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infjのひとりごと 何処かの誰かの何時かの日記。誰かは私、拾ってきた話ではないけれど…

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infjのひとりごと 何処かの誰かの何時かの日記。誰かは私、拾ってきた話ではないけれど。 フォローしてくださりありがとうございます。

最近の記事

見えるもの見えないもの、変わるもの変えられるもの

きれいな景色を見ていたら きれいな瞳になれるのか きれいな心の持ち主は 瞳がきらきらしているな きれいな景色を見ていても きれいな心でないのなら 瞳はきらきらしないのか 周りのほとんどが きれいな景色でいなくとも きれいを見つけ出せる心 それさえあれば輝くか 続けるのはむずかしいかもしれない それならその一点、一瞬だけでも 輝きがきれいだと認識しよう そこにそれがあったと そのときひしひしと実感しておこう 暗くなっても周りが火を灯し 少しずつ取り戻していけたらいいな

    • 子どもの頃の心持ちを再装したい。

      子どもたちへ 大人になるまでに いくつかの試練を乗り越えるだろう。 今日話したいのは 乗り越え方ではない。 向き合い方でもない。 その後大人になってからのこと。 だから題名は"大人たちへ" "かつて子どもだった人たちへ" の方がいいのかもしれない。 試練を乗り越えると 自分に自信がつく。 その後もその出来事が 背中を押してくれる。 一方で、後悔することや 落ち込むこともあるだろう。 私が残しておきたいのは、 過去の後悔や落ち込みを 今に向けて糧としているか。

      • 銀魂に多様性を感化された話

        一人の本質を見ているところ、 いい部分を見ている姿勢が とても素敵だと思った。 一長一短 嫌なことがあると 自分にとって 相手の嫌だった部分ばかりに目が行って それがまた負の要素を 見つけてきて、、、の ループが起こることがある。 (ネガティブハロー効果) その別の側面を見ようとはしていても 見えなかったり または もっとこんな人なんじゃと決めつけて かかって少しのことでも 非難したい気持ちになったり。 本当にそうなのか 離れるべきと言う意見もあって 離れた方がいい人

        • 悲しませられるのは勿論嫌ですが

          誰かと一緒にいると 悲しい、辛い、怒りなど 望まない感情が湧くことがある 考えすぎて頭の中で ずっと、考えてます。 わざわざ考えなくてもいいのに その時はそんなこと気づかなくて 自分の納得いくまで 点と点を繋ぐように どうやったら繋がるか考えてしまう。 そして海の底にゆっくり沈んでいくように 考えを巡らせては 落ち込んでしまう。 ある程度考えがまとまったら 浮上して回復というのが 正常運転だったりする。 ーーーーーそして ふと考える。 自分は結構相手に心地よくいて

        見えるもの見えないもの、変わるもの変えられるもの

          自分を律する時の選択は、、、

          自分を律する時に まず大まかに分けると思うが ただの2択ではない方が良いことに気づく。 2択において それを実行する上で大切なことは その基準を他人に押し付けて 他人を見下してしまわないようにすることであると思う。 自分は自分で成長をしたいから そう選択するのであり 他人には当てはめないようにする。 見下しは自分に返ってきて 当然見上げることもあり それは他人が思っていなくても 自分の中の他人が自分を見下す。 あの人はあの人、自分は自分。 自分の選択を 他人も当たり前

          自分を律する時の選択は、、、

          鬼滅の刃を見たら思った以上に感動してた。

          鬼滅の刃、恥ずかしながら 今年漫画を読みました。 漫画を読んでいる途中グッとくるシーンがたくさんあってハラハラするシーンもたくさんあって、 あっという間に読み終えてしまいました。 読み終わって気付いた。 漫画を読んでいる最中よりも、 読み終わった時の方が本と自分とが共鳴していて泣いた。かなり泣いた。 ーそんなとある日の、日記。 鬼滅昨日絡み始めて、 今見終わった。 周りの人を、命を大切にしようと心が震えてそう思った。 忘れかけていた?手放した? ものが蘇ってくる感

          鬼滅の刃を見たら思った以上に感動してた。

          「当たり前」について最近考えている。「当たり前」って時代によって違うし、人それぞれで違う。「当たり前」って個人の強い価値観だ。それで生きているのかもしれない。

          「当たり前」について最近考えている。 「当たり前」って時代によって違うし、人それぞれで違う。「当たり前」って個人の強い価値観だ。それで生きているのかもしれない。 「世間が思う当たり前って思う当たり前」はきっとあなたの当たり前の世界の中にしか存在しない。「当たり前」ってなんだろう?育ってきた環境や周りのモノとの関係の統計か。何かを選ぶ時の選択肢に関わってくる、大事な資料であり、厄介な代物だ。当たり前でないものは排除したくなったり、嫌悪を示したりしてしまう。 しかし、新しいこ

