鑑賞感想文|護られなかった者たちへ

ドラマは英語ばっかり学習用に見ていたんだけど、最近、なんか変で日本映画が見たくなったんだよね。

人間って不思議。

ネットフリックスでおすすを見ると、意外にも見やすいんだよね。

なんなんだろう。この心情の変化は?

考えられるところは、情緒的な営みがASD傾向の強い田舎で失われ、しかも私今ピンスポットでターゲットにされているという点しか考えられない。

情緒的共感ってこんなに大事なんだ〜とASDと関わってから、本来自分に備わっていて気にならなかったけど、人間の生きる上ですごい大事なことを気づかされていて、今まで見た映画もなんだか違う様に見えるので、私の見識が広がったと考えられ、ASDに心がないとは言わないけど、彼らとのディスコミュニケーションは本当に「相手のことを考えられない想像力の欠如」なんだろうか?。。。

「彼らにも感情がある」=「相手のことは考えられない」が理解できず苦しんでいる(おう。苦しんでいたのか私)私にドンピシャの映画だった。

ASDの「自分が正しい」と思って、それに対し自ら振り返れずになおも相手に押し付けてくる「状況」の恐ろしさを日常で実感した中で、

相手が困るだろうけどやってやるくらいの悪意の方が人として、びっくりするほど、共感が得れた(昔は何役サイテーとか心底ぷんぷんしたはずだけど)

「自分が正しい」と思って、それに対し自ら振り返れず
この映画=「全ての人は救えないから」という苦肉の行動理念
誰かの死という選択肢という代償
ASD=「自分に不都合」終了
相手へのモラルハラスメントに通じる一方さ

とても計り知れない大きな悲しみに人が触れた時、どう人は前を向くんだろうと励まされるくらいいい映画だった。

日本映画も本当にいいね。

柳田國男みたいな映画が映画は日本以外でなかなか作れない感性だなと改めて振り返れる機会になった。

が、もっと軽率じゃないハッピー映画ものも上手になって欲しいな。


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