毒親ではなく、機能不全家族と考えてみる

ADを調べていたら、HSPはほぼADになりやすいと出て(?!はい?なんですって、確かに打たれ弱いというか「教育」という視点では教える順番を間違えるとすぐやばくなりやすいのでは?と感じ始めてはいて、この扱いの難しさは発達障害なみでは?とおもいつつ、やっぱり、ただ生きづらくなるだけでHSPなのはHSPなので、診断ももらえず損だわ〜くらいひねくれたことは…なかったか)、日本の機能不全家族は8割に上るという記事をみた。

毒親というくくりではなく、もう機能不全家族ってやつのせい?!てか。機能不全家族ってなに??となっている。

機能不全家族とは「十分な愛情をもって子供を育てられない環境」….

なんの説明にもなっておらん。。。

世の中のイメージから拾うか。
・児童虐待|身体的、精神的、ネグレクト、性的虐待
・精神疾患|日本の5人にひとりが一度はかかるらしい
・アルコール依存症|…酒乱はどこにはいるのだ?
・ギャンブル依存症
ここまでひどいのまわりにいないからわからないな。

とりあえず、「貧困」も立派な機能不全家族であるという定義は採用しよう。

機能不全家族の定義その1

それよりも、そうすると「普通の親が実は私毒親だったかも!?」という目覚めの方がカウント数と結果の方。がマッチしそうだ。

毒親の定義|過干渉、過保護、暴言、暴力、ネグレクト

これももう説明不足なのだろう。時代遅れというか。これらについて、砕いて説明をするならば、「親の身勝手な一方的なコニュニケーションのただ悪い代表例」で、無自覚だけど、振り返れば証拠、事件性、倫理観がわかると言ったところだろうか。はて現代は、同じ無自覚で、振り返っても事件性のある証拠、事件性、倫理観ないみえないものに対して、機能不全家族が蔓延しているのではないだろうか。

その共通点はひとつ。
「親の一方的なコニュニケーション」
=一方的な注意(親の癇癪で怒鳴るとか)
=一方的な解答(説明がない)を教え従わせる
=できないからと親がやってしまう
=できないことをばかにする
(あーあーあーもうこんないいだしたら100%みんな毒親だから、なんか違いになる言葉表現を見つけたいよー)

どこかの小児科の待合室に貼っていたらしい。ネットでも元が探れない。表彰したいくらい素敵!

これか。この言葉たちがどれほど奥深く偉大かということを、自分がHSPだと気づき、グレーゾーンの家族、グレーゾーンの近しい元友人にで会ってよくわかる。が、成人過ぎた人間相手には使わないから、おのおの家族の外で身につけていき、表層は大丈夫なのだろう。

これを上げてるサイトのコメント欄にヒントが垣間見えた。

・絶対に行きたくない! →行けたら行くね!【気持ちをぼかす】
↑HSPでお悩み中?

・「やめれたね」が、どうにも気持ち悪く感じてしまう
↑言い方じゃないんだよね。。。しかもめちゃ重要箇所ですよ。

・うーん、でも心落ち着いた状態で右側の例を散々いった挙げ句に、左の悪い例になるんでしょうね。 と冷静に理解してしまった。
↑子育て頑張ってるなって思える。それだけ親は子供よりキャパシティー持たないといけないんだろうなって真剣に考えた結果、子供は諦めようかと悩むくらい。結果、小さいうちに、小さい頃こそ、ここに早く取り組めるほど、人間的自立が早いと思えるといいんだけど。

・日常的には、もっと大人扱いして、本人に自覚と責任を持たせるのもいいと思う。
↑これは20代の子かな?わざわざ書くコメントがこれだと怖いね。こうゆう子のまま子供を持たれるのが現代の毒親傾向なのだろう。が、だいたい、そんなに早く結婚できなさそうだな。これって恋愛傾向にも出てくるから。

新宿二丁目くらい辛口に書いてしまったけど、これが「現状」か、お題をもっと明確にしたら哲学カフェくらいにマイドルになるのか。とりあえず、自分が子育てするのに、隣人としていてこのトピックスを話し合う距離にいたくないかなとHSPの私はいっちゃお(東京にいたら無理だろうな)。

最近グレーゾンカップルとシェアハウスにいて、これくらい噛み砕けば伝わるのか?とも思ったが、「やはり、成人過ぎた他人の大人にこれだけ時間と手間を割かれるのは生理的嫌悪感」と結論ついた。が、私も、上記の人のように「大人扱いしよう」として失敗してるケースがある。この事実は大きい。

次に子育てににも精通するけど、「わかる」の段階について

家族街の環境から与えられる状況は、この「知らない」→「知る」までで、
「行動の壁」「気づきの壁」「技術の壁」「習慣の壁」は自己責任とこの20世紀ではなっていると思う。

・知ったつもりでやらないことがどれほど、人生の差を生むか
・そこから気付けるのは瞬時ではなく、人生の機微にでり、人間力につながる
・そこに「技術」という「壁」を設けたのがすごい。いろんな個人の難題、課題の存在示唆を感じる。
・そして、「習慣の壁」ですか。

習慣は日々やっていれば自ずと身につくけど、意識するとこんなにも段階があり、意識する、しないがどれほど変わってくるか。。。

そしてこの気づきの「ルート(順番というか感度)」に発達障害とHSPに違いがあると最近肌身で感じている。

友愛や恋愛に関しては経験値が偏る。しかも関係性の深い愛情表現について「発達障害」が孤独を感じるののもよくわかる。が、表層として親が教えることはできる。そんなケースに関してだけ、「声がけ変換」の悪い例とされるものが適用されるかもしれない(ロジック関係なくこうゆうものだと教える状態|お財布を一緒にするパートナーがいるのに無断で借金しないとか、あとなんだ、養育に払わずに次の子供ももうけて離婚したからって平然と子供に会いにくるなとか??私ごとすぎるかw)。

てか、幼少期の子育てもこれからもいろいろ考えたいけど、発達障害の親の子育てって。。。って次の今恐怖でしかないのだけど。被害者として。

とんでもないパンドラの箱を開けてしまった。。。

HSPの記事にいいねいただけたら、ますますHSP研究したいと思います。まだ新しい分野なので。正直生きるのに本業で精一杯なので、みなさまのサポートがあれば追求大いにがんばります。