光の中に住むわたしたち
たとえば成功者という響きが
正直あまり好きではなかった。
嫌いというよりなんか胡散臭いなぁと思っていた。
だが考えてみたら、胡散臭いものを信じないかというと全くそうではないのだ。
日々生きていく中であてにしているものって「何となく」という「感覚」だし
人付き合いでいうと第一「印象」や、目の前の人の「顔色」を「伺った」り、
「空気」を「読ん」だり。
ほとんど無形のものだ。
私はセラピストという側面もあるのでヒーリングやスピリチュアルなリーディングなども親しみがある。受け手が受け取るモードになっていると確実に軽やかになっていくのを見ている。要するに生きやすくなっている。(生きやすくなることについて改めて書きたい)
このnoteを書いているのはMacBookだけれども
通信しているのも見ている情報も光の波長であり電波の周波数でありこの手で掴めるものではない。
我が家はほぼキャッシュレス決済に切り替えているので、
電波や電源さえあれば野菜や衣服を手にすることができている。
胡散臭くないものってむしろ、何。
ゼッタイうまくいくから、言った通りにやってみ!的な圧。
〇万人を輩出、実績、明朝体の中に太ゴシック体の並ぶ本文…?
んもぉ押し付けがましいなぁと思っていた私。
でもその圧ムンムンのそれの何がいけない?
必要な人に届けばいいのだ。
自分のうまくいくポイントをシェアしてくれている。
そこに辿り着くまでの傷やしょっぱい経験は数知れず。
良さそうなところしか書かれていないのはいいところにスポットを当てているだけで、それ以上の苦味を味わいながらも止まることなく進み続けている。
自分だけ良い思いしていて頂上で高笑いしていてもぜんぜん良いと思う。
しかしその足もとにある世界がぐちゃぐちゃで今にも崩れ落ちそうだったとしたら。
人との関わりの中で生きているこの世界で
サーキュレーションは無視できない。私たちはもれなくその中に含まれている。
この身を置いている世界ごともっと良くしたいじゃない?
何かを成し得ている人の話を見聞きする機会が増えて知ったうちのひとつ。
それは圧倒的に失敗の数を経験しているということだ。
成功の舞台裏でそれらの経験がしっかりと支えているのだろう。
マインドが安定していると思う人は
バイオリズムが下がっている時(陰陽の陰)をマイナスポイントと捉えずに、当然のことと受け止めている。
それをなかったことにせず、ひけらかすこともせず
寄せては返す波のように淡々と粛々とそこにいる今の自分を感じ切る。
時には人間臭くうろたえたりもがいたりしながらも感じることをやめない。
だからその弧が上向きになった時に拡張する。倍音のように。
自分の中で満たされてはみ出してきたものは誰かを満たすのエッセンスになり得る。
それは「生まれながらにして/選ばれし者に与えられた能力」でもなんでもなく、
この世界に生きる人々の持つそれぞれの可能性でしかない。
そんな過程も超越した聖人君子のような方もおられるかもしれないけれどね。
私はといえばこの日本の片隅に生きてる唯の人。
日々なにかを成し、日々やらかしながらも、感じることを重ねていこうと思う。
大切な命の時間を使ってコツコツと、やりたいことをやれるぶんだけ。
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