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はじまりは小さなこの手

子供の頃ジェニーちゃんという人形で遊ぶことが好きで、家にあった余り布でジェニーちゃんのスカートを作ったのがはじまりだった。

洋裁をしていた母の布ストックの中には”はぎれ用の袋”があり、
そのちょっと乱雑な重なりを一枚ずつめくっていくと大小さまざまの水玉、ストライプ、ゴブラン織りの花柄、私のお気に入りのスカートの片鱗などが次々と出てくる。
大人から見たらはぎれだとしても、
突然見つけた押入れの中の宝箱に幼い私が目を輝かせないわけがなかった。

たしかゴブラン織りの花柄の生地を選んだのだっけ。
いつも使うような工作用のはさみよりもうんと重くて大きな裁ち鋏は、切るとジョキ、ジョキ、と大きな音が鳴る。その大袈裟な手ごたえが集中力に火を点ける。
指先を何度もチクっと刺しながらまわりを縫っていき、ウエストにゴムを通したそれをジェニーちゃんに着せた。
作りたいものは作れるんだ、という喜びを手にしてからの私は
ミシンが遊び道具になり、既成の人形の服から構造を真似ては余り布にハサミを入れ針を運んだ。
作ったはいいけれど、頭が通らないお尻が通らないなどの失敗すら楽しかった。

社会人になり洋裁を趣味に充てる時間や気力はなかったけれど、
手先を使って何かを作ることの喜びは自然と仕事や日々の中に溶け込んでいた。
料理もそうだし、自分のサロンの看板、家のカーテン、歌を歌う友人の衣装。
いまいちしっくりこなかったシャツの襟を外したら似合うようになった。
ちょっとした創意工夫で自分のしっくりくる感覚や好みに寄せられる。
あの時小さな手に乗っかったDIY精神は手をひらけばいつでもここにあったのだ。

子供を授かってからはますます子供の服や小物を作る機会が増え
そして最近また自分の服を作ることに完全にはまってしまった。
着たいものと作りたいものが一致したということも大きい。
カフスやポケットのパターンを新たに習得していくのも楽しいし、面倒な工程ほど丁寧にやってみると愛着が増す。

誰からやれと言われるわけでもない、仕事でもない、ここから派生させてどうにかしようとしているわけでもない。
根底にある「作ってみたい」という気持ちが一枚の布をひとつの物へと変えていく。
「今」という駒をひとつずつ前に進めていく静かな熱量で没頭していくうちに
ふしぎと頭や心がすっきりとしてくる。(えぇ、背中や肩はバキバキだけれどね…。)
完成させる達成感はもちろんのこと、そこへいくまでのプロセスはその都度気づきをくれてなんとも愉しい。
そんな私を見て、夫が作業部屋を作ってくれようとしている。

さて、私のところにもだんだんとはぎれ山が出来てきた。そろそろ宝箱の支度をしようと思う。

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