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#10 小学校で止まった学力のまま中学3年生に 【7年間の不登校から大学院へ】


小学校に引き続き、中学1年生で2度目の不登校になった私は、そのまま中学3年生になりました。


そんな私でも、中学2年生からは定期テストだけを教室で受けて、校外学習などにも少しずつ参加して学校との接点をなんとか作ってもらっていました。

そんな中学2年生の記事はこちらから


今回の記事では、小学生レベルで止まってしまった学力をどうにかできないかと、まずは保健室と相談室に登校して自習を始めた中学3年生の日々について書いてきます。




中学3年生

いよいよ中学最後の年になった。

当時の心境としては「なった」というよりも「なってしまった」の方が近かった。

同級生は、進学先や受験勉強の相談をとっくに始めている時期。

私は相変わらず、大きな遅れをとったままだった。


そんな4月の初め頃、新しい担任の先生に挨拶すべく学校に行った。

授業中の時間だったから職員室前の廊下はシンとしていて、人が誰もいなかった。職員室の前について、ドキドキしながら扉をノックして新しい担任の先生を呼び出す。

元気良くフレンドリーに挨拶されながら、保健室にでも連れて行かれてそこで話をするのかと思ったら初めて相談室を開けてくれた。

暗くてジメッとした光の届かない相談室。

「相談室」という言葉から連想する、後ろめたさを部屋自体が表しているような、追いやられて隠されたような場所にあった。元々は大きな教室かなにかだったのを壁で無理やり二分割したような部屋で、しばらく掃除された形跡もなかった。
空気もムアっとしていて湿気臭いのが印象的だった。


このあと私は、教室よりも多い日数をこの相談室で過ごすことになる。




新しい担任の先生


 新しい担任は英語の先生で、学生時代に留学していたというアメリカの自由な雰囲気を持ち帰ってきたかのような、明るいフレンドリーな雰囲気を纏っていた。

前年の担任だったアクティブな先生とはまた違う方法で、この先生も私をなんとかしようとしてくれていた。


そんな先生と相談室に向かうすがら、たまたま廊下ですれ違った数学の先生から急に「来週に数学の実力テストをするから、それを教室で受けてみなさい」と言われた。

私の学力は、中学1年生の5月ごろ(授業では小学校の範囲をやり直していたぐらいだったので、実際の学力は小学6年生ぐらい)で止まったままだったので、とてもじゃないけれど実力テストなんて出来ません、と答えた。

すると、それでもいいから、点数じゃなくてとりあえず受けることが大切だから、と言ってくれたので、その言葉を信じて私はさっそく新しいクラスに数学の実力テストだけを受けに行くことになった。


周りから見たらとても変で理解できなかったと思う。


クラス名簿には名前があるのに、一度も姿を見たことがない子。
そうかと思ったらある日突然、数学のテストだけ受けに来てその授業が終わったら帰っていく、私はそんな変な生徒だった。



数学の実力テスト当日

 先生との約束通り、私は数学の実力テストだけを受けに教室に行った。

正直、自分の席がどこなのかすら分からないし、季節によって着るべき組み合わせが変わる制服は、どの組み合わせで着ていけば良いのか分からなかった。


久しぶりに登校した教室は相変わらず賑やかで、圧倒もされたけれど、正直少し楽しそうにも思った。


中学1年生のときは教室に入るとパニックのようになっていたけれど、中学2年生のときに少しずつ教室に行く機会があったからか、中学3年生になって少しだけ落ち着いて教室で過ごせている自分にそこで気がついた。

