#11 「ここなら来れそう」と思わず呟いた学校環境 【7年間の不登校から大学院へ】
小学校に引き続き、中学1年生で2度目の不登校になり、小学校レベルで学力が止まったまま中学3年生を過ごしていた私。
そんな小学校レベルで止まったままの学力を、なんとかしようとしていた中学校3年生編はこちらから
オープンキャンパス
相談室に通っていたある日、私のことをずっと気にかけてくれていた教頭先生に廊下で声をかけられた。
すると「今週末に私立高校のオープンキャンパスがあるから、見学だけでも行ってみたらどう?」という提案をしてくれた。
そう、私は小中学校ともに不登校になったけれど、高校には通いたかった。
小学校も中学校も、2度も行けず仕舞いになったけれど、高校には通ってみたかった。
教室に通うのがあまり得意じゃない場合、通信制の高校に進学する子も多いよ、考えてみたらどう? と保健の先生から聞いたときに、一度は通信制の高校への進学も真剣に考えた。
私が先生から紹介された通信制の高校は、予備校のような授業スタイルで、決まった制服やクラス分けもなく、週に数回だけセミナー室のようなところに通って対面授業を受ける感じだった。
実際に、どんな感じで授業を受けるのか、どんな雰囲気なのか見学にも行った。
だけど、私は学校に通う高校生活を送ってみたいと思った。
教室で授業を受けて、休み時間にはクラスの友だちとわちゃわちゃ遊んだり話したり、部活動なんかをやってみたかったのだ。
圧迫感のある教室はどうしても苦手だったけど、たまにテレビで見かけるような全校生徒が50人程度の山奥の学校なら、少人数で開放感のある教室なら授業を受けられそうだと、心のどこかでずっと思っていた。
学校に良い思い出はないけれど、学校に通うことへの憧れはある。
一見とても矛盾しているけれど、当時の正直な心境はそうだった。
なぜならば、このとき私のなかでのそういった憧れが勢いを増していたから。
学校生活への憧れ、それは思いがけないところから
私が中学3年生のちょうどその夏、24時間テレビのパーソナリティを務めていたのがAKB48だった。
同世代(厳密には少し上)の女の子たちがキラキラと輝いて日本中で大活躍をしている姿、そして何より仲が良くて協力しあって励まし合って楽しそうな姿に憧れを抱いた。
AKB48のメンバーが楽しそうにしている映像を見るたびに、私はどんどんとそういったものに憧れるようになり、つまりは学校生活に憧れるようになった。
7年にもおよぶ長い不登校生活から、再びそんなマインドになったキッカケはまさかのAKB48にハマったことだった。
キッカケは、とってもとっても思いがけないところにあった。
でもその何気ないキッカケが結構パワフルで、私にとっては心が楽しい or 好き と思う感情が結構大切だったようだ。
なぜ 「好きなこと」 が大切なの?
少し前から世間では「好きなことで生きていく」というキャッチフレーズだったり、「好きなことはなんですか?」なんて話題が盛んに上がるようになったな、と感じます。
これに対して私も感じることがあるので、少し寄り道した雑記として書いてみますね。
実は、不登校だった私には、いつも心のどこかで「好きなことをしちゃダメ」「遊んじゃダメ」とか「楽しんじゃいけない」みたいな謎の縛りがずっとありました。
学校に行っていない(≒やらなければならないことをしていない)のだから、その分、遊ぶのもダメ、みたいな謎の制限が自分のなかにずっとあって。
親にそう言われたわけでも、誰かにそういうことを強制されていたわけでもなかったのですが、なぜかずっとそう思い込んで過ごしていました。
だからいつも「楽しい」とか「これ好きだなぁ」という前向きな気持ちにフタをして、実際に兄妹でテレビゲームなどをしていてもずっとどこかに罪悪感を抱いていました。
学校に行っていないのだから、好きなことをしちゃいけない、と真剣に思い込んでいた。
でも、大人になってから『幸せになる勇気』という本のタイトルを書店で見かけた際に、なんだかハッとしたんです(ここでは本の内容ではなくてタイトルだけ)。
私に必要な気持ちって実はこれじゃないかな、と。
元々、物心がつく前から集団行動が苦手で、さらに小学校でも中学校でも不登校になっていた私は、ずっと「自分は社会不適合者なんだ」なんて、ひたすら自分を責め続けるクセがあって。
そして正直に言うと、「クセ」と呼ぶぐらいだから、本当に大人になった今でも抜けきれない部分が多くあるんです。
自尊心がどうしても低くて、誰よりも味方でいてあげるべき自分自身が自分の敵のような気持ちになってしまうことが多々ある。
その気持ちが重く感じてきたとき、いろんな文献を読んでいると、こういった心理や行動のことを「自分いじめ」と表現している本がありました。
いじめ、なんて言葉を軽々しく使いたくはないのですが、でも当時の私はこの言葉通りだったなと思ったんです。
学校に行けないことで、心のなかで自分に対してひどい言葉を思ったり、だから自分はダメなんだ、なんてことを永遠に思ってしまったり。
そんな自分は楽しんじゃダメだ、遊んじゃいけない、好きなことは我慢。
……自分を幸せにしてあげられるのは、この世で自分しかいないのに?
