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こわれたりなんかしない

※パニック発作の描写を含みます。読む方によっては不快な表現があるかも知れない事、念のため記しておきます。

小学校5年生の夏休みのことだった。
私は父の会社の社宅に住んでいて、隣の棟に住む同じ年の友達が遊びに来ていた。
ジリジリ蝉の鳴き声がして、開け放っている窓から扇風機から交差する風が吹いてくる何の変哲もない夏の日だった。

遊んでいるうち、自分の家のはずが自分の家じゃないような
自分の発する声が外側から聞こえてくるような
まるで夢の中にでもいるような感覚に襲われた。
今、息を吸えばいいのか吐けばいいのかわからない
押し寄せてくる不安とおそれに飲み込まれた。

動悸で信じられないくらい揺れるからだを
母が支えるように抱き寄せてくれて嵐が静かに収まるのを待った。



パニック発作と知ったのは19歳の頃。
駅前の書店でパニック障害というちょっと冗談みたいな名前の本をたまたま立ち読みしたところ、まさしくこれに当てはまった。
ついでに言うと夢の中にいるような感覚は離人症というらしい。
(この時私は読んでいるうちに具合が悪くなりそうだったので早々に本棚に戻すことになる__そういう訳で冒頭でアナウンスさせて頂きました)

著者は言った。パニック発作で死ぬことはない、と。
安堵で涙が出そうだった。あれで私はこわれたりしないんだ。

そしてHSC・HSPというものも2年前くらいに知った。
それらに当てはめて何かが解決するわけではないけれど
自分自身解せない過去の正体や、見えない恐怖のサイズ感を“自分なり”に捉えられることは少なくとも私を楽にした。

話を10歳に戻すと、その夏の日からしばらく一歩も外に出られなくなった。
日中外で走り回っている年頃の娘が家の中で過ごしているものだから、夜は当然寝入るのに手こずった。私は男女混じえて鬼ごっこをするのが好きだった。
やがて一歩二歩と時間をかけて外に出られるようになり、学校に再び戻れたのは3学期だったと思う。
当時、私のまわりでは不登校(登校拒否と呼ばれていたっけ)の子供は学年に一人いるかいないかだったので、私は他の友達にはある何かが欠落しているんだろうと幼心に思っていた。
母は親戚から引きずってでも登校させた方がいいと助言されたらしい。
両親はその助言をスルーした。先の見えない日々を私と過ごすことは楽ではなかったはずだ。感謝している。

実のところ、パニック発作は大人になってからも度々経験しているけれど
自分なりのトライアンドエラーと、鍼灸師の魔法のような言葉により
ここ10年くらい何も起こっていない。
心が疲れるのが先か身体が先か、多少の無理をすることがあっても
早めに休んで帳尻を合わせること。
どちらにせよ自分の内側のサインを無視しないこと。
かと言って、繊細さに敏感になりすぎないことも頭の片隅に留めて。

友人も同じような症状に悩まされていたとき、中医の先生に言われたらしい。
「体は毎日良かったり悪かったりしてるもんだよ、なんもないのが普通だと思ってしまうけど。実は波のように揺らいでいる。だから悪いことを特別おかしいと思わなくていいんだ。」と。
そう。体調不良にも限度があるけれど、
傍目から見たら健康体なのに、可視化・数値化できない不調を抱えていたかつての私にとって「不調を注視しない」って思いの外効く言葉だった。

今まで同じような経験をした人とは話したことがあったけれど
こうして文章にすることは初めてだ。
そもそもなぜこれを書いているのか?と言うと、先日投稿したセルフラブとこの体験に通じるものを今、感じているから。

私はいつも大丈夫な人のポーズをとっていた。
いや、たとえ辛い時であっても「己の内で事なきよう収めなくては」と悟られないようにしていた。私などに気を遣わせてはならない、と。
しかしそれを思えば思うほど、自分ひとりでそれを待ち構える状況を作ってしまうことにもなり得る。
自分にならそんな無理を強いてもいいのかな?

ある日、パートナーが飄々としたいつもの感じで「さっきさ、なんか具合よくなかったでしょ、顔見てなんとなく。」と言ったことがあり、ひそかに大丈夫じゃなかった私を悟られた。
腫れ物に触れる感じでもなく、それほど心配してないみたいなムードで言われたのが妙にほっとしたし、渦中ではなく後になって言うそのタイミングに彼の優しさを感じた。
そこでもまた思った。あぁこんなんでこわれたりしないんだ、と。

もっとつらい思いをしている人が少なくない事も知っているつもりだ。
けれどもっとつらい人がいることと、自分がつらいことはまた別の話。
たとえば大事な人が「つらいんだよね」と言ったときに「でももっとつらい人がいるんだから…」とは、少なくとも私は言わない。
自分に対しても大事な人へのそれのように接したいと思っている。

何の過不足もない、誰かの苦しみが解放されますようにと微力ながら願いをこめて。

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