気持ちに少し余裕ができたのか、ゆっくりと周りを見渡してみると、自分よりも随分と大人に見える同級生たちの姿があった。



ヒジが破れたカーディガン、折り返したスカート、使い古されたリュック。それについている様々なストラップ。見たこともないロックバンドのロゴのバッジ。


同級生が休み時間に読んでいる本をチラッと見たら、難しそうな大人向けの小説だったり、ライトノベルだったりした。


交わされる会話では「昨日のドラマやばくなかった?!」なんてキャッキャ言い合っていて、そんな様子ですら、私からはとても遠くに感じた。

自分だけが中学1年生のあの日のまま、なにも変わらずに時が止まっているかのような感じだった。





実力テストの手応え

 実力テストの時間、数学の先生が教室に入ってきた。

教室に入ってきてさりげなく、確認するかのように、目が合った。

「よし、ちゃんと来ている」と言っているような目線で、気にかけて心配してくれていたんだな、と思って安心感を覚えた。

テスト時間中は、教室なのに魔法がかかったように静かで、自分は夢のなかで登校しているんじゃないかなんて不思議な感覚だった。

ただ、チャイムと同時に始まった目の前の数学の実力テストは大問1を過ぎてから全く分からず、終了のチャイムまで時間を持て余して終わった。


終了のチャイムが鳴ると同時に教室はすぐさま喧騒に戻り、「テスト全然できなかったんだけど!やべー!」「お前できた?」なんて言い合っている同級生の会話を少し羨ましく思いながら、私は教室を後にした。

教室にいる1時間のあいだに現実と夢うつつを行ったり来たりしたけれど、目の前の現実は全く変わっていなかった。

私の学力は中学入学時のままだ。

授業にもついていけない私は、今さら教室に通えるわけもなかった。




ある日、思い立って登校した日


これは余談だけれど、ある日突然「今からなら教室に行ける!」と思った日があって、下校直前の掃除の時間から教室に登校したことがあった。

担任の先生には事前に「教室に来れると思ったら自由に来ていいよ」と許可をもらっていたので、そんなことが出来た。


学校での滞在時間は1時間にも満たなかったと思う。本当にこんな迷惑な生徒を指導してくださったなと思って各方面には頭が上がらない。

ただ、そんなふうに思い立って急きょ掃除の時間に行ったのだけれど、先生は教室には不在で、顔を合わせたクラスメイトは「あっ!」という表情をするだけで、みんな声を一切出さなかった。


そんな反応を不思議に思いながらも、自分がどこの掃除担当なのか分からなかったから、クラスの子に尋ねてみた。それでも誰も何も話してくれなくて、みんなまるで私が透明人間になったかのような対応だった。



もしかしてクラス全員から無視されるようになってしまったのかと思ったら、掃除が終わったあと、後ろの席の子がコソッと「掃除中は、何があってもお喋りしちゃいけない決まりなの」と教えてくれた。

あ、そういうことだったのかと思って、学校には色んなルールがあるなと思った。


学校に普段通っていないと、こういった暗黙のルールや教室での取り決めが全く分からない。また、友だちの輪や仲良しグループも完全に出来上がってしまっているから、後出しジャンケンではもう入れてもらえない。

仮に入れてもらえたとしても、グループの+α(プラスアルファ)のような存在になって浮いてしまう。


不登校の困ったところは、こういった途中復帰が難しいというところかもしれない。

勉強も友だちとの関係も、一度行けなくなってしまったら、いけない期間が長くなるのに比例して、再び行けるようになる難易度も比例して上がってしまう。

こうして中学最後の年も、私は教室には行けなさそうだった。




中学3年生で受けた数学の実力テスト、結果は6点


教室で受けたテストの結果が返ってきた。


結果は6点。

大問1の2点配点の問題を3問正解しただけだった。

ちょうどルートの計算が出題されていて、√0=0、√4=2、√9=3とだけ回答できた。その結果が6点。


さすがに先生もどう声をかけたらいいのか分からなかったらしく、廊下で答案を渡されるとき、やたら空元気に「ま、まぁ、これから頑張ろう!」なんて当たり障りのない声が廊下に響いた。

私も「……は、はい」みたいな返事しかしようがなかった。


実力テストで6点しか取れないという現実を改めて目の当たりにして私は、どうにかしたいと焦る気持ちを持つ反面、でももうどうしようもないなとどこか他人事のように考えて諦めている部分があった。



