まず、言います! 私はいまそれなりに元気です!既にいくつか記事を投稿しましたが、 自分で記事を読み返すと、本当に暗い、暗すぎる。 自分の心の中にある闇をそのままno…
「8月31日の夜」にザワザワする私の心まだまだ暑い日が続いているが、日本各地の小学校では長い夏休みが終わり、再び学校が動き始めている。 この時期になると、「8月31…
学校へ通えている子供にとって、「8月31日の夜」は憂鬱だ。(もちろん、友達に会えて嬉しいという子もいるだろうけど・・・) 一方、不登校になってしまって学校へ通えてい…
コロナで夏休みが延長になっている自治体もあるが、娘の小学校は今日が夏休み最後の日。いわば、8月31日のような日だ。 明日からいよいよ学校がはじまる。といっても、こ…
「8月31日の夜に。」との出会い NHKのハートネットTVの「8月31日の夜に。」を初めて知ったのは、今からちょうど3年前の2018年の夏だったと思う。 2016年、仕事の過負荷で…
今日も一日が始まる。 会社では管理職。同期の中でも、先頭を切って管理職入りした。 朝から溜まったメールを読み、テキパキと自分の仕事をこなしていく。 今、数名の部…
少しずつ春に近づいている。 夕方に散歩に出かけると、ちょっと前までは寒さで凍えていたのに、なんだか温かい。そして、春のにおいがしてくる。 春のにおいを嗅ぐと、頭…
よくこんな会話がある。 「次に生まれ変わったら、何になりたい?」 いろんな答えがあると思う。 「男の子になりたい」 「女の子になりたい」 「鳥になりたい」 「また…
最近、オリパラ委員会の会長を辞任した森さんのニュースが世間を賑わせている。 なんかこのニュースをみると、正直なところ、心がザワザワする。 心のコンディションが悪…
「今、私は不登校してます」 現在進行系で学校へ行けない子供たちの中で、堂々とこう言える子はいるのだろうか? ほとんどの子がこう言えないのではないかと思う。 ただ…
ネットでよくこんなフレーズをみかける。 「不登校をしてよかった」 「貴重な体験をすることができた」 自分はそんなことを露ほども思わない。 不登校を経験してよかっ…
娘の入学式で久しぶりに足を踏み入れた学校。 自分が卒業した学校ではないが、イヤな思い出が残っている小学校へ踏み入れることに対して、心がザワザワした。 コロナ禍の…
noteを書き始めて約一ヶ月ちょっと。 当初、「スキ」をもらうことなんて全く無いと思ってましたが、ちらほら頂いています。ただ、自分の闇を吐き出しているだけなので、「…
不登校に関する本やネットをみていると、こんなことがよく書いてある。 「まずはゆっくり休んでエネルギーを貯めないといけないですよ」 「エネルギーが溜まったら、再び…
前々回のインターフォン恐怖症、前回の自宅電話恐怖、これまで二回に渡って、三十年前の不登校の後遺症を記事にした。 今回三回目の最終回は「醜形恐怖症」だ。 簡単にい…
前回のおさらい前回の『30年間続いた不登校の後遺症① (インターフォン恐怖症)』に引き続き、二つ目の後遺症について書いてみたい。 「あなたの家の固定電話のベルが鳴っ…
まず、言います! 私はいまそれなりに元気です!既にいくつか記事を投稿しましたが、 自分で記事を読み返すと、本当に暗い、暗すぎる。 自分の心の中にある闇をそのままnoteに掃き出したため、 とんでもなくマイナス思考なヤバい人になってます。 (ある意味、否定しませんが・・・) いま不登校の真っ只中にいる子どもたちや親御さんが こんな記事を読むと、余計に暗い気分になってしまうかもしれません。 ですので、あえて言います。 いま、私はそれなりに元気です! ※あくまでそれなりです
「8月31日の夜」にザワザワする私の心まだまだ暑い日が続いているが、日本各地の小学校では長い夏休みが終わり、再び学校が動き始めている。 この時期になると、「8月31日の夜に」という特集番組が放送される。この番組が放送されると、私の心は少しだけザワザワしてくる。今から30年前の記憶が呼び起こされるからだ。 私は小学5年生の春休み前から丸1年学校へ行けなくなった。当時は不登校は登校拒否と呼ばれていた。今のように不登校の情報や支援はほとんどなく、それどころか、不登校の生徒自体
