「当たり前」について最近考えている。「当たり前」って時代によって違うし、人それぞれで違う。「当たり前」って個人の強い価値観だ。それで生きているのかもしれない。

「当たり前」について最近考えている。
「当たり前」って時代によって違うし、人それぞれで違う。「当たり前」って個人の強い価値観だ。それで生きているのかもしれない。

「世間が思う当たり前って思う当たり前」はきっとあなたの当たり前の世界の中にしか存在しない。「当たり前」ってなんだろう?育ってきた環境や周りのモノとの関係の統計か。何かを選ぶ時の選択肢に関わってくる、大事な資料であり、厄介な代物だ。当たり前でないものは排除したくなったり、嫌悪を示したりしてしまう。

しかし、新しいことをするのに毎回そんな気持ちがつきまとうわけではない。それは信じている誰かの当たり前を参考にしているからか。当たり前は伝播するようだ。

そうとなれば信頼できる人ってどうやって作ったのだろう。最初の最初は信頼できる一人との関係作りから広がっていくのでは。それは母子のような存在なのか。泣くことでなにかを知らせようとする本能が初めのそれを築くのだろうか。

当たり前とは経験を今に置いたもの。
いつもいつでもつきまとう。

同じ事が何回も起これば、当たり前と思うのだろう。でもそれを知らない人もいる。何回も何回も起こったことを見ていない、知っていない人たちだ。

自分にとって当たり前でない他者の当たり前を受け入れられることができるだろうか。自分の当たり前が否定されることは、すごく傷つく事だ。嫌悪など示さずに、そんなこともあるのねっと微笑んでくれたら嬉しいとおもってしまうな。

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