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光や影を持っていることにおそれはないんだよ。

前回もその前も頭が半分まわっていないみたいな状態で書いていたのだが、
なんと今日も今日とて影に居るような状態だ。
生理だとか季節の変わり目だとか梅雨だとか。どれも関係しているがそれが自然というものだ。どうってことはない。

ここでの投稿を始めて、はじめの数回は投稿することさえドキドキした。
この日本の片隅の一個人の想いをインターネットという広い海に投げ込むそれだけのことだが、こんなにも気負うものかと自分でも驚いた。
何度か投げいれてみたところで私は、気負いや緊張を超えたところにある
えも言われぬ自由を味わっていることに気づいた。
前提として目撃している人の数からしても、
自分の言葉思考が「世界」にいかに影響していないかということは容易にわかり
私が書くことの動機もそう、本質としてはたくさん誰かを傷つけることも、炎上することも、恥ずべきこともないのだ。

________実のところ、
冒頭から日を置いて続きを書いている。
身体も心もわりかしアクティブな現在進行形。
やっと心にまかせて身体を連れ出すことができるようになったな、と思ったら梅雨が明けた。
そもそも影に居たことは、まぁ映えこそはしないが苦しみではないので静かにゆっくりと過ごせた。
余計なことは考えず(そもそも頭が回っていないのでね…理にかなっているかも。)ひたすらに眠れたのも良かった。

置かれたその場所でどうしたい?というところからすべてははじまる。
いつでも光と影は表裏一体。認め合って仲良くしていていいよね、と。

ここではないどこかでしかやれないことに思いを馳せていては、
わたしではないなにかに人生の主導権を握らせていては、
たちまち私は消えたくなってしまうだろう。
しっかり観察していると毎度闇は違う顔をもち、光は異なるきらめきを見せる。
抗うことなくいっそリズムに合わせてチューニングしていくと、一喜一憂していたそれは状態でしかないことがわかり、明るい事が良いことで闇が悪いことという無意識の二択をしなくなる。

自分の中にある光も影もおそれることはなくてね、何が最良かどうかは自分で決められることなんだ。
どれもこれも私が意図し決定していることだから大切に扱いたい。
また、私の大事な人たちも人生で一度もすれ違うことのない人たちもそれぞれの意図と決定をくぐり抜けて、そしてあなたと出会えた。
まったく同じ時空で同じ体験ができることなどないのだから、またとない今を阻むことなきよう。

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