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自分のしたいことをしてまわりに迷惑をかけるのは良いのだ。だが、自分の気分でまわりに迷惑をかけてはいけない|36

んん?という話。

また子育ての話になるのだけれど、昨日はだめだったけど、今日はいいっていう事があって幼子心にパニックになることを思い出した。最近年取った母と暮らして気づいた。

気分かい!!!

こうゆう時って、今気分がいいのとか、今気分がいまいちだからとか、一言添えてほしいよね。

急にきれるんだもん。女の子か!?あ、女の子か。

そういえば父親もなんか、いつも何買ってあげようかって言うから、別の日に私から大好きなお店があったからおねだりしたら、その1万円今度必ず返すんだぞって言われてショックだったから、なんか買ってとそれから言わなくなったのだが、急にワンピース買ってやろうとかなる。いや、欲しいなら自分で買うわ。めんどくさい。と心のなかで思って断ると悲しそうなんだよね。自分のしたことにだけ応えて欲しいだけの人。

この人自分の気分で私になんか買ってあげたいだけで、私からのおねだりは必ず1回渋るんだよね。

自分の好きなときに自分のあげたいものをあげたいだけの人。

その心は感謝されたいらしい。byはは。

そのうち、お伺いなく送りつけてくるものは、私はまったくほしくないもの。という恐ろしさ。

さすが、養育費は払う必要がなかったと子供に言い切る父だわ。養育費はあげたくないけど、自分の都合の良い時に小金はあげたい、そして、敬られたいというエゴ。

これもなんだか極端だからアスペルガーの症状のひとつかしら。

したいことってなんだろう?好きなことってなんだろう?と探していく旅の中に、一貫性のない「気分」が現れる。突発的な「気分」。数分後には忘れている「気分」。でもその時の意志に反映されている。

初めてうちに泊まりに来た友人に、朝、コーヒー飲む?と聞いたら、俺コーヒー嫌いと言われたので、後、コーヒー以外を勧めるようにしたら、え、俺、コーヒー好きだよと言われた。んん?前にコーヒー嫌いというのでそうしてたんだけど。。。あぁ、俺たまにそうゆうの言っちゃうんだよね。ごめんね。んん?いまいちわからないけど、コーヒーは好きなのね。はい。

思い起こせば、気分かい!!!

大人になったら、まーコミュニケーションとしてフォローできるからいいけど、親と子供の関係、または恋人の関係は厄介だな。。。

特に理由なく、相手の気分を察しろというエゴ。

なんで言われないとやらないの?!と子供の頃言われたけど、いや、言ってくれよ。「それ、やって」っていう余裕ぐらい持って生きてくれよ。と思う。人間は習慣にないものは気を使わないとやれない(とまで言い切ってみよう)。言わなくてもやれるようにするのは、家族の教育として無理だと思う方がのちのちのトラブルが少ない。

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ 山
|本五十六. 連合艦隊司令長官

も言っておった。ほめるときはできたことをほめるのではなく、その変化(成長)をほめる。ほめてほしくてやるという習慣にしてはいけない。

逆にいえば、
=相手のご機嫌を壊さないように何かする。
=ほめてほしくて何かする。

洗脳だわ。

私の思ってることわかってくれないの?(=言わないとわかりません)

わかってくれないから、否定とか不機嫌とか嘘とかはいけません。
(コーヒーの嘘は、ちょっと今思えば面白いけど、友人だからかしら)

言わないくてもわかってくれるのって確かにうれしいよね、ひとしおだよね。親子や恋人だともっとうれしい、でも、そうゆう関係性だから当たり前でしょ。となりやすい。あやういな。

さて、「自分のしたいことをしてまわりに迷惑をかけるのは良いのだ」と真逆のことも私はタイトルで書いてしまった。

さてさて、これも子供の教育の話になるけど、

保育園で、自分の子供が他の子のおもちゃをぶんどって殴って泣かしてしまった。相手の子はギャン泣きだった。親のあなたならどうしますか?

