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「ゴルゴ13やカムイ伝の作者を悼む事と画像の転載/著作権について」

 「著作権のいろは」最終回:僕は著作権法についてこう思う

<イラスト「著作権とは何か?」 © 2021  もりおゆう>


著作権法についてこれまで7回に分けてその基本的なところの解説をお届けして来ました。

その中で最もページをさいたのは、著作物をブログなどに貼り付ける際の注意点でした。

結論として言えば、フリー画像を除けば他者の画像の貼り付けや文章の転載/引用は、著作権保護期間中(日本/70年)は殆どのケースで無許可では出来ないという事でした。引用/転載と言っても規定が細かく、非常にハードルが高い事がお分かり頂けたかと思います。

この間、私はできる限り私見を述べる事を避け、何よりもまずこの事実、著作権の基本を判りやすく解説をする事だけに努めました。
沢山の方がコメントをお寄せくださり、著作権というものに皆さんが関心を持って頂けただけでも嬉しく思います。お読み頂き有難うございました。

さて、今回は最終回として、前回までのような著作権法の解説ではなく、著作権法についての私の思い、私見を少しばかり述べさせて頂きます。
私は無論、著作権法や創作によって生まれた著作者の権利を重んじる者です。しかし、それでも私には現行の著作権法に対する幾つかの疑念があります。そして、その事を二人の著名な漫画家がお亡くなりになったことを例にお話ししたいと思います、、、

さて・・・
昨年末にゴルゴ13のさいとうたかお氏とカムイ伝の白土三平氏がお亡くなりになりました。そのことはニュース等で皆さんもきっとご存知ですね。
言うまでもなくこのお二人は日本漫画界で多大な功績を収められた方で、私も、学生時代などは夢中になってお二人の作品を読んだものです。私は30歳を超える頃から全く漫画を読まなくなってしまったのですが、10代の頃はとても漫画が好きで一時はイラストレータより漫画家になりたいと思った事さへあるほどです。

<白土三平氏について>
白土氏は漫画の中にしっかりとしたドラマツルギーを取り入れた人でした。それまでの多くの漫画がそうであったような片方が正義の味方で片方が悪者というような単純な考え方をせず、どちらの側にもそうならざるを得ないドラマがあり、それがせめぎ合って物語が進行していくというものです。これは、漫画が子供だけのものから、思春期から成人になっていく世代に広がっていくことに多大な功績を果たしました。特に当時「月間ガロ」に掲載された「カムイ伝」は漫画界の金字塔とも言える傑作となりました。

絵に関して言えば、私は白土氏の描く女性が非常に好きでした。

<©︎白土三平「カムイ伝」初出誌/ガロ 左と中/サエサ:右/アテナ 小学館版より転載>

ご覧ください、上の3コマを。
確かなデッサン力に支えられたスタイリッシュな女性像は正に日本漫画史に残る宝です。有体に言えば白土氏は漫画家として比類ないほどに絵が上手いのです。

<さいとうたかお氏について>
さいとう氏も劇画という新しいジャンルを立てて漫画を大きく変えた点において正に第一人者でした。大阪の貸本文化から頭角を表した彼は瞬く間に学生や社会人に受け入れられていきました(この辺りについては「僕らはみんな漫画が好きだった」をご覧ください)。
少年誌では「無用の介」等も人気を博しました。さいとう氏は、そのシャープな絵で読者を驚かせるのに十分なインパクトを持って登場したのでした。
私は、自分が若い頃に彼の単行本を買ってそのカラーの表紙に見入っていた日のことを今でも覚えています。白土氏、さいとう氏が相次いでお亡くなりになったことが残念でなりません。

<転載/©︎さいとうたかお「無用ノ介」初出少年マガジン「ゴルゴ13」ビックコミック連載中>

さて、ではここで、、、著作権の話に戻ります。
もし仮に両氏の漫画をこのように記事に転載しなかったら、、、と想像してみてください。

白土氏の描く女性の魅力を文章で表すことができるでしょうか? さいとう氏のハードボイルドな絵にしても同様です。どんな秀逸な解説を持ってしても両氏の絵を見ることには決して及ばないでしょう。
けれど、こうして絵を転載すれば正に「百聞は一見にしかず」なのです。

全ての人が、白土氏やさいとう氏の死を悼み、彼らについての思いを自由に表現する権利を持っています。このことは、「表現の自由」として日本国憲法(第二十一条)に保障されています。しかし、一方ではこうして氏の絵を転載しながらそれを表現することは著作権法違反の対象となります。この転載元の単行本には「禁無断転載」の表示があるからです。勿論、私は禁無断転載の表示に異議を申し立てているのではありません。この記事のように、著作者を悼む記事の中にその画像を転載することまでが、著作権法違反とされてしまう現行の著作権法のあり方に疑問を呈しているのです。これは、何も死を悼む記事だけに限りません。小説や絵、映画等に心を動かされ、その感動を誰かに伝えたいと思うことは人としてごく自然な衝動です。そして、それをブログを通じて表現するということは現代社会において一つの標準的な選択肢になっています。その事に意義を挟む者はいないでしょう。さらに、ブログに絵や一部の文を転載することは情報伝達として社会的な合意を得られつつあることは誰の目にも明らかなことです。私は、原著作者に敬意を持ち節度と一定のルール*を持って引用や転載をする事は原著作者の営利や商業的権利を妨げるものでは決してないと思っています。
しかし、それが著作権法違反の範疇に入ってしまう、、、
そんな著作権法のあり方とはいかがなものでしょうか?

現行の著作権法は、余りにも現代社会における情報伝達のあり方から乖離していると私は思います。営利を目的とせず、原著作者に被害/損害を与えない引用や転載に関しては、著作権法違反の範疇外とすべき、と思うのです。

幸いなことに著作権法は親告罪*ですから、私のこの記事や多くのnoterの方がお書きになっている良心的な記事が著作権法違反として罪になることは現実的には余りないと言って差し支えないでしょう。
*親告罪-被害者からの告訴がなければ検察が起訴することができない犯罪

とはいえ、私はやはり法の整備は必要と思っています。
著作権法はその成り立ちが古く、そもそも現代のネット社会に適応していないのです。

今回は著作権法と表現の自由の間にある矛盾について私見を述べさせていただきました。あくまで私見であり、いろいろな考え方がある事と思います。一つの考え方としてご参考にして頂けましたら幸いです。

(*)この記事中の画像転載は厳密な意味では著作権法に違反する可能性があります。もし、著作権者の方より著作権法違反のご指摘をいただいた場合は、記事中の転載を固持するものではありません。
(*)一定のルール
転載や引用を行う時は、その転載や引用の元を分かりやすい場所に明示する事、転載や引用は主たる文のあくまで従である事など.

<最後に>
著作権法の根幹は、人の成した労働に敬意を持ち労働を盗まない事、と私は思っています。そのことを大前提としてこの記事をお読み頂けましたら幸いです。

<© 2022 もりおゆう この絵と文は著作権によって守られています>
(This picture and text are protected by copyright. 2021.Yu Morio)


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