emi ngt

琴線にふれるものと繋がるためのノート。母時々フリーランス。

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最近の記事

近況

昨日子どもが自転車に乗れるようになった。 もう少しで乗れそうだったから 私も子どもも「もうちょっと!あともうちょっと!」と意欲がムクムクと。 夕飯の支度も、散らかったままの部屋も 玄関先に置きっぱなしのボールも 頭からすっかり離れて 文字通り夢中で自転車と向き合い 気がついたら陽が暮れ始めていた。 それはちょうどこの写真のような空で こんな日々ばかりだった子供時代を思い出す。 私はつい大人のふりをしてしまう大人で (齢で言えばだいぶいい大人であるが) 久々に子供の頃の自

    • いつだって僕ら自由

      何かを知ってしまうと私たちの賢い部分はすぐ、当たり前をつくってしまう なんにも知らなかった時の自分には戻れないが いつだって会いに行くことはできる 手のひらをほどいて 生きてきた時間を自由に泳がせて 歩いた軌跡を確かめなくとも 刻まれている今だけでじゅうぶん 未来に向けて杖を振ることの方を選ぶ

      • 想定外は未来の自分からのギフト

        この家に越してきてからずっと片付いていなかったひと部屋を少しずつ整理して私の作業部屋にしている。 夜なんかは二面ある窓を開け放つといい風が入ってきて幸せ。風が通るっていい。 今年は、好き、やりたい、やりたかったのにどういうわけか今までやれなかったことを優先順位のかなり上位に置いて自分に体験させていった今、 少し前まで全くやりたいと思わなかったことや、私には何か似合わないぞと思っていた物や事柄が「アリかも?」となり、またそれを体験させている。 価値観って面白い。ど真ん中にあ

        • 光や影を持っていることにおそれはないんだよ。

          前回もその前も頭が半分まわっていないみたいな状態で書いていたのだが、 なんと今日も今日とて影に居るような状態だ。 生理だとか季節の変わり目だとか梅雨だとか。どれも関係しているがそれが自然というものだ。どうってことはない。 ここでの投稿を始めて、はじめの数回は投稿することさえドキドキした。 この日本の片隅の一個人の想いをインターネットという広い海に投げ込むそれだけのことだが、こんなにも気負うものかと自分でも驚いた。 何度か投げいれてみたところで私は、気負いや緊張を超えたところ

          Healing Chaos

          雨は嫌いじゃないけれど。 未だぼうっとした日が続いている今季。 からだがいつも、少しだけ鈍い。 そのような中でも感覚は澄んでおり、 必要な場所にからだを運ぶ意欲やだれかと触れあう瑞々しさは活きている。 全て繋がっているけれど、そのうちのひとつやふたつ折れ曲がっているからといって 全てが立ちゆかなくなる訳ではないと知る七月。

          Healing Chaos

          凪を待たなくとも、波に揺られていればいい。

          いつかの妊婦時期に似た、暴力的な睡魔に支配されていた数日間。 やりたいことなんてそこらへんに脱ぎ散らかして眠っていたい。 ここ最近の往生際の悪い寝起きがうそのように 今朝はぱちっと目が覚めた。夏至のせいにしてもいいかな? ここふた月ほど、とても心が静か。 SNS、メッセージ、書籍、ラジオ、取りに行かずとも飛び込んでくるもの、リアルにかけあう言葉を含めたあらゆる情報が軽い。 情報量はあまり問題ではなくノイズが明らかに減少していることに気づく。 必要で最適のものが選ばれて運ばれ

          凪を待たなくとも、波に揺られていればいい。

          自分の中の湧いてくるものを言葉にかえてnoteに置きに来る。 こんな戯言すみませんと詫びるでもなく、誰かのためにと書いているわけでもない。 自分中心だと思うが他人軸で書いては意味がない。 だからこそ大事なのかも知れないね。 いつも読んでくれて、見つけてくれてありがとうございます。

          自分の中の湧いてくるものを言葉にかえてnoteに置きに来る。 こんな戯言すみませんと詫びるでもなく、誰かのためにと書いているわけでもない。 自分中心だと思うが他人軸で書いては意味がない。 だからこそ大事なのかも知れないね。 いつも読んでくれて、見つけてくれてありがとうございます。

          散らばるあれこれをかき集めつつ、回想。

          数日前、冷凍庫に入っているパン粉を取ってと頼んだところ、夫が盛大にぶちまけた。 「え、何やってんの」とならずに 「あはは、災難だね〜。どのくらいこぼしたの?笑」と言う程度には夫への態度は変化したと思う。 夫はというと、床に落ちたくず達を掃除しただけ。冷凍庫の底に溜まったその他大勢を片付けていないことに関しては本人はおろか私もうやむやにしたまま数日過ごしていた。 二人ともうやむやにしたのは単純に面倒で後回しにしたまでだが、 わりと最近までこういったことが起きた時の私の苛立ち

          散らばるあれこれをかき集めつつ、回想。

          私のことを褒めてくれた人たちへ

          やば。いつにも増して自意識過剰みをはらんだタイトルをつけてしまった…。 自分のことを褒めてもらった時 その人に対してどのような反応あるいは言葉を返すだろう。 「いやいや、そんなことないですから」謙遜という名の卑下系か 「(えへへ)どうもありがとう」受け入れ承認系か 「え〜、そうですか?」どっちにも転べるグラデーション系か もちろん上記以外のバリエーションはあれど、 私の体感では(私が褒める側の場合)ざっくりこの3種類の反応が返ってくる気がしている。 以前の私は褒めてもらっ

          私のことを褒めてくれた人たちへ

          わたしは今、どこにいる?

