「お母さんは、いつ死ぬの?」と聞かれたら、自分はどう答えたらいいんだろう。
子育てとは、その時を精一杯生きること
子育てを始めて、約10年です。長かったような、短かったような、不思議な時間の流れです。その時々によって、感じ方が違います。
「この時間が永遠に続くのかしら…。」と思い悩んでいる時は、もがきながら砂漠を歩いていくような感じです。
「いつの間にか、こんなに大きくなったなぁ。」という心境の時は、昔のことが「つい昨日」のような錯覚さえします。
子どもの成長は早いです。その都度メモをしておかないと、あっという間に記憶の彼方に消えていきます。(私の場合は、メモという作業がなかなかに難しいので、その都度写メしています。)
私の母親に至っては、子ども四人を育てたからなのか、それとも、元々の大らかな性格のせいなのか、「子育て中のことは、ほとんど覚えていない。」と私達に公言しています。
昔は、「なんて母親だ!」と憤慨していた私ですが、今考えてみると、母はその時々を精一杯生きていたんだとわかります。
「お母さんは、いつ死ぬの?」という子どもの問い
そんな二代揃って、忘れっぽい家系の私でも、記憶に残ることはいくつかあります。その一つが、「お母さんは、いつ死ぬの?」という子供からの問いかけです。最初に長男から言われた時はかなり動揺した記憶があります。
それは長男が4歳の時でした。ある夜、ベッドに入り、消灯してしばらくすると、長男がこの質問を始めました。私が答えに詰まっていると、長男は私に抱きつき、ワンワン泣き始めました。それは毎晩続き、必死になぐさめているうちに泣き寝入りするという日々でした。
4歳ぐらいになると、子どもは「死」というものを自分のこととして捉えることができるようになります。それまで、身の回りで、絵本のお話の中で、誰かが死んだとしても、そのことを明確に理解できていなかったことを考えると、大きな成長の証です。
そして、下の子がもうすぐ5歳になろうとした頃、「お母さんは、いつ死ぬの?」の質問が始まりました。すでに2回目ということもあり、私に動揺はありません。ただ冷静に「自分は、いつ死ぬのか?」と、自問自答するだけです。
結局、「自分は、いつ死ぬのか?」答えられていない
「それは寿命だから。」と言ってしまえば、そこで答えを探さなくてすみます。「お母さんは〇〇(子どもの名前)が大人になるまで、ずっと生きているよ。」と言ってみたこともありますが、子どもたちは全く納得しませんでした。
長男の時からずっと考えていたつもりだったのに、この問題については、いまだに自分の中で明快な答えが出ていません。結局、「自分は、いつ死ぬのか?」ということを子どもたちに答えられていないままなのです。
「死ぬ」ことは「生きる」ことの先にあります。だから「自分は、いつ死ぬのか?」を考えるより、まず「自分は、どう生きるか?」を決めたほうがいいのかもしれません。これが曖昧だと、自分の最後がはっきりと思い描けないからです。
今晩も、下の子から「お母さんは、いつ死ぬの?」(グスン、グスン)が始まると思います。実際、子どもたちが納得する答えになるかどうかはわかりませんが、「自分は、どう生きるか?」は彼らにお話ししていきたいと思います。
おわりに
つい先日、わが家の洗濯機が壊れました。それは本当に突然でした。この洗濯機は長男が産まれる前にやってきて、10年間うちで働いてくれました。私の育児の戦友でもあります。壊れる直前まで、子どもたちが出した大量の洗濯物をきれいにするべく、毎日フルに活躍してくれました。
誰にでも、どんな物にでも、必ず寿命があります。そして、終わりは突然やってきます。「いつ死ぬのか?」なんて誰にもわからないし、気にしても仕方がないのかなと思います。ただ、終わりが来た時、誰が何を思うのかは気にしてもいいのではないでしょうか。
誰かが自分のことを思うとき、それは「自分が、どう生きたか?」の現れだと思います。私は「お母さんは怒りん坊だったけど、まあ好きなことをやって楽しそうにしてたから、幸せだったよね。」って言われてみたいなぁと考えています。
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