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「赤い看板」昭和からの絵手紙

 僕の昭和スケッチ番外短編集5

106銭湯
<画/© 2007 もりおゆう 水彩>

「赤い看板」


(一)銭湯にて
その昔、銭湯の湯は今時の湯より格段に深く、子供ならゆうに潜って遊べる程だった。町内の子供らが銭湯で一緒になろうものなら、それはもう大騒ぎとなったものだ。 木の桶を浮き輪代わりにしてばしゃばしゃと泳いぐ、 互いに湯を掛け合う…、その挙げ句大人達に一括されてすごすごと湯から出る…そんな風だった。その大人達というのは、たいていは町内の顔見知りのおじさんたちだったが、時には見知らぬ老人だったりもする。 それが、昭和という時代の実にいいところだった。

タケもそんな子どもらの一人だった。
湯から上がるとタケは、脱衣場に置いてある竹で編んだ椅子によく腰を掛けた。 脱衣場には土地廣業の大きな映画のポスターが何枚も張られていた。大川橋蔵のチャンバラ映画や、大好きな七色仮面、そして恐ろしいゴジラ映画等のポスターはもちろんの事、 時には「温泉○○芸者」などというちょと艶っぽいポスターもあり、いずれもタケの好奇心を大いに刺激した。 それと、もう一つ銭湯にはタケの幼い心を揺さぶる魅惑的なものがあった。 それは、番台の前に置いてある小さな冷蔵庫だ。 中には良く冷えたフルーツ牛乳や、ビン入りのヨーグルトなどが美味しそうに並んでいて、タケの目にはそれがまるで宝物のようにキラキラと光って見えた。 よく映画等で子供達がこういったドリンク類を美味そうに飲むシーンがあるが、 現実的にはそういった事はまだ珍しいことだった(昭和30年代中盤)。 実際タケはそれらを口にした事は実に一度もなく、大鏡の前でドリンクを上手そうに飲む大人や裕福な家の子どもをいつも羨望の眼差しで見ていた。 タケの家庭は特に貧乏という訳ではなかったが、父親は子供が買い食いをするような事を許さず慎ましやかに暮らしていた。 だから、銭湯へ行く時もタケがポケットに持っているのは湯銭の8円だけだった。 たまに母親と銭湯に行く事もあり、そんな時にタケは湯上がりのジュースをねだってみた事もあったが、叶わぬ願いだった。その頃は、まだまだ冷蔵庫の保有率は低く、タケの家にもそんな贅沢なものは無かった。 必然、家に帰っても冷たいジュース等あるはずも無い。
だから銭湯でのタケのこのささやかな願いは、今時の人が思うより大きなものだった。
「一度でいいから、あのバヤリースとかフルーツヨーグルトを湯上がりに飲んでみたい…!」
それが、タケの小さな、けれど切なる願いだった。

(二)満願成就、湯上がりの帰り道
そんなある夜、タケはちょっと久しぶりに母親と銭湯に行った。
そして湯から上がったその帰りに道に小さな異変が起こった… 。ついに、タケの願いのかなう日が来たのだ。
しかも、実に奇妙な形で、、、

銭湯から出てすぐの所にある一軒の酒屋の前まで来た時の事、母親が不意に足を止めた。 酒屋の店頭にはジュース類の冷蔵庫が置いてあり、その上に真っ赤な看板が吊るされている。 どうやら、母親はその目新しい看板に目を留めたようだった。 それは、タケ達の住む田舎町では当時まだ余り見かけないアメリカの炭酸飲料の看板だった。 

「これ、飲んでみよか、タケちゃん…」と看板を見ながらタケの母親が不意に言った。 タケは自分の耳を疑った。すぐに酒屋の女主人が奥から出て来た。同じ町内の顔見知りの女主人だ。
「これ、美味しいんかね?」と母親が看板を指差しながら女主人に言った。
その声は妙にいたずらっぽく、普段の母親からは想像できないような弾んだ声だった。
「う~ん、みなさん美味しいっておっしゃるけど、飲んでみんさる? ちょっと変わった味がするけども…」 と女主人。
「ふーん、そうかね、そんならまあ、一本貰ってみよか。お幾ら?」
「35円、ここで飲みんさるなら、ビン代15円引いて20円。」
母親は一本、栓を抜いてもらい「あんた、飲んでみゃあ…」、といって先にタケにそれを渡した。 タケは手に取ったそのビンをまじまじと見た。 タケの夢見た湯上がりの清涼飲料が、思いがけず今タケの手にあった。母親がなぜ不意にこんな事を言い出したのかもタケには判らなかった。今日何か母親に良い事があってそれで上機嫌なのか…それとも、たまにはジュースの1本くらい飲ませてやらねば不憫と思ったのか…

ともあれ、 ドリンクは今まさにタケの手にあった。
しかし、それは今までタケが思い描いていたものとは全く違うものだった。手に取ったそのビンは見たことのないような流線型の美しい形をしており、さらに驚いた事に中には真っ黒な液体が入っていた。 タケは、恐る恐るその黒い液体を口に運んだ。
「どんな味やね…?」と母親が探る。
「苦い…」と言って、タケが母親にビンを渡す。
母親は、それを口に含むと「なんや、咳止めのシロップみたいな味がするね…」と少し顔を歪めて又タケに戻す。
「うん…、なんやろ、これ…」とタケがもう一口飲む。
そうやって、その奇妙な冷たい飲み物を二人は交代で飲み、店を出て家に向かって歩き始めた。
「なんや、変な味やったね、タケちゃん。」 と母親が言った。
「いや…けど、おいしかったで、お母ちゃん。最初は変な味やと思ったけど…、美味かった。」
「そうかね、そんなら良かったわ。」と、母親は笑い、最後に念を押した。
「けど、お父さんには、アレ飲んだ事は内緒やよ。風呂上がりにあんなもん飲んだら贅沢やって、怒らっせるで。」と。
「そやな、親父には内緒や。」とタケも笑って応えた。


その五 「タケの願いと赤い看板」(了)



*コーラの歴史について
コーラの歴史は意外に古く、日本では明治時代にすでに記録にあります。しかし一般に流通し始めたのは昭和30年代の中盤で、冷蔵庫の普及と共にあっという間に日本中を席巻しました。

<文と絵 © 2007 もりおゆう 禁無断転載 All rights reserved>
*文/初稿2007.最終稿2021.10.25


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