いろんな人や本、そして考え方に触れ合いながら大人になって、考え方が少しずつ変わってきたなかで、なんでも良いから、自分の心がウキウキするようなこと、明るい気持ちになって楽しめるもの、そして「好きなこと」や「好きなもの」って実はやっぱり大切なんじゃないかなと思うようになりました。
「好きなこと」や「楽しいこと」は一見ただの遊びのように思えてしまうかも知れないけれど、実はそこに無限のパワーが秘められている場合があるから。
つまり、心が軽いと、なぜか行動までが軽くなったりすることがあるから。
そして「好きなこと」や「楽しい」と自分が思えることに対しては、自発的な感情が生まれる。言い換えると、自分軸の気持ち、とも表現できるでしょうか。
この自発的な気持ちが、実はとっても大切だったんだなと感じることが多かったのです。
高校でも、大学でも、大学院でも、自分の興味のあることや好きなことは、やっていて楽しいから続く。続くから上達する、するとさらに楽しくなる。
そんなふうに自然と続けていて、気がついたらいつかそれが実になっていたというふうに。
「頑張り」や「努力」と表現されるようなものへの必要なパワーが半減されるというか、燃費が良い状態というか。
AKB48を見て、「楽しそう」とか「良いなぁ、自分もあんなふうに楽しみたい」と思う気持ちが芽生えた当時の自分のように、その気持ちが自然とパワーになったりする。
だから、自分の「好き」や「楽しい」という気持ちをお守りのように自分の心に持っておくのも一つの方法だったのかな、といま振り返って思ったりします。
そして余談ついでに、ゲームばかりしていた私の兄についても。
私の兄は小さい頃からゲームが大好きで、デジモンやファミコンから始まり、小学生の頃からずっとゲームをしていて周りからも色々と心配されていました。
しかも当時はいまより「ゲーム」というものへの風当たりも強く、テレビゲームは学校でも家庭でも叱られたり、没収されたりする対象でした。
でも兄はゲームへの興味をきっかけに、当時はまだ一般家庭にはあまり普及していなかったパソコンやインターネットの仕組みを中学生あたりから自在に使いこなせるようになっていました。
なので学校での友だちだけではなく、オンライン上で知り合ったという海外在住の同い年の日本人の子と仲良くなり、その子が帰国した際には実際に会ったり(今でいうオフ会のようなもの)。またそれがきっかけで海外にも興味を持って、学生時代には留学を経験したり。
そんなゲームとパソコンをし続けた日々によって自然と積み重なった実力と知識のおかげか、いまはゲーム会社で働いていて、当時クリアするまで寝不足で遊んでいたゲームの最新作の企画や制作をしていたりします。
興味のあることからどんどんと派生していった結果としてそうなった。
スティーブ・ジョブズ氏の伝説のスピーチ「コネクティングドッツ」ではありませんが、本当にそんなふうに一つ一つの点が繋がることもあるんだなと感じました。
好きはものの上手なれ
という言葉にもあるように、自分の好きなこと、好きなもの、楽しくてワクワクするようなものに出会うのはそう簡単ではないけれど、そういった感情もキーポイントなのかもしれないと、私も実際の経験から思うようになりました。
もちろん、いくら好きで楽しいからと言っても何も考えずにそれだけを行う! というのではなくて、基本的な勉強などを行った上での話ではありますが。
どんなときに自分の気持ちが上向いているか、楽しくてワクワクするような気持ちになっているかに注目すると、意外な答えが見つかるかも知れません。
私や兄みたいに、それはゲームや英語かも知れないし、アイドルや歌やダンス、プログラミングやスポーツやアートなど、選択肢も可能性も無限大。
だから、学校に行けないからといって悩み過ぎないで良いんだよ。
どうか自分で自分を傷つけないようにしてね。
もし当時の自分に声をかけられるなら、私はそう伝えたいです。
オープンキャンパス当日
朝から私立高校のオープンキャンパスに行ってみると、校舎内には朝日が降り注ぎ、どの建物も白を基調とした吹き抜けがあって、とにかく全体の雰囲気までもが解放的で明るくて、清潔でキレイだった。
実際に、教頭先生から勧めてもらった私立高校は、比較的クラスの人数が少なくてキャンパスが本当に綺麗だった。
元々、閉鎖感と圧迫感がある教室の環境が苦手で学校に行けなくなった私にとって良い環境なのではないか、という教頭先生からのアドバイスは的確だった。
ずっと行けなかった小中学校の校舎は、全体的にグレーで廊下は深緑のリノリウム、トイレもとにかく暗くて古い、洋式トイレは一個しかなくて、みんなそこを使いたがるからいつだって入りずらかった。
いま思い返しても、天候に関わらずいつだって薄暗くて冷たいイメージがある。
でもその高校では、トイレの扉を開けた瞬間からイチゴのような甘い香りがした。
ほとんどが洋式トイレで、ちゃんと掃除がしてあるから、とにかくどこも清潔なのが印象的だった。校舎も教室も、トイレまでもが綺麗。
それらを見て周るうちに思わずふと「ここなら通えそう」と口にしている私がいた。
「ここなら通えそう」という言葉を聞いた母の行動
それを隣で聞いた母は、すかさず私に「今から、塾を見に行こう」と手首を掴んだ。
「最近、駅の近くにできた新しい塾があったから、そこに今から行ってみよう」と言い、私は何が何やらよく分からない状態で勢いに圧倒されながら早速、駅に向かった。
というのも能天気に「ここなら通えそう」なんて言ったところで、まずそこに通うには筆記試験や面接に合格せねばならず、いわゆる「受験」を通過しなければ到底夢の話だったから。
オープンキャンパスに来ているまさに今日から受験日まで数えて丸3ヶ月あるかないか。
その私立高校の受験科目は国数英の3科目。
私はアルファベットすら書けない。
そんなレベルから残り3ヶ月で受験レベルまで学力を引き上げるのは果たして可能なのか? それとももう間に合わないのか。
半ば祈るような気持ちで駆け込んだ、塾での話はまた次回に。
次回は #13 「残り3ヶ月でどうか受験レベルまでお願いします?!」【7年間の不登校から大学院へ】を更新予定です。
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