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昭和「インスタント時代の始まり」

 「僕の昭和スケッチ」112枚目

<画 ©2021もりおゆう 水彩 サイズF5>

インスタント時代の代表選手といえば、やはりインスタントラーメン!

そのインスタントラーメン第一号の「チキンラーメン」が発売されたのは、1958年のことでした。
我が家でも早速買って来て、「おいしいやろか?」などと言いながら作ったものです。

食べてみると、インスタントラーメンの味は本当のラーメンとは全く違うものでした。しかし、にも関わらずそのクセになるような新しい味と便利さで昭和庶民の間にあっという間に広がっていきました。何しろ、お湯を注げば3分で出来るというのは、当時としては画期的なものだったのです。

僕の郷里の岐阜では「トノサマラーメン」が主流で、本家の「チキンラーメン」を子供の頃には見た記憶がありません。ですので、僕は長い間トノサマラーメンが本家本元だと勘違いをしていました。そして、このトノサマラーメンの他にもあっという間に類似品、紛い物が店の棚にずらりと並び、今日は〇〇ラーメン、明日は〇〇ラーメンとを食べまくったものです。
(*)インスタントラーメンの意匠権、商標権、製造特許権をめぐる係争があいついだ時代です.

ちなみに、日清チキンラーメンの発売当初価格は35円。
お店のラーメンの値段は、地域差がありますがほぼこれと同額でした。ですので、当初はこれは売れないだろうと問屋さんが取次を躊躇したという話も残っています。しかし、トノサマラーメンなどの追随各社は低価格路線で展開。さらにこの頃普及し始めたスーパーマーケットに置かれたことでこの低価格路線が促進されます。この事がインスタントラーメン普及の陰の要因だったのではないでしょうか(私見です)。

この後、1960年インスタントカメラ(ポラロイド)、インスタントコーヒー、1963年インスタント焼きそば、1968年にはボンカレー、続いて1971年カップヌードル、と何から何までインスタントの時代到来となります。
それは、本物ではないものが庶民の間で受け入れられていくという新しい時代の始まりでもありました。インスタントラーメンは、高度経済成長期といわれるスピード社会に生まれ、インスタント時代の先駆け、昭和文化の象徴とさへ言えるコンテンツではないでしょうか。


(*)マルタイの棒ラーメン、サッポロ一番みそラーメン、出前一丁、明星チャルメラなどなど、、、、よく食べましたね〜〜〜✨😊♪♪  
色々と好みはあるでしょうが、僕はマルタイの棒ラーメンが今も好きです。
(*)一方でインスタントラーメンは身体への悪影響を警告されてもいる.
1994年から15年間に渡り大ヒットした海外ドラマ「ER緊急救命室」でも、仕事中に慌ててカップヌードルをかき込んでいる新人研修医に先輩の医師が「お前、自殺でもしたいのか?」とジョーク混じりに話しかける有名なシーンも. 昨今のインスタントラーメンは、本物に近いような物も数多ありますが、皆さま食べ過ぎにはくれぐれもご注意を!


<©2021もりおゆう この絵と文は著作権によって守られています>
(©2021 Yu Morio This picture and text are protected by copyright.)


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