1)2度とするなと怒る
2)なんでそんなことしたの?と理由を聞く。

本日の流れからして、「怒る」という選択肢はお察しのようにない。

なぜか、

子供の教育の視点からみると、まず、「子供が欲しかった」という感情を否定する行為となり、状況のわからない子はただ自尊心が傷つき、「怒られる」=「自己否定」になるらしい。なので、まず、怒ってはいけない。らしい。

(難しい。。。)

まず、「君はそれが欲しかったんだね」と確認することから入るらしい。

(確認。。。)

その後に、「〇〇ちゃん、泣いてるよ。痛がってるよ。」と子供のした行動で起きたことを淡々と説明する。

(きっとここではやったことを責めるエモーショナルなことを言ってはいけないだろうな。)

終わり。

+++

これが子育てするプロの研究らしい。確かに拗らせた私をみるとまず問題だったのは、「自分の好き」の消滅である。今だに悩んでるけど、なにしたの?なにがすきなの?と自分に問い合わせても答えが出なくなってしまった。

1)子供の好きは大人が守ってあげないといけない。

その上で、

2)した行動の反省を自分からうながさないといけない。

1)がまず大事で、2)がその次。

怒ってしまうと「怒られるからやらない」と誤った解釈につながりかねない。だから、ここでは怒らない。反省して欲しいから、相手の状況をただ伝える。

(えー、やっちゃいけないことをやっちゃいけないって言わないとわからないよ。と聞こえてきそうだ。)

私たちは感じる心があるから、「考えさせる」とは=「感じさせる+そのことを思う」時間を与えることなんだと思える。

なるほどな。

そうすると、気になるのは、それを保育園の人(他人)に任せていいのかどうか。本当は親がやりたいよね。小学校に上がる前までに教えないといけないことを他人に任せてる子育ての状況にも不思議がある。だから、小学校の教育番組で倫理的な番組が多いのかな。ちょっと遅い気もしてくる。あって困るものではにけど(考えるトピックを与えるものとして)。

あと気になるのは、殴られてギャン泣きしたこの方だ。救済なし。幼児にして理不尽な暴力を経験したわけで。でも、どうも救済はないんだって。しかも、学びには何度か繰り返し、そのうち理解するというものだから、何度か被害にあう可能性がある。。。

。。。

そもそも、自分の成長のために他者に迷惑がかかるのは必須というのが、社会的にではなく、本能的な仕組みになってる。

つまり、学びにおいては、泣かされた子も泣かす側になる可能性があり、むしろ、場面は違っても同じ経験をしないと「成長=自己理解」がえられないという人間のしくみなんだろうな。(確かにそれを映画や教育番組で学べるでしょとなっていい子になって私は親としてうれしいだろうか、できれば自分で経験させてあげたい。教材はトピックス程度にして欲しいな。)

私たちは他者に迷惑をかけないと生きていけない生体なのだ。

理不尽なことはつまり日常的。(どっひゃー)

仕方ない。迷惑かけられるのは相手の成長のため、まわりにまわって自分も同じに与えられた権利、仕方ない。でもだったら、一回の失敗からちゃんと学んだ欲しい!!!せめて!

を端折って、怒って、不機嫌になり、嘘をつき、人は自分の好きを亡くして、不確かな他者の機嫌を合わせ、不満を抱えながら時間を無駄にし、自分の人生を積めなくなる。

だから先に、自分の好きを守って育てないとね。なんだね。

今日の行動|自分のしたいことをしてまわりに迷惑をかけるのは良いのだ。だが、自分の気分でまわりに迷惑をかけてはいけない。

大人になってから迷惑かけると問題が大きいから、子供のうちに済ましたいよね。さて、どんな迷惑なかけ方が今からあるんだろう。

できれば、友人とクスッと笑えたそんなエピソードになれるように。









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