にスクリーンショット撮りました。
共通しているのは、「戦時中にユダヤ人難民を救出した人」という点。

ユダヤ

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2021年のライターのお仕事振り返り

2021年のライターのお仕事振り返り

今年も記事を書いたり、校正をしたりと、ライターとしていろいろお仕事をしました。機会を与えてくださった皆様に、心より感謝いたします。

どのお仕事も楽しくて、勉強になることばかりでした。

その中で、「やったー」と思ったのが、これ。

和樂webで、ユダヤ難民と北海道を救った、陸軍中将樋口季一郎について書いた記事。

和樂webのFBページで取り上げていただたところ、

約4,000人に いいね! 

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和樂webで掲載~原敬首相と田中舘愛橘博士の友情

和樂webで掲載~原敬首相と田中舘愛橘博士の友情

物理学者の田中舘愛橘博士。同じ岩手県出身の原敬首相とは終生仲が良かったようです。

写真は、第19代内閣総理大臣原敬。日本初の政党政治を結成。爵位を持たなかったため「平民宰相」呼ばれました。(国立国会図書館デジタルコレクション収載)

藩校で学んだ後もお互い東京に出て来て、交流を深めました。愛橘博士が海外に行ったときも会ったりしたようです。

愛橘博士は度量衡法(尺貫法をメートル法に統一)の改正に

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和樂webで掲載~シングルファザーの田中舘愛橘博士

和樂webで掲載~シングルファザーの田中舘愛橘博士

前回紹介した、物理学者の田中舘愛橘博士。30代半ばで結婚して、妻は翌年出産。女児が生まれるのですが、妻は産後15日ほどで亡くなりました。
愛橘博士はその後独身を貫き、シングルファザーになるのですが、それにはいろいろありました。

愛橘博士は6歳の時に生母と死別。父は再婚したものの、その妻(愛橘博士の継母)とも死別。その後さらに再婚。
愛橘博士は、辛い思いはしなかったようですが、子ども心にも気を遣っ

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