学校へ通えている子供にとって、「8月31日の夜」は憂鬱だ。(もちろん、友達に会えて嬉しいという子もいるだろうけど・・・) 一方、不登校になってしまって学校へ通えていない子供にとって、そもそも学校へ行けていないから「8月31日の夜」はどうでもいいんじゃないかと思うかもしれない。 でも、実はそうではない。少なくとも、元不登校だった自分にとっては、憂鬱だった。 夏休み中は、自分だけでなく、みんなも学校を休んでいる。だから、僅かながらも「学校へ行けない罪悪感」は小さくなる。
コロナで夏休みが延長になっている自治体もあるが、娘の小学校は今日が夏休み最後の日。いわば、8月31日のような日だ。 明日からいよいよ学校がはじまる。といっても、これは自分の話ではない。娘の話である。 家では大声ではしゃいでいる娘。だけど、学校では引っ込み思案。夏休みが入る直前には、クラスにしゃべれるお友達がいないともらしていた。 これは小さかった頃の自分に重なる。自分も小さなころは、とっても引っ込み思案だった。8月31日はとても憂鬱だった。 そして、小学校5年生の時に
「8月31日の夜に。」との出会い NHKのハートネットTVの「8月31日の夜に。」を初めて知ったのは、今からちょうど3年前の2018年の夏だったと思う。 2016年、仕事の過負荷で適応障害になった。 その治療で心理カウンセリングを受けた。適応障害の根っこには、これまでずっと続いてきた生きづらさがあったからだ。 カウンセリングの過程で、小学校時代の不登校トラウマと向き合うことになった。ちなみに、不登校とはいっても、つい数年前の話ではない。平成最初の年、1988年の話だ。つ
今日も一日が始まる。 会社では管理職。同期の中でも、先頭を切って管理職入りした。 朝から溜まったメールを読み、テキパキと自分の仕事をこなしていく。 今、数名の部下をかかえている。そして、チャットで投げかけられる部下からの資料確認依頼や相談。それらは頭の中で瞬時に判断がなされ、テキパキと指示をする。 きっと会社の同僚たちは思わないだろう。 目の前で指示を出している私が「一年間も学校へ行ってなかった」なんて。いや、行けなかっただなんて・・・。 ましてや、それから三十年
少しずつ春に近づいている。 夕方に散歩に出かけると、ちょっと前までは寒さで凍えていたのに、なんだか温かい。そして、春のにおいがしてくる。 春のにおいを嗅ぐと、頭の中に色んな光景が錯綜し、心の中には色んな感情が入り乱れる。 中学生の時に訪れた長崎の海の匂い。 就職氷河期に必死に歩きまわったオフィス街。 社会に出る不安を抱えながら迎えた入社式の緊張した空気。 なぜだろう? 人生の中で、春は変化が生じる季節だからだろうか? 今日も街中を散歩してみた。 高校生や大学生がた
よくこんな会話がある。 「次に生まれ変わったら、何になりたい?」 いろんな答えがあると思う。 「男の子になりたい」 「女の子になりたい」 「鳥になりたい」 「また自分になりたい」・・・ でも、私はこの質問を受けると、少し複雑な思いになる。 なぜなら、生まれ変わりたいものが思いつかないから・・・。 もっと正直な想いを書けば、もう人間はいい。一度だけで十分だ。 もう一度、いや、もし生まれ変わりが永遠に続くならば、何度も繰り返すのがしんどい。 少なくとも、今この人生
最近、オリパラ委員会の会長を辞任した森さんのニュースが世間を賑わせている。 なんかこのニュースをみると、正直なところ、心がザワザワする。 心のコンディションが悪い時、自分とはまったく関係のない人でも、みんなから攻撃されているのを見ると、なんだか心が苦しくなる。その様子を見るだけで、心地がよくない。 たしかに、オフィシャルな場で男女平等に反する発言をしたのは問題はある。そして、森さんを擁護する気もまったくない。だけど、あまりにも個人攻撃がひどすぎるというか、過剰な気がして
