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わかりやすさ | 救われない弱者

雨季に入り、治りかけの五月病を再発。ベッドから起き上がられない日々が続く。僕が極端な悲観主義者であるということと、この世界に違和感なく生きられている人が多いこととの温度差で偏頭痛も止まらない。


「わかりやすさ」って大事だと思う。誰が見ても共通の認識が得られるものが圧倒的に減ってきた。同じテレビ番組を見るわけでもなく、同じ音楽を共有するわけでもなく、各々が自分の好きなもの、見たいものだけを見たり聞いたりしている。

そういう意味では、ナンバーワンよりも特別なオンリーワンな世界にはなったのだろう。ただ、世の中に溢れているほとんどのコンテンツがわかりやすさで構成されすぎている。自分がわかっている人間振るのも嫌だが、「浅いな」と感じるものが本当に増えた。

目まぐるしいスピードで消費されていくコンテンツ産業に全く興味もなく、消費する側としても無能な自分を思いっ切り発揮してしまっている。生きる産業廃棄物だと思う。生まれる時代を完全に間違えた。…シテ…コロシテ…。


冷静になり、自分が"まだ"救われている側の弱者であるということを認識する。思い返せば自分が何もしていない割には評価はされてしまうのだから、そういう運だけで生きられるスキルはあるのだろう。

自分より何倍も努力しても報われない人はたくさん居るし、こういう「報われない」「救われない」現状を言葉に表現出来ていること自体がそもそも救いだ。生きづらい理由を言語化できない人の方がきっと多いのだろうし、黙殺されている気がする。

いざ救われようとしても、過去のトラウマや他人から無下にされてきた人間の多くは差し伸べられた手を振り払ってしまう。救おうとした側も意気消沈。「コイツには何をしても無駄だ」となる。


だから、「わかりやすさ」って大事だと思う。他人から嫌われないようにするとか、多くの人が助けたいと思えるような生存戦略が必要だと思う。むしろ、誰からも好かれないようなネットのおもちゃになるのもそれはひとつの救いの形でもあるのかもしれないし。

生きるのって本当に難しいな。

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