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「昔、私は不登校をしていました」って、言いたい!


「今、私は不登校してます」

現在進行系で学校へ行けない子供たちの中で、堂々とこう言える子はいるのだろうか?

ほとんどの子がこう言えないのではないかと思う。

ただ、昔と違って「学校へ行けなくなった」ではなく、自分で「学校へ行けない選択をした」のであれば、そう言えてしまう子がいるかもしれない。

では・・・

「昔、私は不登校でした・・・」

こんな風に堂々といえる人って、どれだけいるのだろうか?

この言葉を言える人は、不登校を克服して、再び学校へ通い始めた人。もしかしたら、学校へ行けないうちに、義務教育を終えてしまった人もいるかもしれない。

だから、子供かもしれないし、大人かもしれない。

そして、不登校を終えて卒業して間もない人もいれば、3年経った人、5年経った人、10年経った人、もっと経った人もいるかもしれない。

ちなみに、私は30年経った大人。もう中年だ。

だったら、友人や会社の同僚に対して、こう言えるのか?

「今から三十年前、不登校児だったんだ」

実は言えない。絶対に言えない。

もう三十年も前の話。昭和が終わり、平成がはじまった年の話。その時に生まれた子は、もう三十歳を超えているにもかかわらず・・・。

だったら、一緒に住んでいる夫婦や子供に言えるのか?

実はこれも言えない。

だったら、親に言うことができるのか?

実はこれも無理だ。もちろん子供時代に、親は自分が不登校だったことをイヤでも分かっている。それなのに、今になってもこうは言えない。

「小学校時代の不登校って、大変だったよね・・・」

そう、誰にも言えない。なんで言えないんだろう。

やっぱり、昇華できていない。

学校へ行けないことって、なんだったんだろうか。

そんなに悪いことだったんだろうか。そんなに自分を傷つけるのだったんだろうか。そこまで恥ずかしくて隠さないといけないことだろうか。そんなに情けないことなんだろうか。

勇気を出したら言えるんだろうか。きっと無理をすれば言えるかもしれない。だけど、なぜだか分からないけど、きっと目から何かがこみ上げてくると思う。

三年前に睡眠障害になった。生まれて初めて、メンタルクリニックに行った。インテークの時の時、口にしたら、目頭が熱くなった。初めてのカウンセリングの時には、頭では言葉を発しているのに、口が開かなくて、涙がこみ上げてきた。

だから、やっぱり誰にも言えない。

どうして言えないんだろう。やっぱり、自分でまだ気にしているからなのか。それとも、不登校は恥ずかしいことだからいえないのか。それとも、自分の弱みを見せたくないから?

でも、もう三十年前のこと、当時は辛さはだいぶん薄らいでるはずなのに・・・。

ただ、たった一人だけ、言える人がいる。一年間通ったカウンセラーの先生だ。何度か通っているうちに、平気で言えるようになった。最後の方では「不登校」とか「登校拒否」という言葉を言いまくった。これまでの三十年分ぐらい。

でも、睡眠障害も治って、三年前にカウンセリングも卒業した。

だから、もう言える人がいない。場所もない。

「むかし、私は学校へ行けなかったんだ」

今は、誰にも言えない。小学六年生で不登校になって、もう三十年たった。年齢は四十を超え、中年になった。

でも、まだ言えない・・・。正直、情けない。

このまま歳を取っていくのだろうか。五十歳とか、六十歳、いや、死ぬまでには人にこう言えるんだろうか。

「昔、私は不登校児でした」

いま言える場所は、ここnoteだけだ。

苦しい・・・