見出し画像

私たちはついこの間までハエと戦っていた -昭和の暮し

 「僕の昭和スケッチ」95枚目

85ハエ取り

<画/もりおゆう©  原画/水彩 サイズF5>

あなたは、上の絵の右側の漏斗状の器具をご存知ですか?

これは、「ハエ取り棒」(実は私も名前までは知りませんでした)!

天井にいるハエを専門に捕獲するガラス製の器具です。
昔はよく見かけましたが、いつの頃からか見なくなりました。
バリカン等と同様に道具としての美しさもあるもので、無くなってしまったのが残念です。

左側の茶色い紙は「ハエ取り紙」。

こちらは、まだ販売こそされてはいますが、やはり見なくなりました。
何処にでもあったものなのですが……
僕の以前の記事「我家の裏にあった八百屋さん」の絵でも天井からぶら下がっていましたね。

51八百屋


さて…
では、何故これらの器具が使われなくなったのでしょう?

各メーカーから優れた駆除スプレーが登場したせい???

いや、いや、そうではありません。

😄そもそもハエが格段に少なくなったからなのです。

その最も大きな理由は、水洗トイレの普及と、農業用肥料が肥だめを使った肥料から化学肥料に変わっていった事です。

肥だめを使って育てた野菜には寄生虫等がついており、生食(サラダ)には危険が伴いました。昭和の学校には、何と「サラダ(生野菜)を食べるのは止めましょう」などというポスターが張られていたのです(僕は、どういう訳かこれを見た記憶がありません)。昨今とは隔世の感がありますね。

戦後、GHQの指導により肥だめは激減し、それに伴い野菜の生食も安全なものとなり、この事がハエを減らす大きな要因となりました。

昭和までの日本は、ハエとの戦いの歴史だったのです。


*日本人が食生活に本格的にサラダを取り入れていったのは意外に遅く1964年の東京オリンピック以降と言われています。
*化学肥料の大量使用は、後に人体への悪影響が問題となり使用が大きく規制/制限されます。


<この絵と文は著作権によって守られています>
(This picture and text are protected by copyright.)

この記事が参加している募集

#私の作品紹介

96,427件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?