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活力の枯渇したとある1日

先週末の三連休から、
昨日今日とお休みをいただき
実質5連休という形になってしまった。

昨日も今日も急遽お休みをいただいた。
生きる活力がわかなかったからというのが
心の私である。
それでも行くという頭の私も相当弱っていたらしい。

特段3連休中に何かあったというわけではない。

地元に帰ることへの何らかしらのブルーな気持ちが
芽生えたのかもしれないし
だがあくまでそれは仮定の話である。

昨日の1日の記憶はほとんどない。
何もしていないからだ。
そして今日もすでに正午を回った。

2日間も休んでおきながら
世間の言う充実した日とは無縁の日々だ。

何かをしようという活力のままに生きていたい。
私はかなり生きづらい現在なのかもしれない。

1日行ったら多分そのペースで
行けるんだろうけど。

昨日は職場にまで行ったのに
1分とも仕事をせずに帰ってきた。

なぜか昨日は自分にストップがかかってしまったのだ。

そのまま働いていれば今日も休まなかっただろうという
甘い考えを抱いている私だが、
本当にそうだと今でも思っている。

実質何がしたいから休んだのではない。
何もしたくないから休んだのだ。

一人になりたかったそっとして欲しかったのだとおもう。

何と贅沢な話なのだろう。

きっと(いやここまでくると)私は一人が好きな
気ままな人間であるのだろう。(だ。)

人生赴くままに生きられれば誰も苦労はしない

苦労すらも受け入れられる自信がない

受け入れる必要すらない?

ならばいっそ石になるのか

それは嫌だと言うだろう

それなら水になりたいと。

猫を被って生きていく?
猫が重くなって逃げ去る


2020.11

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