          「当たり前」について最近考えている。「当たり前」って時代によって違うし、人それぞれで違う。「当たり前」って個人の強い価値観だ。それで生きているのかもしれない。

          自分が仕事に対して、こうあった方がいいのに、それはなんか違うなとかって思うほどには、経験が積もっているらしい。

          自分が仕事に対して、こうあった方がいいのに、それはなんか違うなとかって思うほどには、経験が積もっているらしい。 前はできない自分にもやもやするだけだったのが、他人の自分とは違う部分に目が行って、ざわつくときがある。バタバタしたりスムーズにいかないのはシステムが合ってないかもしれないと言うのも知ったから、自分を省みるだけじゃなくて、そうも思うのかもしれない。 誰かのストレスを感じて、こうしたらいいのになって思って言わないストレスを感じているようにも思う。 そういうのは、自

          自分が仕事に対して、こうあった方がいいのに、それはなんか違うなとかって思うほどには、経験が積もっているらしい。

          目に見えないものに対してなんなのだろうと考える日。特に愛とか絆とか、人間関係の間に生まれる見えない心の結びつきはなんなのだろうか。

          目に見えないものに対して なんなのだろうと考える日。 特に愛とか絆とか、人間関係の間に生まれる見えない心の結びつきはなんなのだろうか。 星空 通春が残る風が通り抜ける  ずっと眺めていられる 温もりの中の孤独を愛しいと感じた。 20.4

          目に見えないものに対してなんなのだろうと考える日。特に愛とか絆とか、人間関係の間に生まれる見えない心の結びつきはなんなのだろうか。

          思い悩む4歳。

          4歳の子に「いいなあ、仕事が楽しそうで」って言われた。 ちょっとなんか黄昏が似合うような遠くの方を見つめて。私の膝の上で。4歳でもそんな深い悩みを抱えてるのか??と思わせられるようなそんな様子。どうしたのと聞いても応えるよりも自分の中で自分を見つめているその感じ。何か考え事をして、心ここに在らず、しかし作動中みたいな。自己反省の真っ最中っていう感じが全面に出ていた。 それだけれど、私が「そうだね、みんながいてくれるからね〜。」って言ったら、「まあね。」とだけ返答があった。

          思い悩む4歳。

          テクノロジーの便利さに慣れてしまえば、今みたいなアナログの割合が多い世界に戻ることは効率の悪いことに思えるだろうか。

          テクノロジーの便利さに慣れてしまえば、 今みたいなアナログの割合が多い世界に 戻ることは効率の悪いことに思えるだろうか。 それと、世界がその方向を向き、 社会にその統制が整って仕舞えば、 そうせざるを得なくなるのは言うまでもない。 新たな生命体との、新たな生活。 一心同体のような、 その生命体は自分の鏡のようであり、 自分に似ていく。 そして自分本体が老い、この世から亡くなったとしても その生命体は仮の自分のような新たな生命体として ネットの海を生きていくのだろう。 それ

          テクノロジーの便利さに慣れてしまえば、今みたいなアナログの割合が多い世界に戻ることは効率の悪いことに思えるだろうか。

          活力の枯渇したとある1日

          先週末の三連休から、 昨日今日とお休みをいただき 実質5連休という形になってしまった。 昨日も今日も急遽お休みをいただいた。 生きる活力がわかなかったからというのが 心の私である。 それでも行くという頭の私も相当弱っていたらしい。 特段3連休中に何かあったというわけではない。 地元に帰ることへの何らかしらのブルーな気持ちが 芽生えたのかもしれないし だがあくまでそれは仮定の話である。 昨日の1日の記憶はほとんどない。 何もしていないからだ。 そして今日もすでに正午を回

          活力の枯渇したとある1日

          昼間と夜 未来の世界

          昼間と夜 未来の世界 頭に出てくる映像や感情が、昼と夜で違うのはなんでだろうか。 太陽が出ているか出ていないかだけなのになー 一人でいると何かしら考えている これからのこと今のこと過去のこと本当のこと嘘のことくだらないこと 頭の中の世界と目の前の世界は違うみたいだ。 頭の中の世界では何もかもが自由である。 目の前の世界が本当の世界なのだろうか? 頭の中の世界では自分の経験をもとに新しいものが次々と生み出されては忘れられていく。 自分の見た聞いた触った食べた臭ったプラ

          昼間と夜 未来の世界

          自分は違う世界から来た人だと考えてみる

          自分は違う世界から来た人間だと考える。 今は地球という星にいるんだと考えたら 生きるのが少し楽になった。 一つのまとまりを過ごしているにすぎないような感覚で。 前世の記憶とかあるわけでもないし、そんな考えを崇拝しているわけではないけど。 今自分が歩んでいる、人間でいう人生というものを、 想像していくのが楽しいという感覚。 自分をもう一人の自分から見て、今はこの感情が湧いてくるとか、 なんで湧いてくるんだろうと原因分解してみたりとか。 この星はどんなところ?どういう人

          自分は違う世界から来た人だと考えてみる