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30年間続いた不登校の後遺症③(醜形恐怖症)

前々回のインターフォン恐怖症、前回の自宅電話恐怖、これまで二回に渡って、三十年前の不登校の後遺症を記事にした。

今回三回目の最終回は「醜形恐怖症」だ。

簡単にいえば、自分が自分を醜いと思い込んでしまうこと。wikipediaを少し抜粋させてもらうと、このように解説されている。

身体醜形障害(しんたいしゅうけいしょうがい、英: body dysmorphic disorder ; BDD)あるいは醜形恐怖症とは、極度の低い自己価値感に関連して、自分の身体や美醜に極度にこだわる症状である。実際よりも低い自己の身体的なイメージが原因である。俗に醜形恐怖また醜貌恐怖とも呼ばれる。自殺率は非整形経験者の45倍と非常に高い。

まず始めに断っておくと、医師から診断を受けたわけではない。あくまで自己診断。さらに付け加えると、この症状は三十年前からあったにもかかわらず、自分では気づいていなかった。

気づくきっかけは、今から約二年半前に受けた心理カウンセリング。

当時、仕事の過負荷や上司のパワハラなどによって、眠れなくなってしまった。いわゆる、適応障害だ。

そして、ひょんなことから臨床心理士さんによる心理カウンセリングを受けけた。

そこで、自分自身の思わぬ闇に直面した。ずいぶん昔、それも約三十年前に学校へ行けなかったことを、いまもまだ昇華しきれていないことに気づいた。

それに気づいたのは、心理カウンセリングのインテークの時だった。

幼少期からの生い立ちを説明する時だ。臨床心理士さんの前で「小学校の頃、学校へ行くことができなかった」という簡単な一言を言えなかった。言おうとした時、口が動かなかった。そして、なぜか涙がこみ上げてきた。

その時に知った。

自分の中に昇華しきれていない過去の闇があることに・・・。

それから約1年間、定期的にカウンセリングを受けた。セッションを何度も何度も繰り返していくうちに、自分自身が今も抱えている困りごとに気づいた。

それは「道ですれ違った人は、自分を変だと思っている」という強迫観念。

変な自分をすれ違う人がジロジロ見ている。人の目線が怖い。だから、その目線から逃げたくて、道行く人の顔や目が見れない。いや、怖いというのはもしかしたら言い過ぎかもしれない。たけど、とにかくにも人の目線が心地悪い。

さらに、カウンセラーの先生とセッションを進めていく中で、整理をしていった結果、症状に対する一番適切な表現が定まった。

人とすれ違うときに、目が眩しい(まぶしい)・・・

まるで、強い光を当てられたように、目が開けていられない。実際に浴びたことはないが、弱い催涙ガスを受けたかのような感じ。その表現が一番近いかもしれない。

その症状は常にあるものの、休み明けの月曜日の朝や緊張が伴うシーンで特に強く現れた。だから、外出時には洗面台の鏡や玄関の鏡で、自分の姿を何回も確かめた。

顔に何かついていないだろうか?
服が乱れていないだろうか?
髪の毛が跳ねていないだろうか?

具体的に自分の顔のどこが変なのかは、分からない。だけど、とにもかくにも「人に変だと思われている」という強迫観念に取り憑かれていた。

朝の通勤途中で多くの人にすれ違うと、なぜか目が開けていられなくなった。でも、三十年の間ずっと四六時中苦しんでいたかと言えば、実際はそうではなかった。

生きづらいけど、その苦しさに慣れてしまっていた。三十年の時がそうさせた。それは、その症状が無くなった今だから分かる。

一年間の心理カウンセリングが終わった頃、昇華しきれていなかった過去の不登校の黒いモノを整理できた。「今の自分」が「不登校だった過去の自分」を醜いと思っていることにも気づいた。そして、過去を振り返る中で、忌み嫌っていた過去の自分を許すことができた。

そうすると、目が眩しい症状は少しずつ少しずつ消えていった。まるで、魔法をかけられたかのようだった。そして、生きやすくなった。

平成の始めの年に不登校になった。そして、平成の間ずっと、不登校の後遺症という生きづらさと一緒に生きてきた。ずいぶん遠回りをしたけど、令和になった今、ようやくその生きにくさから開放された。

令和を迎えた今、朝の通勤途中でたくさんの人にすれちがっても、まぶしくない。たった数年前まではそうではなかったのに・・・。

やはり、つらい過去を封印したままでは、何も昇華されない。でも、それに向き合うのも辛かった。

だけど・・・

今から思えば、もっと早い段階で過去の闇(学校へいけなかったこと)に向き合い、昇華しておくべきだったと思う・・・。

自分が醜いと思う生きづらさと共にするには、三十年という時は長すぎたと思うから・・・