春の訪れにも思う、もう一つの違った人生
少しずつ春に近づいている。
夕方に散歩に出かけると、ちょっと前までは寒さで凍えていたのに、なんだか温かい。そして、春のにおいがしてくる。
春のにおいを嗅ぐと、頭の中に色んな光景が錯綜し、心の中には色んな感情が入り乱れる。
中学生の時に訪れた長崎の海の匂い。
就職氷河期に必死に歩きまわったオフィス街。
社会に出る不安を抱えながら迎えた入社式の緊張した空気。
なぜだろう? 人生の中で、春は変化が生じる季節だからだろうか?
今日も街中を散歩してみた。
高校生や大学生がたくさんいた。お互い恥ずかしそうにしゃべっている男の子と女の子のカップル。十人ぐらいの男女のグループ。
なんだか見ていると、とっても楽しそうだし、「今を生きてる」っていう感じがする。
これは「青春」っていうんだろうか?
なんだか自分に無かった時間を、彼ら、彼女らは送っているように思える。彼らを見ているだけで、なんだか寂しくせつない思いになる。
なぜなら、自分が失った時間をイヤでも思い知らされる。いや、忘れ物をしてきた時間のように思えて、悲しくなる。
もし、不登校にならなければ・・・
そして、自己肯定感を失うことがなければ・・・
さらに、醜形恐怖症に悩まされることがなければ・・・
もしかすると、周りからみれば、自分もそんな時間をきちんと送っていたのかもしれない。それを忘れているだけなんだろうか。
もしかしたら、不登校がなくても、そんな「青春」を送れていなかったかもしれない。
別に不登校じゃなくても、まぶしい「青春」を遅れていなかった送っていない人もたくさんいると思う。だから、単なる無いものねだりの羨望だけかもしれない。
でも、やっぱり思ってしまう。
もし、不登校になっていなかったら・・・
もう一つの違った人生があったのだろうか?
楽しい青春を送れていたのだろうか・・・?