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ボーリング場がピカピカに光っていた時代

「僕の昭和スケッチ」イラストエッセイ227枚目

<「ボーリング時代」 © 2024 画/もりおゆう 水彩=ガッシュ 禁無断転載>

1970年代の日本は大ボーリングブームだった。

猫も杓子もボーリング、というくらいに流行った。
中には高価なマイボール、マイバッグ持参の強者も出現した。
当時高校生だった僕らには高くてとても無理だったが、、、(笑)

それでも、高校の仲間と小遣いを叩いてボーリング場に出かけた。
彼女(♡)とも行ったのさ(笑)

この数年前まで僕らは、空き地や公園で三角ベースをやっていた。ボールはソフトボール。安物のグローブとバットを持って泥に塗れて遊んでいた。グローブなんて買って貰えない子達もいた。素手でやったり、一つのグローブを交代で使ったり、はたまた親父のお古だと言って戦前の布製のグローブを持ってくる仲間もいた。

その貧しい時代からたった4、5年後、ボーリング場なるものが街のあちこちに現れる。日本は高度成長期の真っ只中だ。

ピカピカのレーンとその向こうにある自動で並べられる10本のピン。
電光掲示板にスコアされるカウント*。
時代がどんどん変わっていくのが分かった。

もはや、何処の家庭にもテレビがあり、画面では女子プロゴルファー達が艶やかにスコアを競っていたものだ*。

中でも、中山律子さん。当時大人気だった女子プロだ。

「サ・ワ・ヤ・カ リ・ツ・コ・サ・ン🎵」
と言うCMも大流行!(花王フェザーシャンプー)。

あの頃、あなたは何をしていましたか?



*スコアをボウラーが計算しなくても済む計算機能を持った機械が実用化され始めたのが1960年代の末頃。ボーリングブームの始まりと一致する。
*もちろん男子プロの中継もあったように思うが、やはり女子プロの記憶が圧倒的に強い(笑)
*中山律子  1942年生まれ。女子プロ一期生。女子プロボウラー時代を牽引した。今もお元気で、日本プロボウリング協会の会長として活躍中。
<©2024もりおゆう この絵と文章は著作権によって守られています>
(©2024 Yu Morio This picture and text are protected by copyright.)

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