4度目の「8月31日の夜に。」
「8月31日の夜に。」との出会い
NHKのハートネットTVの「8月31日の夜に。」を初めて知ったのは、今からちょうど3年前の2018年の夏だったと思う。
2016年、仕事の過負荷で適応障害になった。
その治療で心理カウンセリングを受けた。適応障害の根っこには、これまでずっと続いてきた生きづらさがあったからだ。
カウンセリングの過程で、小学校時代の不登校トラウマと向き合うことになった。ちなみに、不登校とはいっても、つい数年前の話ではない。平成最初の年、1988年の話だ。つまり、今から30年以上前の話。
その心理カウンセリングを受けている時期に、「8月31日の夜に。」と初めて出会った。
新聞やテレビで8月31日問題が特に取り上げられるようになった頃で、お手紙問題をはじめとして、そこで目にするエピソードが生々しく、昔を思い出して、すごく動揺した。そのせいで、精神的に不安定になり、心がザワザワしたり、寝付きが悪くなった。
4度目を迎えた、今年の「8月31日の夜に。」
それから三年・・・
適応障害による薬物治療も心理カウンセリングも卒業した。三年の時を経て、今ではだいぶん落ち着いてきた。
不登校トラウマの影響であった醜形恐怖症もなくなった。だから、街を歩いていて、前から来た人に「自分は変だと思われている」という感覚もほとんど解消した。そして、会社へ行く時や人と会うときの心のザワザワ感もだいぶん無くなった。
はじめて「8月31日の夜に。」を知った三年前と比べると、今年の「8月31日の夜に。」は冷静に受け止めることができた。心がザワザワすることもほとんどない。
学校へ行けなかった当時、雨戸を締め切った暗い和室で、お腹に大きな裁縫バサミを当て、力を入れるか入れないか繰り返し悩んだ。
外では小さな子どもたちの楽しい笑い声が響く一方で、暗い部屋でとてつもなく大きな絶望感に打ちひしがれていた。
だけど、結局裁縫バサミを持つ手に力を入れることなく、不登校は1年間でピリオドを打った。自分にムチを打ち、再び学校へ行った。でも、再び通い始めても、やっぱり辛かった。しんどかった。
明日は社会人になった私の9月1日
それから三十年。それなりの大学に行って、就職して、結婚して、家を買って、子供にも恵まれた。そして、今では管理職として部下を率いている。
まだまだ未熟だと感じるところもあるけど、きちんと大人になれた。8月31日を乗り越えて、9月1日をきちんと迎えられた。
でも・・・
明日(8/17)はお盆休み明けの出社日だ。
学生と違い、社会人の夏休みはそんなに長くないが、やはり長めの休み明けは、なんだか理由はよく分かっていないけど、行きたくない。少しだけ心がザワザワする。
三年前の心理カウンセリングで不登校トラウマは克服できたと思っていたのに、こんな感情を持つ自分に自己嫌悪を感じる。少しショックだ。
自分にムチを打って、再び学校へ通いはじめた副作用だろうか・・・。
体はきちんと9月1日を迎えられたけど、心は8月31日に取り残されているのかもしれない。
明日が憂鬱だ・・・。
でも、でも・・・
ちょっと力を抜いてみよう。
そして、深呼吸してみよう。
頑張ろうとするから、余計しんどくなるんだ。昔から知っている。自分は真面目すぎるんだ。そんな頑張らなくていいんだ。
力を抜くこと。そして、自分を責めないこと。
小学生だった自分は、これが出来なかった。簡単そうで難しい。こういうふうに考えられるようになったのも、自分が成長した証。大人になった証なんだ。
だから、もう一度、自分にこう暗示してみる!
ちょっと力を抜いてみよう。
そして、深呼吸してみよう。
そして、いま苦しんでいる10代の人たちにも暗示してみる。
ちょっと力を抜いてみよう。
そして、深呼吸してみよう。
今苦しんでいる人たちに伝えたいこと
最後に、いま苦しんでいる10代の人たちに、伝えたいメッセージをもう少しだけ。
学校に行けなかった当時、山下清をモチーフにした「裸の大将」というドラマがあった。そのドラマのエンディングで「野に咲く花のように」という歌が流れていた。
その歌にこんな歌詞がある。
「時には 暗い人生もトンネルぬければ 夏の海」
「時には つらい人生も雨のちくもりで また晴れる」
たった十歳の小学生には、この歌詞がすごく心に響いた。今でも覚えている。絶望感の中にいても、かすかな希望をほんのほんの少しだけ抱いたことを・・・。
一方で、夏の海も、晴れ間も、幻想であって、自分に訪れるものではないと思っていた。闇の中にいる時は、ずっと雨やトンネルが続くと思ってしまう。
そのことも、つらい思いをした当事者だからこそ、身にしみて知っている。そして、こういう希望を伝えることが、時には残酷なことであることも知っている。
だけど、言いたい。
今つらい思いをしているすべての人が100%トンネルを抜けることができるとは言えないし、言わない。
だけど、私のようにトンネルを抜けて大人になった人間もいる。それだけは頭の片隅に留めておいてほしい。これもまた真実だから・・・。
どうかどうか、みんなが野に咲く花のように生きれますように・・・