「今、私は不登校してます」 現在進行系で学校へ行けない子供たちの中で、堂々とこう言える子はいるのだろうか? ほとんどの子がこう言えないのではないかと思う。 ただ、昔と違って「学校へ行けなくなった」ではなく、自分で「学校へ行けない選択をした」のであれば、そう言えてしまう子がいるかもしれない。 では・・・ 「昔、私は不登校でした・・・」 こんな風に堂々といえる人って、どれだけいるのだろうか? この言葉を言える人は、不登校を克服して、再び学校へ通い始めた人。もしかした
ネットでよくこんなフレーズをみかける。 「不登校をしてよかった」 「貴重な体験をすることができた」 自分はそんなことを露ほども思わない。 不登校を経験してよかったことなんて、何もない。そんな経験なんて、無かった方が良いに決まっている。 ずっとそう思って生きてきた。 だけど、再び学校へ通いはじめてから約三十年後。大人になってから、不登校を経験してよかったと思えることが、たった一つだけ見つかった。 今から約三年前、仕事の過負荷や上司のパワハラで適応障害になった。 ま
娘の入学式で久しぶりに足を踏み入れた学校。 自分が卒業した学校ではないが、イヤな思い出が残っている小学校へ踏み入れることに対して、心がザワザワした。 コロナ禍のせいで、入学式が施行される体育館へは保護者は一名しか入れないので、玄関で見送った。 とても優しそうな先生たちに迎えられながら、娘は少し不安そうな顔で中へ入っていった。 そして、入学式がはじまった。コロナ対策で出入口や窓が開放された体育館からは、中の声からよく聞こえてきた。 短縮プログラムで施行されたが、校長先
noteを書き始めて約一ヶ月ちょっと。 当初、「スキ」をもらうことなんて全く無いと思ってましたが、ちらほら頂いています。ただ、自分の闇を吐き出しているだけなので、「スキ」を頂いて恐縮するばかりです・・・。 さて、「スキ」を頂いている方の中で、少し気になるハンドルネームの方がいらっしゃいました。 こちらの方です。 棚園正一さん。お名前は知らなかったですが、「学校へ行けなかった僕と9人の先生」という本は、本屋や広告で何度も見かけて知っていました。 ただ、タイトルから何と
不登校に関する本やネットをみていると、こんなことがよく書いてある。 「まずはゆっくり休んでエネルギーを貯めないといけないですよ」 「エネルギーが溜まったら、再び学校へ通えるようになりますよ」 一方、こういった意見に対して、 「単なる甘やかしだ」 と反論を唱えているものも見かける。 まず、私の意見を結論からいうと・・・ 「真実」 だと思う。 これには根拠がある。実際に私が不登校になって、再び学校へ通いはじめた経験から言えることだ。 私が学校へ行けなくなったのは、小学
前々回のインターフォン恐怖症、前回の自宅電話恐怖、これまで二回に渡って、三十年前の不登校の後遺症を記事にした。 今回三回目の最終回は「醜形恐怖症」だ。 簡単にいえば、自分が自分を醜いと思い込んでしまうこと。wikipediaを少し抜粋させてもらうと、このように解説されている。 身体醜形障害(しんたいしゅうけいしょうがい、英: body dysmorphic disorder ; BDD)あるいは醜形恐怖症とは、極度の低い自己価値感に関連して、自分の身体や美醜に極度にこだ
前回のおさらい前回の『30年間続いた不登校の後遺症① (インターフォン恐怖症)』に引き続き、二つ目の後遺症について書いてみたい。 「あなたの家の固定電話のベルが鳴ったら、恐いですか?」 最近は携帯電話(スマホ)が普及し、自宅に固定電話がない家も多い。しかし、今から三十年前といえば、肩掛けのショルダー式の携帯電話があるぐらいで、一般には全く普及してなかった。 だから、基本的に全家庭に固定電話があり、友達と遊ぶ時にも固定電話にかけるのが当たり前の時代だった。 もし、あなたが