帰ろうと思ってテストの答案を手に昇降口へと歩き始めたとき、これまた偶然に、小学校のときにお世話になった保健室の先生とばったり廊下で出会った。

どうやら中学校の保健の先生に、生徒の情報を共有しにきていたらしい。


2年ぶりの再会に「久しぶり!元気にしてる?」と変わらず気さくに声をかけてくれた。

「中学校でやり直したいんです」と語って、意気込んで卒業した小学校。


そんな2年後の授業時間中に、廊下を一人でリュックを背負って歩いている私の姿を見た瞬間、先生は全てを察したらしかった。

でもあえて不登校の話題には触れずに「身長ちょっと伸びたね!」と、低身長でも悩んでいた私のことを相変わらず心配してくれた。


そんなふうに立ち話をしていると、中学校の保健の先生も合流してきて、私と小中学校の保健の先生と計3人で話すことになった。

するとその際に小学校の保健の先生が、小学校では保健室登校はできていたのだから中学校でもそれをしたらどうか、と提案してくれた。



中学校の先生にも話を通してくれて、早速そこから私は朝9時から給食直前のお昼まで毎日、保健室に登校して自習をさせてもらうことになった。



自習といっても自分でできる範囲は限られているため、漢字のドリルや教科書を読んで内容をノートにまとめる程度のものしかできなかったけれど、でもとりあえずは早起きをして制服を着て学校に来るということが大切だと言ってもらえた。



登校時に保健室の先生と話し合ったり、たまに担任の先生が授業の合間に保健室に顔を出して覗きにきてくれたりもした。


もしかすると、そんな交流が大切だったのかも知れない。





同じような不登校の子がいるんだけど……


 そんな日々を過ごして少し経ったある日、保健室の先生から「今年の4月から不登校になった子がいるから、来週からその子もここで一緒に勉強してもらっても良い?」と聞かれた。


たぶん5月ごろだったと思うけれど、私はもちろん了承して、その子も保健室に毎日通って来るようになった。


その子は同い年の女の子で、第一印象はとてもおとなしい子という感じだった。


最初の頃は互いに口数も少なくて、ほぼ喋らず物音も立てずに給食前のチャイムが鳴ったらお互いに無言で帰り支度を始めて、職員室に保健室の鍵を返しに行く、みたいな日々。


でも何がきっかけだったのか1ヶ月も経たないうちに仲良くなって、お互いとってもよく喋って、とってもよく笑うようになった。



その子(仮称:Aちゃん)との家は少し離れていたものの、「今度の週末、一緒に遊ばない?」と中間地点の公園で待ち合わせをして色んなことを喋った。



散歩をしながら、なぜ学校に行けなくなったのか、どうして学校に行けないままなのかを話し合った。すると、進路はどうしようと考えているかなんてことまで話し合える友だちになった。



家族には伝えられないような細かなことまで、学校のことをフランクに話せる相手が初めてできて、私はとても嬉しかった。


それに、相手の話を聞いたり、自分が感じていることを改めて言葉にして話すことで気持ちの整理にもなった。

相手に話しながら、その言葉を自分で聞いて、いま自分はこういうふうに考えているんだと再認識したりもした。



あとなによりも、同年代の子と話す機会が無かった私にとって、友だちができたことが本当に嬉しかった。

そんなふうだったから、毎日保健室に通うのも自然と楽しくなった。


昨日あった面白い出来事、見たテレビ番組のことを話したりしていると、自分は箸が転がっても面白い歳なんだと実感するぐらい笑い転げることもあった。

小学校3年生、当時9歳だった頃から学校に行けなかった私。


そんなふうに友だちとバカ話をして笑い転げたのは、生まれて初めてだった。




保健室と相談室

朝9時から給食前まで保健室に登校して、Aちゃんと一緒に自習する日々。

毎日、帰る時間も一緒だったけれど、なぜか週2回ほど一緒に帰れない日があって不思議に思っていた。


詳しく聞いてみたら、Aちゃんは週2回ほど相談室で特別に数学の個人授業をしてもらっているのだと言う。


中学3年生から不登校になったAちゃんと、中学入学時から不登校になった私とでは学力の差は圧倒的に開いていた。でも、どうにかしたいと思っていた私は自分もその授業を一緒に受けさせてもらえないかと頼んだ。

