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「偉大なるセザンヌ-何故少年の右腕はこんなに長いのか?」 絵画入門

 「絵の横道」19回目

これは、セザンヌ最高傑作と言われる「赤いチョッキの少年」です。
この油彩は少年の右腕が実際より大きく描かれている事でも有名です。

セザンヌは、何故右腕をこんなに大きく描いたのでしょう?

20セザンヌ
<ポール・セザンヌ 1886年 ピュールレ美術館所蔵>

実は、ここに絵画が古典的なものから現代絵画に変わって行く秘密が隠されているのです。

さて、ちょっと下の絵をご覧下さい。
これは、フランスハルスというセザンヌを遡る事250年程前のオランダ美術の名立たるデッサン家の傑作です。もちろんフランスハルスは上のセザンヌのようなことは決してしません。観たものを観たごとくに描こうとするばかりです(それが間違っていたり、劣っていたりする訳ではありません。その時代ではそれが最良の事とされていたのです。人は時代と共に生きているのです。)

20フランスハルス
<フランスハルス「アイザック・アブラハム・マッサの肖像画」1626年 オンタリオ美術館所蔵>

さて、もしフランスハルスのような写生的な絵において「赤いチョッキの少年」のように手が長ければ、これは単純なデッサンの未熟という事になります。しかし、セザンヌの絵を未熟と言う者はいません。
それどころかセザンヌは現代絵画の父とさえ言われています。

20セザンヌ婦人
<セザンヌ「黄色い椅子のセザンヌ夫人」1893-95年 81 × 85 cm個人蔵 Wikipediaより転載>

上は、セザンヌ夫人の肖像です(何と言う素晴しい絵でしょう!)
セザンヌは、アカデミックな画家(例えばフランスハルスのような)達のように対象を写するという気持ちを持っていません。絵に対するアプローチが全く違うのです。

では、セザンヌはなにをしようとしているのでしょう?

セザンヌは、現実を写するのではなく、現実を契機としてキャンバスの上に新しい現実を構築しようとしているのです。

「誰か現実をこの世界の他にもう一つ作る事が出来るか?
 それは私だ」

私にはセザンヌのそんな矜持(きょうじ)が聞こえて来るようです。
赤いチョッキの少年の大きな右手は、叫んでいるようです。
「私は現実を写するのをやめているのだ」と。

絵画とは単に世界を写すものではなく、新しい現実を創造する事なのだと明瞭に宣言したのがセザンヌの絵画なのです。

そして、この考え方はピカソら現代美術の旗手に受け継がれていきます。
だからこそセザンヌは現代絵画の父と言われているのです。

20ピカソ2
<「アビニヨンの娘たち」ピカソ 1907年  ニューヨーク近代美術館所蔵 Wikipediaより転載>

しかし、誰かがキャンバスの上に勝手に新しい現実を構築しようと試みてもそれを成す力、これは真実のものだと裏付ける力が画家に備わっていなければ、誰も振り向きもしません。

そう言う意味では、抽象画にこそリアリズムが必要なのです。


*真摯に芸術を学び、それに向かう努力を惜しまぬ画家達には必ずミューズが降りて来て絵画としての成功を約束してくれます。フランスハルスも、セザンヌも、ピカソも、皆絵に対するアプローチは違いますがミューズと共に在った画家なのです。

<もりおゆう© この美術エッセイは著作権によって守られています.>
(Yu Morio© This art essay is protected by copyright.)

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