          子どもの元気な一声で今日もはじまる。 一点の曇りのない声と言葉で、さっきまで見ていたと思われる夢の話やおはようの挨拶をしてくれる。 私はというと、しゃっきり起きることができないばかりか目をこじ開けることもできず布団の中に顔を埋め手だけ出したかっこうで子どもを抱きしめる。 息子が赤ん坊だったころの気合と心配事は一体いつどこに置き忘れてきたのだろうねぇ…。 ひとり起きてどこかに登ってやしないか、パンパンのおむつをかえてあげなきゃ、なにより先におっぱいだ、と子どもと共に早朝に起

          わたしは今、どこにいる?

          はじまりは小さなこの手

          子供の頃ジェニーちゃんという人形で遊ぶことが好きで、家にあった余り布でジェニーちゃんのスカートを作ったのがはじまりだった。 洋裁をしていた母の布ストックの中には”はぎれ用の袋”があり、 そのちょっと乱雑な重なりを一枚ずつめくっていくと大小さまざまの水玉、ストライプ、ゴブラン織りの花柄、私のお気に入りのスカートの片鱗などが次々と出てくる。 大人から見たらはぎれだとしても、 突然見つけた押入れの中の宝箱に幼い私が目を輝かせないわけがなかった。 たしかゴブラン織りの花柄の生地を

          はじまりは小さなこの手

          縁樹の先をなぞって

          最近知り合った方と意気投合しトントン拍子に会えることとなり、久々に鎌倉へ。 友人とその彼女主催のオンライン茶話会に参加して出会った。 ちなみに参加のきっかけとなるその友人もまた、出会いはSNSから派生したコミュニティである。 今や何も珍しくない話なのだが、私の場合2021年に入って良い意味でタガが外れたように開かれた世界だった。 それは意外にも、ママ友と意気投合したノリでランチに行く位の親しみやすさであった。 出会う場所は園庭であれ、ネット回線上であれ、向こう側にいるのは人だ

          縁樹の先をなぞって

          光の中に住むわたしたち

          たとえば成功者という響きが 正直あまり好きではなかった。 嫌いというよりなんか胡散臭いなぁと思っていた。 だが考えてみたら、胡散臭いものを信じないかというと全くそうではないのだ。 日々生きていく中であてにしているものって「何となく」という「感覚」だし 人付き合いでいうと第一「印象」や、目の前の人の「顔色」を「伺った」り、 「空気」を「読ん」だり。 ほとんど無形のものだ。 私はセラピストという側面もあるのでヒーリングやスピリチュアルなリーディングなども親しみがある。受け手が受

          光の中に住むわたしたち

          限りなくグレーに近いゾーンにて

          何というまどろっこしいタイトルだろうか…、 久々にワインを飲みながらゆるりとnoteに向かっている。 (酔わないつもりの飲み。) 皆、今日も今日とて様々な感情とともに生きている。 目の前で起こる事象、いつぞやの誰かから言われたひと言や、これからのこと ぼぅっと流し見ているSNS…など。 何かにつけて感情がともなう。 喜怒哀楽とも名前のつかない、どこに属するかわからない気持ち その色味が薄ければ垂れ流したままどこかへ行ってしまうのだけど なまじ濃かったりすると「モヤモヤ」と

          限りなくグレーに近いゾーンにて

          こわれたりなんかしない

          ※パニック発作の描写を含みます。読む方によっては不快な表現があるかも知れない事、念のため記しておきます。 小学校5年生の夏休みのことだった。 私は父の会社の社宅に住んでいて、隣の棟に住む同じ年の友達が遊びに来ていた。 ジリジリ蝉の鳴き声がして、開け放っている窓から扇風機から交差する風が吹いてくる何の変哲もない夏の日だった。 遊んでいるうち、自分の家のはずが自分の家じゃないような 自分の発する声が外側から聞こえてくるような まるで夢の中にでもいるような感覚に襲われた。 今、

          こわれたりなんかしない

          内なるラブ

          とあるローカルラジオ番組で「地球にいいこと・まちにいいこと」というテーマでメッセージを募集していた。 「この星を世の中をどのようにしていきたいですか?」と。 この番組のパーソナリティをしている女性と最近知り合って、私にもそのボールを投げてくれた。 私は、もっと沢山の選択ができる世の中にしたいと思っている。 たとえば教育、ジェンダー、人との関係性、暮らし、働きかたなど。 そうやって思考の糸をたどっていったらセルフラブに行き着いた。 自分にとってベストな選択って何だろう。

          内なるラブ