Aちゃんも先生も許可してくれて、週2回の数学の特別授業に参加できるようになった。

この時は知る由もなかったけれど、このことが後に高校受験を可能にする希望の光となる。



週2回の特別授業

 この特別授業をしてくれる数学の先生と私は初めましてだったので、どんなふうに授業に参加したら良いのか最初はとても戸惑った。


なにせ授業は中学3年生のほぼリアルタイムな内容だったため、最初は全然ついていけなくて、なんの話をしているのかさっぱりなレベルだったからだ。

先生も、学力レベルが全く違う2人に対して一緒に授業をするのは大変だったと思う。

けれど、毎回問題の解き方や、分からなくてつまづいているところをその都度、教えてもらったおかげで2ヶ月後の定期テストでは45点ぐらいが取れるようになった。



どんどん数学の問題が解けるようになってくると面白くなり、手を付けられずにそのまま置いていた中学入学からの数学の問題集やワークをひたすら家で解いて、答えを見ても理解できないところは先生に質問をし続けた。


数学を解いている間は時間をも忘れて、家で問題集を解いていたら気がついたら夜になって問題集を一冊終えていた、ぐらいのレベルで私は勉強に没頭した。


今までやりたくてもできなかったことが、理解して分かるように解けるようになっていく。その感覚が嬉しくて、時間を忘れて私は勉強をし続けた。



それを支えて教え続けてくださった先生には本当に今でも頭が上がらない。


書きながら心底思うけれど、本当に私はいつでも沢山の人に心配と迷惑をかけてばかりで、助けてもらいっぱなしだった。

一番そばでずっと変わらず支え続けてくれた両親にも、私は感謝の気持ちでいっぱいだ。




少しずつ追いついていく学力

 リアルタイムで授業内容を追えるだけで、こんなにも勉強ができるようになるのだと感動した。

勉強したい意欲はずっとあったものの、消化不良で終わって燻っていた分、私は毎日勉強に夢中になった。


未使用だった数学の問題集は先生からの赤マルやバツで埋まっていき、新品だった問題集がクタクタになってゆく。シャーペンの芯も消しゴムも使ってどんどんなくなる。そんな当たり前のことが純粋にやけに嬉しかった。



また、そんな感じで保健室と個人授業に通うようになると、少し気持ちが上向いた。勉強を頑張っているという充実感と、ちゃんと学校に通っているという肯定感からかも知れない。


ただ「保健室に不登校の子たちがいる」との噂が次第に広まり、休み時間には興味本位で覗きにくる子が多くなってしまった。ときには「居るんだろ! 扉、あけろ!」とやんちゃなグループに扉を叩かれることもあった。

このため保健室には通わずに終日、相談室で勉強をすることになった。



そんな日々を過ごしていると、5教科のうち数学だけは中学3年生レベルに追いついた。

国語は、読書が好きだったのと学習ワークを自力でしていた甲斐もあってか、なんとかなりそうなレベルだった。

ただ、問題は英語だった。

英語は本当にまるっきりダメで、アルファベットも大文字と小文字で書けないレベルだった。三単現のsなんて意味が分からなかった。


夏休みも終わり、相談室の窓から体育祭を見守って秋も過ぎたころ、冬はすぐそこに迫っていた。



数学だけは中学3年生レベル、国語はまぁまあぁ。
でも英語はアルファベットすら書けない。


このときすでに中学3年の11月。

一般的な高校受験の時期は2月。
ということは、迫り来る高校受験まで残り3ヶ月も残っていなかった。


でも私は、とある高校へのオープンキャンパスに参加したことをきっかけに「どうしてもここに来たい」と、高校受験を決意する。



オープンキャンパスで自分に合った学校環境を見つけ、高校受験の筆記試験を経て、中学を卒業した中学3年生の続編はまた次回に。

次回は #11 「ここなら来れそう」と思わず呟いた学校環境 【不登校7年間から大学院へ】を更新予定です。



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